>>北内部の対立説3/3
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/05/15 01:29 投稿番号: [203418 / 232612]
96年、深刻な飢饉が北朝鮮に襲いかかっているまさにそのとき
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金正日は12月7日に金日成大学を訪れる。北朝鮮の最高学府で、金正日の母校であるこの大学は創立50周年を迎えていた。金正日の長く冗漫な発言の写しが、同行していた何人かの労働党書記の間でうちうちに配布されたのは確かである。それを黄元書記が北朝鮮から外部に持ち出した。黄元書記はその場にいなかったが、党書記として、こうした材料を取り扱える立場にあった。演説のテキストは、結局ソウルの「月刊朝鮮」誌に掲載されることになる。誘拐された映画人(映画監督の申相玉ら)が10年以上前にこっそり録音したテープを別にすれば、97年春の時点では、この文書だけだ金正日の本音を北朝鮮の外部に伝えた唯一の記録となっている。
この発言の中で、金正日はある程度、国家の直面する困難を認めている。彼は言う。「現在解決すべき最も深刻な緊急課題は、穀物問題である。・・・・・食糧問題は無秩序状態をかもしつつある。心痛む出来事があちこちで起きている」。食糧難に急遽対応するため自然発生的に登場した露店の食べ物売りや行商人を金正日は手厳しく批判している。「これは人民の間に自己中心主義を生み落とし、それによって党の階級基盤は崩れるかもしれない。そうなれば、党は大衆の支持を失い、消滅するだろう。これはポーランドやチェコスロバキアの過去の出来事によく示されている」
金正日は経済問題の責任は自分にはないとし、次のように言い張った。自分の父は経済の指導に長い時間をさいていたが、「私には繰り返し、経済の仕事に巻きこまれたら、党務や軍務を適切に処理できなくなってしまうだろうと話していた」。金正日は、自分の任務は重要で、経済問題だけにかかわっているわけにはいかないと言わんとしているかのようだった。「もし私が実務的な経済の仕事まで処理するなら、革命と建設に取り返しのつかない結果をもたらすだろう。・・・・・人民は、党組織に権威があるからではなく、私に権威があるからこそ、今無条件に党中央委員会の指導を受け入れているのであって、こうして公務員はうまく仕事をやれるのである。・・・・・いかなる公務員も私を有効に補佐することはできない。私は一人で働いている」
金正日から惜しみない賞賛を受けた唯一の組織は軍である。金正日は次第に軍に頼るようになっていた。北朝鮮の発表では96年に金正日は47回の行事に出ているが、そのうち30回は軍部隊への訪問、ないし軍関連の仕事である。金日成大学のはっきりしない若者たちと違い、「全兵士は政治的にもイデオロギー的にも健全であり、その革命的軍事精神は高潔だ」と金正日は言う。兵士が「命をかけて革命の中枢[つまり金正日と指導部]を守る」と思い、満悦していたのである。
米国や韓国の情報機関が感づいていたように、金正日の演説は食糧不足が軍にも影響を及ぼしていることを立証した。人民は次のことを知るべきだと金正日は言う。「諸君が軍に米を送らなければ、浅ましい米国人がわれわれを攻撃したとしても、勝ち目はない。そうなれば諸君は奴隷になり、諸君の息子や娘、孫たちも奴隷になるのだ」(『二つのコリア』p462より)
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金日成は自国経済の惨状を最晩年につきつけられ、率直に建て直そうとお考え遊ばせたのかな。
当然建て直し政策には、「改革開放」や「自主思想」を巡って路線対立もあったでしょう。
偉大なる神様のお告げとは言え、北朝鮮国内でも「権力の世襲」には反発があった。
とくに祖国統一戦争の真っ最中にまだ10歳だった新しい権力者は古参の軍人達にとっては、小僧以下の存在。
軍の力をなんとしても掌握することが北朝鮮国民をして金正日に「将軍様」言わしめる所以でしょうか。
軍は十分な武器と訓練に必要な、そして兵士とその家族が満足できる食い扶持を得られるなら、開放路線だろうが、自主路線だろうが、
どっちだって構いやしない。この時軍部の頭がかちんかちんだったから、たまたま「社会主義は科学」路線がひかれたんでしょうかね。
