小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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小泉首相の統治戦略⑥

投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/08/27 23:18 投稿番号: [213308 / 232612]
  6.社会的変化をトレースしたパフォーマンス

  勢力均衡の上に自立性の高い権力を構築するというボナパルティズム的な統治戦略が小泉に可能だったのは、現代の日本社会が大きな転換期の渦中にあったからである。いいかえれば、「社会革命」とでも名づくべき根底的な変化が社会の深部で進行しているからこそ、「構造改革」が政治の最大のテーマとなり、それをめぐって推進勢力と抵抗勢力が拮抗する状況が作り出された。この「社会革命」という大きな文脈の中で、小泉は「構造改革」のアクセルとブレーキを使い分けながら、自らの権力上の地位を持続させてきたのだった。

  同様のことは程度の差はあっても、19世紀半ばのルイ・ナポレオンや1930年代のヒットラーの独裁体制についても指摘することができる。ナポレオン3世のボナパルティズム独裁は、マルクスによって資本主義社会の最後の支配形態とみなされたが、実際には、それはフランスの産業革命という転換期が生み出したものだった。

  もう30年以上も前のことだが、欧米のナチズム研究者の間で「ヒトラーの社会革命」という説がもてはやされたことがある。それによれば、12年間にわたるヒトラー独裁の時代に、ドイツ社会は革命のなに値するほどの根本的な変化を遂げたとされる。一口でいえば、この「社会革命」によって、伝統的なドイツ社会のステイタス秩序(社会における人々の名誉・威信の序列)が崩れ、以前のドイツ社会ではとうてい出世の見込みがなかった底辺の粗野な連中にも、ナチ党や親衛隊などの組織を通じて社会的上昇を遂げるチャンスが開かれた。

  その一方で、第3帝国の時代になっても官僚機構や国防軍などの伝統的な組織は存続し、その内部では古い秩序意識がまだ生きていた。しかも、これらの既成組織と新しいナチス系の組織が競合していたために、ドイツ社会全体のステイタス秩序は混迷をきわめ、人々は深い森の中に迷いこんだ感があった。しかし、ともかくも第3帝国時代のドイツは、それ以前に比べて社会の流動性が高まり、いたるところに社会的上昇のチャンスが開かれていると錯覚させるような、開放的な側面を持っていた。

  こういうステイタス秩序の流動化とチャンスの平等化という社会的変化は、ヒトラーが生み出したというよりも、社会の深部で抗し難い流れとなって進行していたと見るべきだろう。ヒトラーは、この社会の深部における潮流を自覚し、それに掉さす形で独裁制を樹立したのである。また、当時の多くのドイツ人は、古いステイタス秩序が崩れて社会的上昇のチャンスが増大しているという感触のために、少なくとも第2次世界大戦の勃発あたりまでは、ヒトラー独裁を受けいれる気持ちになっていた。
(続く)
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