核問題への関与⑥
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/03/20 01:08 投稿番号: [193677 / 232612]
「何もかもストップした」ともと公報担当秘書官は当時を振り返る。
まさにこうした雰囲気のさなかに、IAEAは寧辺の偽装を示す米国の新たな衛星写真を受け取ったのである。そこでIAEAは北朝鮮の核開発をあらゆる次元で明らかにさせる努力を一段と強めることになった。
<筆者(ドン・オーバードーファー)は、94年核危機に関して米韓の政治姿勢に批判的だけど、そうは言っても、そもそもの原因は核の査察にちゃんと応じない北朝鮮の悪意ある姿勢についてはあまり言及していない 。こうした姿勢はこの本を通して一貫している。確かに国内経済以外に関心のないクリントン大統領や国内世論にばかり気を取られて一貫した対北朝鮮政策を打ち出せない金泳三大統領の姿勢は問題が大いにあったと思うけど。By komash0427>
北朝鮮問題を討議するIAEA理事会の前夜、ブリクスは、査察官が寧辺の二つの施設を「訪問」してよいという許可を受け取っていた。この二つは核関連施設と見られたが、北朝鮮側はそのように申告していなかった。施設のひとつは2階建ての建物だが、その一部は巨大な盛り土で覆われ、一見平屋の建物のように見えた。米国の上空写真は、もともとの一階部分で、鉄筋コンクリート製の厚い壁の丸天井が建設されているのを捉えていた――これは核廃棄物を貯蔵するのにぴったりの建物である。IAEA査察官がやってきたときには、1階部分はもはや見えず、査察官はそんなものはないと言われた。上の階は戦車やミサイルを積んだ移動貨車など重兵器であふれていた。北朝鮮はその後、この建物の公式査察を拒否する。これは軍事施設であり査察から除外されるべきだと主張したのである。IAEAはこうした除外を受けいれない。
1992年11月12日、ブリクスは寧辺の査察団長テイスにウィーンから電話を入れ、こう伝えた。われわれは再処理施設と「平屋の建物」との間に塹壕が掘られ、それから見えないように埋められたという議論の余地のない証拠を手に入れているそして「平屋」の地階は核廃棄物貯蔵施設と思われる、と。ブリクスは北朝鮮が近くの野外核廃棄物施設をカムフラージュしようとした明白な証拠もあると話した。ブリクスはテイスに、これらを核施設として申告し査察を認めなければならない、と北朝鮮に伝えるよう指示した。
テイスは北当局がおそらくこの電話を傍受しただろうと気づいていたが、同じに北朝鮮がその要求をのむのは難しいだろうと思った。そこで直ちに寧辺施設の二人の核担当幹部を呼び、IAEAへの最初の申告の修正に協力し、できるだけ誤りを認めない形で、落としていた核廃棄物施設を含めさせようとした。当初、二人の担当官は話が分かり、感謝さえする。だが、おそらく平壌からの指示を受けたからであろう。翌日になると、一転して、テイスを「CIAの手先」と呼び、「米国務省からの指示に基づいた」査察を行おうとしていると激しく罵った。こうして、寧辺の担当官は協力を拒否し、北朝鮮とIAEAとの溝はさらに広がりが深まることになった。
双方は続く3ヶ月間、結論の出ないまま言い争った。IAEAは北朝鮮に化学的に「矛盾する」新たなデータを示した。そしてさらに、北朝鮮が核施設と認めていない二つの疑惑の施設については、本当の目的はこうだという「情報」がある、と漠然と言及した。北朝鮮の政府当局者はくどくどと説明し否認したが、どれもIAEA側には信じられなかった。
1993年1月初め、IAEAの専門家は化学的な矛盾には二つの説明が可能であるとの結論を出した。プルトニウムを抽出する基になったいくつかの核分裂物質は、ソ連が提供した寧辺の小型の実験炉から転用された、未申告かつ未検査のものというのが一つ。そうでなければ、追加の核分裂物質は北朝鮮国産の5メガワット原子炉から転用されたというのが、もう一つである。
もし後者だったとすれば、米情報当局の計算によれば、少なくとも理論上は、完全負荷した核燃料棒から一発ないし二発の核兵器を生産できるだけのプルトニウムを得ることができた(もっとも、そのプルトニウムから爆弾を作るには、さらに本格的な努力が必要となり、北朝鮮にその能力があるとは信じられていなかった)。ともあれ、これを根拠として、米情報当局は最悪のシナリオを想定し、核危機の間、公式見解を明らかにしていくのである。
