横>創価が買い占める例の本②
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/07/05 21:15 投稿番号: [207652 / 232612]
【組長に襲撃依頼!?】
住専国会で新進党切り崩しの材料になった「密会ビデオ」。その存在が永田町の一部で密かに取りざたされるようにたったのは、これより3ヵ月前の95年12月ごろのことである。
当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井が「命を狙われている」という噂が流れた。
まもなくその噂を裏付けるように亀井付きのSPが増員され、亀井の車はつねに警視庁の警備車両2台にはさまれて移動する騒ぎになった。村上正邦の元側近が語る。
「騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら4人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言ったというんです。
受け取りようでは後藤組長に4人への襲撃を依頼したという意味にもとれる。それで亀井さんと村上、警察関係者、弁護士、私も加わって対策会議が開かれたんです」
会議にはビデオの実物は出されなかったが、登場人物2人のやりとりを筆記した書面があった。その場の話ではビデオの映像はかなり画質が悪いうえに雑音が混じっていて声が聞き取りにくかったが、専門家に鑑定してもらった結果、登場人物は藤井と後藤にほぼ間違いないと分かったという。
「でも、この会議のころは野中さんはビデオの件にはコミットしてません。逆に『野中にはバレないように気をつけろ。何をされるかわからないから』という話でした。ところがしばらくして村上が『えらいことだ。野中に嗅ぎつけられた』と騒ぎ出した。
事情は詳しくわかりませんが、野中さんが亀井さんに『見たでえ』と言ったらしいんです。それからずいぶんたって村上が『野中が一仕事したみたいだな』と言ってました。『何ですか』と尋ねたら『あのビデオで信濃町(学会)をやったみたいだぞ』という返事でした」
そのころの野中は亀井とともに反学会の急先鋒だった。細川政権時代の93年秋、国会で共産党議長・宮本顕治宅の盗聴事件(70年)を取り上げ「通信を所管する現職大臣が関与していたのではないか」と郵政相の神崎武法(公明党)を追及した。
さらに「公明党は選挙のたびに全国の学会施設や電話をただで使っているのではないか」と具体的な証拠を挙げながら公明党と学会の「政教一致」を突いた。
95年秋の国会で創価学会に関わる宗教法人法改正が行われたのも、もとはといえば自治相・国家公安委員長の野中が「オウム事件の捜査が宗教法人の壁に阻まれた。法改正の必要がある」と言いだしたからである。
【学会の裏社会に対する防波堤】
東海道新幹線新富士駅からタクシーに乗り換え、北へ約40分ほど走ると、富士山のすそ野に広大な墓地が見えてくる。創価学会の「富土桜自然墓地公園」(敷地面積122万平方メートル)である。
この墓苑開発をめぐって地元・富士宮市議会で賛否両論が巻き起こり、暴力団による傷害事件にまで発展したのは今から30年近く前のことだ。
学会の元顧問弁護士・山崎正友が書いた『懺悔の告発』(日新報道刊)によると、この墓苑開発は70年代に始まり、総額2百数十億円にのぼる工事を自民党市議の会社が中心となって請け負うことになった。
だが、市長や自民党市議の勢力と反対勢力との政争もからんでトラブルが続発した。双方の陣営への賄賂と地元暴力団の積極的な協力で何とか完成にこぎつけたが、最後まで妨害した人物に対しては暴力団がその自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で片腕を切り落とす荒療治で鎮圧したという。
この暴力団の組長が密会ビデオに登場するという後藤忠政だ。だが、後藤と学会の関係は80年代に入ってこじれはじめる。協力の報酬をめぐるトラブルが原因らしい。
83年3月、後藤は名誉会長の池田と公明党委員長(当時)の竹入義勝あてに学会の対応を非難する内容証明付き郵便を送りつけた。85年11月には学会本部の文化会館に拳銃2発が撃ち込まれ、後藤組組員が警視庁に現行犯逮捕された。
