「不敬」であるのは誰か?③
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/05/26 22:36 投稿番号: [204682 / 232612]
ゴーグルで靖国神社を検索していたらこのブログがかかりました。昭和天皇がある時期を境に靖国神社を参拝しなくなったのは、A級戦犯合祀に反発したからだというもの。
その理由については私はこの筆者と同じく、連合国側に配慮して参拝を控えられたのだろうと思っていた。その趣旨の投稿もしました。
戦前は合祀にあたっては陸海軍省が選別し勅裁をへて神社が霊璽簿に記録、という手続きを踏んでいたそうですが、戦後は一宗教法人に改変されて、靖国神社側が審査し天皇陛下の裁可を仰いで決定する、という手続きを踏んでいた。戦後も天皇陛下の了解を得なければ合祀はできなかったということです。
筆者によると(歴史家秦郁彦氏の説による)、A級戦犯の合祀を松平宮司が独断で強行してしまった。それを天皇陛下がお咎めになり、以後の親拝を取りやめた。
この説の通りだとすれば、靖国神社には昭和天皇の勅裁を経ていない霊が祭られていることになる。
靖国神社のHPには大東亜戦争の戦没者の合祀について次のような記載がありますが、天皇陛下の裁可については書かれていません。
>戦犯合祀は官民一体作業
>戦前、靖国神社は陸海軍省の所管で、合祀の手続きはもちろんのこと、靖国神社の御祭神をどのように選定し決定するかも、陸海軍省が決めていた。選定の基準は秘密にされていましたが、おそらく、戦時や事変において戦死、戦病死、戦傷死、ないしは公務殉職をした軍人・軍属、さらにそれに準ずる人々ということであったと思います。そのような選定基準で選ばれた御祭神の候補を勅裁を経て靖国神社が合祀するということになっていた。
>戦後はそれがどうなったか。陸海軍省は廃止され、靖国神社は民間の一宗教法人となり、しかも占領中はGHQ は靖国神社に対して大変厳しい目を向けていました。ところが、占領が終わると同時に、遺族会や生き残った戦友たちから、国の為に亡くなった戦没者を早急に靖国神社にお祀りすべきだという議論が沸き起こった。 しかし、彪大な数になる支那事変や大東亜戦争の戦没者を選考するなど、民間の宗教法人となった靖国神社には到底不可能なことです。それで、陸海軍省の後身である第1、第2復員省に始り、そこから復員業務と遺族の援護業務を引き継いだ厚生省が、この問題を担当することになったわけです。
http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou5.html#2
さらに次の記述がありますが、やはり勅裁の有無は不明です。
>戦犯の合祀が歴代政府の厚生行政の一環として行われたことは明らかです。しかも、国民の代表である国会が行った恩給法や援護法の改正に従って、その対象とされた戦犯の方々を、厚生省と都道府県が協力して「祭神名票」として靖国神社に送り、靖国神社はそれによって合祀した。ですから、靖国神社が「勝手に」「密かに」合祀したわけでも何でもない。さきに触れたように、いわば、官民一体の共同作業によって合祀されたわけです。
>こうした事実を無視して、A級戦犯の分祀について「神社が拒んでいる」などと、元首相や政治家が非難するの はまさに天に唾するようなことではないか。
神社側の姿勢には疑問が生じますが、祀られる神々の業績にいささかの曇りも与えるものではありません。
大東亜戦争のような歴史的大事件には、その戦争の責任について、日本流の責任のとらせ方もあると思います。合祀を見合わせるような(数十年とか数百年とか)。昭和天皇にはそうしたお気持ちがあったのかもしれません。
中共が靖国参拝をしきりに批難するのも、日本の権力構造についての深い洞察に基づいてのものかもしれない、はっきりとは説明できませんが。
また、以前中共に配慮して戦犯を分祀しようとし、世間から批難が集まったりもましたが、実は天皇陛下のお心を戴してだったのではないかとも。東条家が強硬に分祀に反対したのはどういう理由だったのでしょうか。ほかのご遺族は同意していたはずです。
