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戦犯合祀は第二の統帥権侵害②

投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/06/11 19:40 投稿番号: [206153 / 232612]
4.なぜA級戦犯が「昭和受難者」として合祀されることになったのか

この合祀に至る経緯には、まず終戦後に起こった「戦犯に鞭を打つな」という強い国内世論がありました。この名誉回復運動でもっとも熱心だった政治家に、当時社会党の堤ツルヨ衆議院議員がいます。堤代議士は『戦犯の遺族は国家の補償も受けられないでいる。しかも、しかも、その英霊は靖国神社の中にさえも入れてもらえない」と熱弁をふるいました。昭和27年4月28日に発効した対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)第11条によって、それ以後も引き続いて服役しなければならない1224名の「戦犯」に対して国民の強い同情が集まりました。戦争未亡人や遺族が参加し、早期釈放を求める一大国民運動が同年7月から起こります。この国民運動には、最終的には約4000万人の署名が集まります。昭和28年8月、遺族援護法が改正され、旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は、日本の国内法では罪人と見なさない。という判断基準が明確に示されました。そして遺族に対し年金と弔慰金が支給される事となりました。自由党・改進党・右派、左派社会党。与野党を挙げた次のような全会一致の可決でした。

衆議院本会議(昭和28年8月3日)
〈決議文〉



  これらのことはA級戦犯者が国民から許され、その後も政財界の大物として威力をふるったことを説明します。彼らは渾身の力と影響力を駆使して、自らもほぼその立場にあったA級戦犯者の復権(昭和受難者として)に尽力しました。

これ以降、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」および「恩給法」の改正が重ねられはじめました。「戦犯」の遺族も戦没者の遺族と同様に遺族年金・弔意金・扶助料などが支給され、さらに受刑者本人に対する恩給も支給されるようになっていきます。そこにはA級とB・C級の区別はなく、また、国内法の犯罪者とはみなさず、恩給権の消滅や選挙権・被選挙権の剥奪もありません。刑死者は「法務死」と呼称されるようになりました。
昭和31年4月19日、遺族援護行政を所管する厚生省引揚援護局長は「靖国神社合祀事務に関する協力について」と題する通知を発し、都道府県に対して合祀事務に協力するよう指示をいたしました。祭神の選考は厚生省・都道府県が行ない、祭神の合祀は靖国神社が行なうという官民一体の共同作業となりました、祭神選考は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と 「恩給法」に原則的に依拠していることとなります。そして、先の大戦が総力戦であったことで法の適用対象が拡大し、それによって祭神の範囲も拡大。例えば、徴用された船舶の乗組員・警防団員・国民義勇隊員などが含まれるようになります。
  こうして「戦犯者」も「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」が適用されたことで、靖国神社の祭神選考の対象となり、昭和34年3月10日付「日本国との平和条約第11条関係合祀者祭神名票送付について」(引揚援護局長通知)によって送付された祭神名票に基づいて最初の「戦犯」合祀がなされました。

  靖国への合祀までの事務的な流れをみると、(1)厚生省(引揚援護局)が、保管されている戦没者カードと靖国神社による「合祀基準」と照合・選別して所定の「祭神名票」に書きこみを行い、(2)それを靖国神社へ送付する。(3)神社側は「霊璽簿」にそれを写し、さらに「索引簿」を作成した上で遺族に通知する。(4)年2回の例大祭の前夜に合祀の儀式を行うとなっています。

  これらの経緯により靖国神社は、1959(昭和34)年4月に最初の「戦犯」の合祀を行ないました。そして次第にそれを拡大し、1978(昭和53)年10月には、密かにその理由は、「53年の援護法改正で、いわゆる戦犯刑死者と遺族は(遺族年金などで)一般戦没者と同様の処遇を受けられるようになりました。戦犯刑死の方々は法的に復権され、靖国神社は当然合祀する責務を負った」(靖国神社機関紙)ということとなりました。一方これに対して厚生労働省は、「国は遺族援護のために戦犯刑死者を公務死と認定したのであり、靖国のいう『復権』とは関係ない。合祀は神社が決めることだ」と反論しています。

  昭和41年2月8日付「靖国神社未合祀戦争裁判関係死没者に関する祭神名票について」(引揚援護局調査課長通知)によってA級戦犯に祭神名票が送付され、昭和46年の崇敬者総代会で了承され、昭和53年秋季例大祭前日の霊璽奉安祭で合祀されています。このことが一般に知られたのは、翌54年4月19日の新聞報道によってです。
  「A級戦犯」として、東条英機元首相,板垣征四郎陸軍大将、土井原(どいはら)賢二陸軍大将、松井石根(いわね)陸軍大将、木村兵太郎陸軍大将、武藤章陸軍中将、広田弘毅〈こうき〉元首相ら7人と、獄中で死亡した5人及び平沼騏一郎元首相ら未決で病死した2\xBF
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