制裁は最後の切り札か?①
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/08/23 19:09 投稿番号: [212621 / 232612]
制裁は最後の切り札か?
経済制裁は伝家の宝刀であり、この宝刀を抜くことは最後の切り札を切ることであり、発動したらその先の一手はどう打つのだとか、大事なカードだからタイミングを見て効果が一番発揮できるときまでは発動することを控えるべきだという意見があります。今回はこのことについて考えてみたいと思います。
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1.まず単独制裁は効果があるのかないのか
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
これは実際にやってみないと分からないというのが、誰でも正直なところではないだろうか?
北朝鮮という経済的には誠に困窮を極めている国。政治的には個人独裁体制を維持する国。そしてその北朝鮮を援助している国として周辺大国がいる。
このようなケースで過去の歴史の中で単独の国が制裁を実施し、当事国同士の紛争を解決できた例があるのであれば、大変参考になるのであろうが、その例を僕は知らない。
知らないが南アフリカのアパルトヘイト体制(人種差別・人種隔離政策)を終焉させるために、国連をはじめEC(当時)や米国、日本が経済制裁を実施した例を以前調べてみた。
およそ85年から経済的な取引の停止や武器輸出禁止措置を実施し、89年末にはアパルトヘイト体制の終焉を迎えた。ただしこれは単独の国が制裁を科して南アフリカに政策転換をもたらしたものではない。
政策転換をもたらした主な理由とは
・多国間で制裁の包囲網を形成して南アフリカ経済へ打撃を与えたこと
当時85年から89年の南アフリカ経済規模は、中進国といわれていた(GDP換算で世界30位程度だったか?)⇒
当初ECでは制裁の足並みが揃わず、ある国が石炭の輸入を南アフリカから停止すると別の国が南アフリカから石炭を輸入するなどしてなかなか制裁の効果がでなかった。しかし制裁に消極的な国々も徐々に制裁を開始し、国際的な包囲網を形成した。⇒
こうしたことから南アフリカの財界が動き出して政府に政策転換を求めた。
・国内の反体制組織が国内外で非暴力運動を展開し、国内での不買運動をはじめさまざまな抵抗運動を繰り広げ、政府を苦しめた
しかしながらこの反体制組織には共産主義者も多く、ソ連の支援を受けていた。⇒
こうしたことから米国政府や英国政府はなかなか反体制組織の支援には消極的であった。⇒
しかしソ連がゴルバチョフ書記長が国内改革に取り組み、南アフリカへの支援を弱めていった。⇒
ソ連からの支援もなくなり、また世界的に共産主義運動が退潮するなか、反体制組織も共産主義を追求しなくなった。⇒
そして米英政府の支援を取り付けることに成功した。⇒
反体制組織は国際的には「人権」というテーマで各国の支援を取り付け、南アフリカへの制裁を呼びかけた。
かいつまんでいうと上のように2つの理由が挙げられる。
翻って北朝鮮に対してこの条件が当てはまるのだろうか?
・国内に強力な反体制組織がいない
・北朝鮮の政治経済面に影響力を持っている中国が制裁をしない
・北朝鮮の崩壊を恐れて韓国が支援をしている
このような理由から、南アフリカの例は北朝鮮には当てはまらないと考える。
経済制裁は伝家の宝刀であり、この宝刀を抜くことは最後の切り札を切ることであり、発動したらその先の一手はどう打つのだとか、大事なカードだからタイミングを見て効果が一番発揮できるときまでは発動することを控えるべきだという意見があります。今回はこのことについて考えてみたいと思います。
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1.まず単独制裁は効果があるのかないのか
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
これは実際にやってみないと分からないというのが、誰でも正直なところではないだろうか?
北朝鮮という経済的には誠に困窮を極めている国。政治的には個人独裁体制を維持する国。そしてその北朝鮮を援助している国として周辺大国がいる。
このようなケースで過去の歴史の中で単独の国が制裁を実施し、当事国同士の紛争を解決できた例があるのであれば、大変参考になるのであろうが、その例を僕は知らない。
知らないが南アフリカのアパルトヘイト体制(人種差別・人種隔離政策)を終焉させるために、国連をはじめEC(当時)や米国、日本が経済制裁を実施した例を以前調べてみた。
およそ85年から経済的な取引の停止や武器輸出禁止措置を実施し、89年末にはアパルトヘイト体制の終焉を迎えた。ただしこれは単独の国が制裁を科して南アフリカに政策転換をもたらしたものではない。
政策転換をもたらした主な理由とは
・多国間で制裁の包囲網を形成して南アフリカ経済へ打撃を与えたこと
当時85年から89年の南アフリカ経済規模は、中進国といわれていた(GDP換算で世界30位程度だったか?)⇒
当初ECでは制裁の足並みが揃わず、ある国が石炭の輸入を南アフリカから停止すると別の国が南アフリカから石炭を輸入するなどしてなかなか制裁の効果がでなかった。しかし制裁に消極的な国々も徐々に制裁を開始し、国際的な包囲網を形成した。⇒
こうしたことから南アフリカの財界が動き出して政府に政策転換を求めた。
・国内の反体制組織が国内外で非暴力運動を展開し、国内での不買運動をはじめさまざまな抵抗運動を繰り広げ、政府を苦しめた
しかしながらこの反体制組織には共産主義者も多く、ソ連の支援を受けていた。⇒
こうしたことから米国政府や英国政府はなかなか反体制組織の支援には消極的であった。⇒
しかしソ連がゴルバチョフ書記長が国内改革に取り組み、南アフリカへの支援を弱めていった。⇒
ソ連からの支援もなくなり、また世界的に共産主義運動が退潮するなか、反体制組織も共産主義を追求しなくなった。⇒
そして米英政府の支援を取り付けることに成功した。⇒
反体制組織は国際的には「人権」というテーマで各国の支援を取り付け、南アフリカへの制裁を呼びかけた。
かいつまんでいうと上のように2つの理由が挙げられる。
翻って北朝鮮に対してこの条件が当てはまるのだろうか?
・国内に強力な反体制組織がいない
・北朝鮮の政治経済面に影響力を持っている中国が制裁をしない
・北朝鮮の崩壊を恐れて韓国が支援をしている
このような理由から、南アフリカの例は北朝鮮には当てはまらないと考える。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.