2/10東京集会5 有本嘉代子さん(5)
投稿者: aoinomama13 投稿日時: 2005/03/01 13:41 投稿番号: [184746 / 232612]
*撮影したビデオカメラより文字化しました。
http://aoinomama.trycomp.net/
続き
1983年10月が最後に着た手紙で、その後今度は、1988年に北海道の石岡亨さんのところへ手紙がまいりまして、それでその手紙と、それから写真が入っていたんですよね。これが入っていた写真を引き伸ばしてもらったものです。(写真を見せる)そして子どもの写真とね、3枚入っていたんです。
その文面が「北海道の石岡さんと恵子と、それから九州の松木さんと、3人が一緒に力を合わせて平壌に暮らしております」というような手紙でした。だから私はずうっとこの子どもの写真はね、松木さんだと思っていたんです。「松木さん、どうしてそんな外国に行かれるのに、こんな子どもの写真をずうっと持ち歩いていたのかなぁ?」と思って。2人はあの私見たことあるから「これは北朝鮮で撮られた写真だなぁ」って思ったんですけれども、この子どもの写真は「松木さんだ」とずうっと思っていたんですよね。
本当にかなり経ってから、『宿命』という本を書いた「高沢皓司さん」という方がいらっしゃるんですけれども、この方がちょうど震災の年でしたが、あの時に突然訪ねられて来られて、一度来られたんですけれど、私も全然面識が無かったものですから、ちょっと不安だったので主人に「ちょっと外で会ってきて」と、「どんな人かわからないから」ということで、ちょっと外で会ってもらいました。
二度目に来られた時は、朝日放送の石高さんという方がこのことに、この『拉致問題』にずうっと取り組んできた人なんですけれども、この方がご一緒して家まで来てくれたんです。その時初めて、その子どもの写真のことを説明されました。
「これは恵子さんと石岡さんとの間にできた子どもだと思いますよ」とそうおっしゃったから「ああ、そういえばそうだなぁ」って納得がいったんですね。だからその時点までは「この子どもはきっと松木さんだ」と思っていました。
1988年に北海道の石岡亨さんのところへ着たその手紙の中に、結局手紙の用紙も何もなかったんでしょう、もうずうっと持っていたんだろうと思いますが、自分が伊丹を出る時に入った保険の用紙に、そこの字を書いてある上に、自分の手で、住所と名前と書いて、両親の名前を書いて、そして電話番号も書いてありました。石岡さんも自分の字で書いておられました。
ところが松木さんは、その時は「そこに一緒にいなかったんじゃないかな?」って思うんです。その手紙に、これは石岡さんの手で「松木薫さん」と書いてあるんですけど「熊本県熊本市」までしか書いてないんです。だから松木さんには長い間、連絡できなかったんです。住所がキッチリわからなかったものですから。そんな状態で一応「恵子は北朝鮮におる」ということがわかりました。
とにかく私はまあそう思いますが、(北朝鮮から渡された恵子さんの写真)本当にこの写真がかなりやつれております。本当にこの間から特定失踪者の写真がいろいろと出てきておりますけれども、これはもう全然他人さんが見てはったらわからないと思うんです。
これは恵子の写真なんですけど、この顔しか私知らないんです。(写真を見せる)恵子は、大学に行っている、ちょうど入学する頃はこんな顔だったんです。大学の入学式の時は私が付いて行ったものですから、その最寄りの駅で待ち合わせをして一緒に行ったんです。だから私はこの顔しか記憶がありません。
本当に全然顔が変わっていますからね。だからもう、特定失踪者の方でも(北朝鮮から流出した写真を見て)あんなに変わっていたら全然わからないだろうと思います。特徴があるところはありますから、親だからわかりますけれど、あれでは全然わからないだろうと思います。
続く
http://aoinomama.trycomp.net/
続き
1983年10月が最後に着た手紙で、その後今度は、1988年に北海道の石岡亨さんのところへ手紙がまいりまして、それでその手紙と、それから写真が入っていたんですよね。これが入っていた写真を引き伸ばしてもらったものです。(写真を見せる)そして子どもの写真とね、3枚入っていたんです。
その文面が「北海道の石岡さんと恵子と、それから九州の松木さんと、3人が一緒に力を合わせて平壌に暮らしております」というような手紙でした。だから私はずうっとこの子どもの写真はね、松木さんだと思っていたんです。「松木さん、どうしてそんな外国に行かれるのに、こんな子どもの写真をずうっと持ち歩いていたのかなぁ?」と思って。2人はあの私見たことあるから「これは北朝鮮で撮られた写真だなぁ」って思ったんですけれども、この子どもの写真は「松木さんだ」とずうっと思っていたんですよね。
本当にかなり経ってから、『宿命』という本を書いた「高沢皓司さん」という方がいらっしゃるんですけれども、この方がちょうど震災の年でしたが、あの時に突然訪ねられて来られて、一度来られたんですけれど、私も全然面識が無かったものですから、ちょっと不安だったので主人に「ちょっと外で会ってきて」と、「どんな人かわからないから」ということで、ちょっと外で会ってもらいました。
二度目に来られた時は、朝日放送の石高さんという方がこのことに、この『拉致問題』にずうっと取り組んできた人なんですけれども、この方がご一緒して家まで来てくれたんです。その時初めて、その子どもの写真のことを説明されました。
「これは恵子さんと石岡さんとの間にできた子どもだと思いますよ」とそうおっしゃったから「ああ、そういえばそうだなぁ」って納得がいったんですね。だからその時点までは「この子どもはきっと松木さんだ」と思っていました。
1988年に北海道の石岡亨さんのところへ着たその手紙の中に、結局手紙の用紙も何もなかったんでしょう、もうずうっと持っていたんだろうと思いますが、自分が伊丹を出る時に入った保険の用紙に、そこの字を書いてある上に、自分の手で、住所と名前と書いて、両親の名前を書いて、そして電話番号も書いてありました。石岡さんも自分の字で書いておられました。
ところが松木さんは、その時は「そこに一緒にいなかったんじゃないかな?」って思うんです。その手紙に、これは石岡さんの手で「松木薫さん」と書いてあるんですけど「熊本県熊本市」までしか書いてないんです。だから松木さんには長い間、連絡できなかったんです。住所がキッチリわからなかったものですから。そんな状態で一応「恵子は北朝鮮におる」ということがわかりました。
とにかく私はまあそう思いますが、(北朝鮮から渡された恵子さんの写真)本当にこの写真がかなりやつれております。本当にこの間から特定失踪者の写真がいろいろと出てきておりますけれども、これはもう全然他人さんが見てはったらわからないと思うんです。
これは恵子の写真なんですけど、この顔しか私知らないんです。(写真を見せる)恵子は、大学に行っている、ちょうど入学する頃はこんな顔だったんです。大学の入学式の時は私が付いて行ったものですから、その最寄りの駅で待ち合わせをして一緒に行ったんです。だから私はこの顔しか記憶がありません。
本当に全然顔が変わっていますからね。だからもう、特定失踪者の方でも(北朝鮮から流出した写真を見て)あんなに変わっていたら全然わからないだろうと思います。特徴があるところはありますから、親だからわかりますけれど、あれでは全然わからないだろうと思います。
続く
これは メッセージ 184745 (aoinomama13 さん)への返信です.