藤井が後藤と接触するようになったのはその前後からだ。元学会幹都の岡本勇(仮名)が証言する。
住専国会で新進党切り崩しの材料になった「密会ビデオ」。その存在が永田町の一部で密かに取りざたされるようにたったのは、これより3ヵ月前の95年12月ごろのことである。
当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井が「命を狙われている」という噂が流れた。
まもなくその噂を裏付けるように亀井付きのSPが増員され、亀井の車はつねに警視庁の警備車両2台にはさまれて移動する騒ぎになった。村上正邦の元側近が語る。
「騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら4人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言ったというんです。
受け取りようでは後藤組長に4人への襲撃を依頼したという意味にもとれる。それで亀井さんと村上、警察関係者、弁護士、私も加わって対策会議が開かれたんです」
会議にはビデオの実物は出されなかったが、登場人物2人のやりとりを筆記した書面があった。その場の話ではビデオの映像はかなり画質が悪いうえに雑音が混じっていて声が聞き取りにくかったが、専門家に鑑定してもらった結果、登場人物は藤井と後藤にほぼ間違いないと分かったという。
「でも、この会議のころは野中さんはビデオの件にはコミットしてません。逆に『野中にはバレないように気をつけろ。何をされるかわからないから』という話でした。ところがしばらくして村上が『えらいことだ。野中に嗅ぎつけられた』と騒ぎ出した。
事情は詳しくわかりませんが、野中さんが亀井さんに『見たでえ』と言ったらしいんです。それからずいぶんたって村上が『野中が一仕事したみたいだな』と言ってました。『何ですか』と尋ねたら『あのビデオで信濃町(学会)をやったみたいだぞ』という返事でした」
そのころの野中は亀井とともに反学会の急先鋒だった。細川政権時代の93年秋、国会で共産党議長・宮本顕治宅の盗聴事件(70年)を取り上げ「通信を所管する現職大臣が関与していたのではないか」と郵政相の神崎武法(公明党)を追及した。
さらに「公明党は選挙のたびに全国の学会施設や電話をただで使っているのではないか」と具体的な証拠を挙げながら公明党と学会の「政教一致」を突いた。
95年秋の国会で創価学会に関わる宗教法人法改正が行われたのも、もとはといえば自治相・国家公安委員長の野中が「オウム事件の捜査が宗教法人の壁に阻まれた。法改正の必要がある」と言いだしたからである。
【学会の裏社会に対する防波堤】
東海道新幹線新富士駅からタクシーに乗り換え、北へ約40分ほど走ると、富士山のすそ野に広大な墓地が見えてくる。創価学会の「富土桜自然墓地公園」(敷地面積122万平方メートル)である。
この墓苑開発をめぐって地元・富士宮市議会で賛否両論が巻き起こり、暴力団による傷害事件にまで発展したのは今から30年近く前のことだ。
学会の元顧問弁護士・山崎正友が書いた『懺悔の告発』(日新報道刊)によると、この墓苑開発は70年代に始まり、総額2百数十億円にのぼる工事を自民党市議の会社が中心となって請け負うことになった。
だが、市長や自民党市議の勢力と反対勢力との政争もからんでトラブルが続発した。双方の陣営への賄賂と地元暴力団の積極的な協力で何とか完成にこぎつけたが、最後まで妨害した人物に対しては暴力団がその自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で片腕を切り落とす荒療治で鎮圧したという。
この暴力団の組長が密会ビデオに登場するという後藤忠政だ。だが、後藤と学会の関係は80年代に入ってこじれはじめる。協力の報酬をめぐるトラブルが原因らしい。
83年3月、後藤は名誉会長の池田と公明党委員長(当時)の竹入義勝あてに学会の対応を非難する内容証明付き郵便を送りつけた。85年11月には学会本部の文化会館に拳銃2発が撃ち込まれ、後藤組組員が警視庁に現行犯逮捕された。
藤井が後藤と接触するようになったのはその前後からだ。元学会幹都の岡本勇(仮名)が証言する。
これは メッセージ 207651 (shinzerosen さん)への返信です.