(続く)
まさにこうした雰囲気のさなかに、IAEAは寧辺の偽装を示す米国の新たな衛星写真を受け取ったのである。そこでIAEAは北朝鮮の核開発をあらゆる次元で明らかにさせる努力を一段と強めることになった。
<筆者(ドン・オーバードーファー)は、94年核危機に関して米韓の政治姿勢に批判的だけど、そうは言っても、そもそもの原因は核の査察にちゃんと応じない北朝鮮の悪意ある姿勢についてはあまり言及していない 。こうした姿勢はこの本を通して一貫している。確かに国内経済以外に関心のないクリントン大統領や国内世論にばかり気を取られて一貫した対北朝鮮政策を打ち出せない金泳三大統領の姿勢は問題が大いにあったと思うけど。By komash0427>
北朝鮮問題を討議するIAEA理事会の前夜、ブリクスは、査察官が寧辺の二つの施設を「訪問」してよいという許可を受け取っていた。この二つは核関連施設と見られたが、北朝鮮側はそのように申告していなかった。施設のひとつは2階建ての建物だが、その一部は巨大な盛り土で覆われ、一見平屋の建物のように見えた。米国の上空写真は、もともとの一階部分で、鉄筋コンクリート製の厚い壁の丸天井が建設されているのを捉えていた――これは核廃棄物を貯蔵するのにぴったりの建物である。IAEA査察官がやってきたときには、1階部分はもはや見えず、査察官はそんなものはないと言われた。上の階は戦車やミサイルを積んだ移動貨車など重兵器であふれていた。北朝鮮はその後、この建物の公式査察を拒否する。これは軍事施設であり査察から除外されるべきだと主張したのである。IAEAはこうした除外を受けいれない。
1992年11月12日、ブリクスは寧辺の査察団長テイスにウィーンから電話を入れ、こう伝えた。われわれは再処理施設と「平屋の建物」との間に塹壕が掘られ、それから見えないように埋められたという議論の余地のない証拠を手に入れているそして「平屋」の地階は核廃棄物貯蔵施設と思われる、と。ブリクスは北朝鮮が近くの野外核廃棄物施設をカムフラージュしようとした明白な証拠もあると話した。ブリクスはテイスに、これらを核施設として申告し査察を認めなければならない、と北朝鮮に伝えるよう指示した。
テイスは北当局がおそらくこの電話を傍受しただろうと気づいていたが、同じに北朝鮮がその要求をのむのは難しいだろうと思った。そこで直ちに寧辺施設の二人の核担当幹部を呼び、IAEAへの最初の申告の修正に協力し、できるだけ誤りを認めない形で、落としていた核廃棄物施設を含めさせようとした。当初、二人の担当官は話が分かり、感謝さえする。だが、おそらく平壌からの指示を受けたからであろう。翌日になると、一転して、テイスを「CIAの手先」と呼び、「米国務省からの指示に基づいた」査察を行おうとしていると激しく罵った。こうして、寧辺の担当官は協力を拒否し、北朝鮮とIAEAとの溝はさらに広がりが深まることになった。
双方は続く3ヶ月間、結論の出ないまま言い争った。IAEAは北朝鮮に化学的に「矛盾する」新たなデータを示した。そしてさらに、北朝鮮が核施設と認めていない二つの疑惑の施設については、本当の目的はこうだという「情報」がある、と漠然と言及した。北朝鮮の政府当局者はくどくどと説明し否認したが、どれもIAEA側には信じられなかった。
1993年1月初め、IAEAの専門家は化学的な矛盾には二つの説明が可能であるとの結論を出した。プルトニウムを抽出する基になったいくつかの核分裂物質は、ソ連が提供した寧辺の小型の実験炉から転用された、未申告かつ未検査のものというのが一つ。そうでなければ、追加の核分裂物質は北朝鮮国産の5メガワット原子炉から転用されたというのが、もう一つである。
もし後者だったとすれば、米情報当局の計算によれば、少なくとも理論上は、完全負荷した核燃料棒から一発ないし二発の核兵器を生産できるだけのプルトニウムを得ることができた(もっとも、そのプルトニウムから爆弾を作るには、さらに本格的な努力が必要となり、北朝鮮にその能力があるとは信じられていなかった)。ともあれ、これを根拠として、米情報当局は最悪のシナリオを想定し、核危機の間、公式見解を明らかにしていくのである。
(続く)
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