さらに昭和天皇がお亡くなりになる何年か前に靖国神社を憂えた御製がありましたが、その本当のお気持ちは何だったのだろうかと、いろいろと想像が膨らんできます。
その理由については私はこの筆者と同じく、連合国側に配慮して参拝を控えられたのだろうと思っていた。その趣旨の投稿もしました。
戦前は合祀にあたっては陸海軍省が選別し勅裁をへて神社が霊璽簿に記録、という手続きを踏んでいたそうですが、戦後は一宗教法人に改変されて、靖国神社側が審査し天皇陛下の裁可を仰いで決定する、という手続きを踏んでいた。戦後も天皇陛下の了解を得なければ合祀はできなかったということです。
筆者によると(歴史家秦郁彦氏の説による)、A級戦犯の合祀を松平宮司が独断で強行してしまった。それを天皇陛下がお咎めになり、以後の親拝を取りやめた。
この説の通りだとすれば、靖国神社には昭和天皇の勅裁を経ていない霊が祭られていることになる。
靖国神社のHPには大東亜戦争の戦没者の合祀について次のような記載がありますが、天皇陛下の裁可については書かれていません。
>戦犯合祀は官民一体作業
>戦前、靖国神社は陸海軍省の所管で、合祀の手続きはもちろんのこと、靖国神社の御祭神をどのように選定し決定するかも、陸海軍省が決めていた。選定の基準は秘密にされていましたが、おそらく、戦時や事変において戦死、戦病死、戦傷死、ないしは公務殉職をした軍人・軍属、さらにそれに準ずる人々ということであったと思います。そのような選定基準で選ばれた御祭神の候補を勅裁を経て靖国神社が合祀するということになっていた。
>戦後はそれがどうなったか。陸海軍省は廃止され、靖国神社は民間の一宗教法人となり、しかも占領中はGHQ は靖国神社に対して大変厳しい目を向けていました。ところが、占領が終わると同時に、遺族会や生き残った戦友たちから、国の為に亡くなった戦没者を早急に靖国神社にお祀りすべきだという議論が沸き起こった。 しかし、彪大な数になる支那事変や大東亜戦争の戦没者を選考するなど、民間の宗教法人となった靖国神社には到底不可能なことです。それで、陸海軍省の後身である第1、第2復員省に始り、そこから復員業務と遺族の援護業務を引き継いだ厚生省が、この問題を担当することになったわけです。
http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou5.html#2
さらに次の記述がありますが、やはり勅裁の有無は不明です。
>戦犯の合祀が歴代政府の厚生行政の一環として行われたことは明らかです。しかも、国民の代表である国会が行った恩給法や援護法の改正に従って、その対象とされた戦犯の方々を、厚生省と都道府県が協力して「祭神名票」として靖国神社に送り、靖国神社はそれによって合祀した。ですから、靖国神社が「勝手に」「密かに」合祀したわけでも何でもない。さきに触れたように、いわば、官民一体の共同作業によって合祀されたわけです。
>こうした事実を無視して、A級戦犯の分祀について「神社が拒んでいる」などと、元首相や政治家が非難するの はまさに天に唾するようなことではないか。
神社側の姿勢には疑問が生じますが、祀られる神々の業績にいささかの曇りも与えるものではありません。
大東亜戦争のような歴史的大事件には、その戦争の責任について、日本流の責任のとらせ方もあると思います。合祀を見合わせるような(数十年とか数百年とか)。昭和天皇にはそうしたお気持ちがあったのかもしれません。
中共が靖国参拝をしきりに批難するのも、日本の権力構造についての深い洞察に基づいてのものかもしれない、はっきりとは説明できませんが。
また、以前中共に配慮して戦犯を分祀しようとし、世間から批難が集まったりもましたが、実は天皇陛下のお心を戴してだったのではないかとも。東条家が強硬に分祀に反対したのはどういう理由だったのでしょうか。ほかのご遺族は同意していたはずです。
さらに昭和天皇がお亡くなりになる何年か前に靖国神社を憂えた御製がありましたが、その本当のお気持ちは何だったのだろうかと、いろいろと想像が膨らんできます。
これは メッセージ 204661 (shinzerosen さん)への返信です.