小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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統一新聞−論説主幹の北崩壊説1

投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2005/08/21 23:27 投稿番号: [212483 / 232612]
金正日体制の崩壊は近づいている
−過去の崩壊説・先軍政治・北朝鮮経済・歴史の必然

盧武鉉政権の対北朝鮮融和政策と中国をはじめとした金正日政権崩壊阻止政策に助けられ、このところ「金正日政権崩壊説」は鳴りをひそめている。金正日政権はこのまま政権の維持に成功するのだろうか。それとも崩壊は不可避なのだろうか。この点についていま多くの人々が関心を寄せている。

過去の崩壊説   北朝鮮政権をめぐる

  最初に北朝鮮政権崩壊説が騒がれたのは、東欧社会主義の国々が崩壊した1989年からソ連が崩壊する1991年にかけた時期だった。特に北朝鮮の政治システムを真似ていたルーマニアのチャウセスク政権の崩壊は、北朝鮮政権の崩壊を連想させた。
  しかし北朝鮮は、1960年代以降、特にはスターリン批判を露骨化させたソ連のフルシチョフ政権登場以降、民族主義的な「主体論」を掲げてその思想的影響の排除に努めていた。そして1967年以降は、金日成絶対化を進め「首領独裁制」という人類史上最悪の独裁体制を敷き、東欧には見られない徹底した情報閉鎖を行っていたため、連鎖反応を食い止めることができた。
  また自立的民族経済を主張して「コメコン」と呼ばれるソ連中心の垂直的分業体制にも参加していなかったため、経済的連鎖反応も食い止めることができた。
  そして何よりも、遅れた資本主義といえどもそれを経験した東欧と、封建的「全体主義」の上に成立した金日成政権とでは、人々の民主化に対する要求度が大きく違っていた。こうしたことから東欧社会主義圏の崩壊は、北朝鮮政権に大きなショックを与えたものの、その体制を崩壊させるには至らなかった。
  次に北朝鮮政権崩壊説が取り沙汰されたのは金日成主席が死亡した直後の1994年だった。
  この時の崩壊論は、金日成死亡による「権力空白論」が大きな位置を占めた。韓国・日本をはじめとした多くの北朝鮮専門家やマスコミは、口をそろえて権力継承問題を論じ、権力闘争が崩壊へと導くのではないかと騒いだのである。
  しかし北朝鮮政権の権力はすでに金正日中心に運営されていたため、金日成の死で北朝鮮が崩壊する可能性はほとんどなかった。北朝鮮政権は1974年〜1985年までは金日成・金正日政権であり1986年〜1994年までは金正日・金日成政権であり、その後は金正日単独政権であったからだ。死の直前の金日成は金正日によって象徴的存在に祭り上げられ、ほとんどの情報からも遮断されていた。そればかりか、息子の金正日を賞賛する「献詩」まで発表していたのである。
  しかし当時北朝鮮が崩壊の淵に立たされていたことは間違いではなかった。それは第1次核危機における米朝対決によってもたらされたものであったが、これはカーターの訪朝と1994年の「米朝ジュネーブ合意」によって回避された。
  だが1990年代に入って進んでいた北朝鮮の経済危機、特に食糧危機は、間違いなく崩壊へのプロセスであった。それに追い討ちをかけたのが未曾有の洪水と干ばつだ。
  「主体農法」で禿げ山となった山は、保水能力が破壊され、そこから押し流される大量の土砂は北朝鮮を洪水と干ばつが繰り返される国に変えてしまった。非科学的穀物の増産計画は、田畑を痩せさせ、農業は壊滅的打撃を受けることとなる。この時期に発生した食糧危機によって300万人以上の北朝鮮住民が餓死した。このことはすでに全世界が承知している。こうして崩壊阻止の政治体制である「先軍政治」が登場することとなった。
  2度にわたる北朝鮮ウォッチャーの北朝鮮崩壊論は、1度目は北朝鮮に対する理解不足で、2度目は権力構造に対する無知と米国の「甘さ」によってその予測が外れることとなった。

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