60年前のこの日、今から2時間後・・・
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2005/03/09 22:03 投稿番号: [188990 / 232612]
東京大空襲から60年、海老名香葉子さんが慰霊碑
1945年3月10日の東京大空襲から60年がたつのを前に、落語家の故林家三平さんの夫人でエッセイストの海老名香葉子さん(71)が建てた犠牲者の慰霊碑が完成し、9日午前、台東区内の寺で除幕式があった。上野公園には、平和を祈念する母子像も建立し、同日午後に除幕式を開く。海老名さんは「長年の念願がかなった」と話している。
慰霊碑は、高さ約2.3メートル。同区上野桜木の寛永寺が土地を無償で提供した。御影石を使い、書家の稲村雲洞氏による「哀しみの東京大空襲」の文字が刻まれている。
「母子像・時忘れじの塔」は、高さ約3メートル30センチ。女の子が母親のワンピースのすそを握りしめた姿の石像で、時計も付いている。幼い日の海老名さんと母をイメージしたという。完成後、都に寄贈する予定だ。
いずれもイベントで寄金を募るなどして、海老名さんが費用を出した。
海老名さんは60年前には静岡県に疎開。本所区(現墨田区)に住んでいた両親ら家族6人を東京大空襲で一夜にして失い、戦災孤児になった。家族の遺骨はいまも見つかっていない。「若い世代にも東京大空襲を語り継ぐきっかけとしたい」との願いを込めた。 (03/09 14:35)
http://www.asahi.com/national/update/0309/TKY200503090145.html
3月10日
昭和20年3月9日22:30警戒警報発令、二機のB29が東京上空に飛来して房総沖に退去したと見せかけ、都民が安心した10日00:08に第一弾が投下された。東部軍管区司令部はまだ気付いておらず、当然ながら空襲警報も鳴らない。
00:15空襲警報発令、それから約二時間半にわたって波状絨毯爆撃が行われた。
(略)
米軍指揮官の論理
本土空襲の指揮を取っていたカーチス・E・ルメイ将軍は、明かに非戦闘員を狙ったとする批判に対して、戦後の回想記のなかで次の様に述べている。
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…。」
カーチス・E・ルメイ将軍は、グアム島在米爆撃隊司令として、広島・長崎に投下された原子爆弾にも深く係っていた。
昭和39年、日本政府は「日本の航空自衛隊の育成に協力した」との理由から、カーチス・E・ルメイ将軍に対して勲一等旭日大綬章を贈っている。時の総理大臣は、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作だった。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm
体験記
http://www.asahi-net.or.jp/~QT7K-NGC/index4.htm
1945年3月10日の東京大空襲から60年がたつのを前に、落語家の故林家三平さんの夫人でエッセイストの海老名香葉子さん(71)が建てた犠牲者の慰霊碑が完成し、9日午前、台東区内の寺で除幕式があった。上野公園には、平和を祈念する母子像も建立し、同日午後に除幕式を開く。海老名さんは「長年の念願がかなった」と話している。
慰霊碑は、高さ約2.3メートル。同区上野桜木の寛永寺が土地を無償で提供した。御影石を使い、書家の稲村雲洞氏による「哀しみの東京大空襲」の文字が刻まれている。
「母子像・時忘れじの塔」は、高さ約3メートル30センチ。女の子が母親のワンピースのすそを握りしめた姿の石像で、時計も付いている。幼い日の海老名さんと母をイメージしたという。完成後、都に寄贈する予定だ。
いずれもイベントで寄金を募るなどして、海老名さんが費用を出した。
海老名さんは60年前には静岡県に疎開。本所区(現墨田区)に住んでいた両親ら家族6人を東京大空襲で一夜にして失い、戦災孤児になった。家族の遺骨はいまも見つかっていない。「若い世代にも東京大空襲を語り継ぐきっかけとしたい」との願いを込めた。 (03/09 14:35)
http://www.asahi.com/national/update/0309/TKY200503090145.html
3月10日
昭和20年3月9日22:30警戒警報発令、二機のB29が東京上空に飛来して房総沖に退去したと見せかけ、都民が安心した10日00:08に第一弾が投下された。東部軍管区司令部はまだ気付いておらず、当然ながら空襲警報も鳴らない。
00:15空襲警報発令、それから約二時間半にわたって波状絨毯爆撃が行われた。
(略)
米軍指揮官の論理
本土空襲の指揮を取っていたカーチス・E・ルメイ将軍は、明かに非戦闘員を狙ったとする批判に対して、戦後の回想記のなかで次の様に述べている。
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…。」
カーチス・E・ルメイ将軍は、グアム島在米爆撃隊司令として、広島・長崎に投下された原子爆弾にも深く係っていた。
昭和39年、日本政府は「日本の航空自衛隊の育成に協力した」との理由から、カーチス・E・ルメイ将軍に対して勲一等旭日大綬章を贈っている。時の総理大臣は、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作だった。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm
体験記
http://www.asahi-net.or.jp/~QT7K-NGC/index4.htm
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.