反対に、軍人出身の朴大統領のように開発独裁みたいな要素を当時の北朝鮮人民軍が検討していたら、今の状況はまた違った様相を呈していたでしょうか。
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金正日は12月7日に金日成大学を訪れる。北朝鮮の最高学府で、金正日の母校であるこの大学は創立50周年を迎えていた。金正日の長く冗漫な発言の写しが、同行していた何人かの労働党書記の間でうちうちに配布されたのは確かである。それを黄元書記が北朝鮮から外部に持ち出した。黄元書記はその場にいなかったが、党書記として、こうした材料を取り扱える立場にあった。演説のテキストは、結局ソウルの「月刊朝鮮」誌に掲載されることになる。誘拐された映画人(映画監督の申相玉ら)が10年以上前にこっそり録音したテープを別にすれば、97年春の時点では、この文書だけだ金正日の本音を北朝鮮の外部に伝えた唯一の記録となっている。
この発言の中で、金正日はある程度、国家の直面する困難を認めている。彼は言う。「現在解決すべき最も深刻な緊急課題は、穀物問題である。・・・・・食糧問題は無秩序状態をかもしつつある。心痛む出来事があちこちで起きている」。食糧難に急遽対応するため自然発生的に登場した露店の食べ物売りや行商人を金正日は手厳しく批判している。「これは人民の間に自己中心主義を生み落とし、それによって党の階級基盤は崩れるかもしれない。そうなれば、党は大衆の支持を失い、消滅するだろう。これはポーランドやチェコスロバキアの過去の出来事によく示されている」
金正日は経済問題の責任は自分にはないとし、次のように言い張った。自分の父は経済の指導に長い時間をさいていたが、「私には繰り返し、経済の仕事に巻きこまれたら、党務や軍務を適切に処理できなくなってしまうだろうと話していた」。金正日は、自分の任務は重要で、経済問題だけにかかわっているわけにはいかないと言わんとしているかのようだった。「もし私が実務的な経済の仕事まで処理するなら、革命と建設に取り返しのつかない結果をもたらすだろう。・・・・・人民は、党組織に権威があるからではなく、私に権威があるからこそ、今無条件に党中央委員会の指導を受け入れているのであって、こうして公務員はうまく仕事をやれるのである。・・・・・いかなる公務員も私を有効に補佐することはできない。私は一人で働いている」
金正日から惜しみない賞賛を受けた唯一の組織は軍である。金正日は次第に軍に頼るようになっていた。北朝鮮の発表では96年に金正日は47回の行事に出ているが、そのうち30回は軍部隊への訪問、ないし軍関連の仕事である。金日成大学のはっきりしない若者たちと違い、「全兵士は政治的にもイデオロギー的にも健全であり、その革命的軍事精神は高潔だ」と金正日は言う。兵士が「命をかけて革命の中枢[つまり金正日と指導部]を守る」と思い、満悦していたのである。
米国や韓国の情報機関が感づいていたように、金正日の演説は食糧不足が軍にも影響を及ぼしていることを立証した。人民は次のことを知るべきだと金正日は言う。「諸君が軍に米を送らなければ、浅ましい米国人がわれわれを攻撃したとしても、勝ち目はない。そうなれば諸君は奴隷になり、諸君の息子や娘、孫たちも奴隷になるのだ」(『二つのコリア』p462より)
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金日成は自国経済の惨状を最晩年につきつけられ、率直に建て直そうとお考え遊ばせたのかな。
当然建て直し政策には、「改革開放」や「自主思想」を巡って路線対立もあったでしょう。
偉大なる神様のお告げとは言え、北朝鮮国内でも「権力の世襲」には反発があった。
とくに祖国統一戦争の真っ最中にまだ10歳だった新しい権力者は古参の軍人達にとっては、小僧以下の存在。
軍の力をなんとしても掌握することが北朝鮮国民をして金正日に「将軍様」言わしめる所以でしょうか。
軍は十分な武器と訓練に必要な、そして兵士とその家族が満足できる食い扶持を得られるなら、開放路線だろうが、自主路線だろうが、
どっちだって構いやしない。この時軍部の頭がかちんかちんだったから、たまたま「社会主義は科学」路線がひかれたんでしょうかね。
反対に、軍人出身の朴大統領のように開発独裁みたいな要素を当時の北朝鮮人民軍が検討していたら、今の状況はまた違った様相を呈していたでしょうか。
これは メッセージ 203417 (komash0427 さん)への返信です.