小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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私のセンチメンタル・ジャーニー ⑤

投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2005/02/20 21:03 投稿番号: [181160 / 232612]
日本政府に心から深く感謝する

  今回の旅行で私が強く感じたのは、日本は戦後六十年で大変な経済復興を遂げたということである。焦土のなかから立ち上がり、ついには世界第二位の経済大国をつくりあげた。その間の努力に、大きな敬意を表したい。

  もう一つ感じたのは、日本人のなかにある伝統や文化が、この六十年間でけっして失われなかったことである。日本人は敗戦の結果、以後は堪え忍ぶしか道がなかった。挙げ句、経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされた。そうしたなかにあっても日本人は、伝続や文化を失わずに来たのである。

  私は一国が経済発展するにあたって、伝統や文化が無用のものであるとは思わない。むしろ不可欠であると考えている。伝統や文化とは、詰まるところその国の道徳体系につながる。その道徳体系において日本は、じつにすばらしいものを維持している。

  今回の族行で強く記憶に残ったのは、さまざまな産業におけるサービスのすばらしさである。金沢では一流旅館ならではのきめ細かいサービスに驚嘆したし、新幹線でも串内サービスの充実ぶりに目を見張った。そこには戦前の日本人がもっていた、生真面目さや細やかさがはっきり感じられた。

「いまの日本の若者はダメだ」という声も聞くが、私はけっしてそうは思わない。彼らは戦前の人たち同様、日本人の美質をきちんと保持している。

  たしかに外見的には、緩んだ部分もあるだろう。だがそれは、かつてあった社会的な縛りから解放されただけで、日本人の多くはいまも社会の規則に従って行動している。社会的な秩序がきちんと保たれ、旅館にせよ鉄道にせよ、それぞれが最高級のサービスを提供している。ここまでできる国は、国際的に見ても、おそらく日本だけではないだろうか。

  さらに私が感じるのは、日本人の国家や社会に対する態度が、ここへ来て大きく変わりはじめたことである。戦後六十年間の忍耐の時期を経て、経済発展を追求するだけでなく、アジアの一員としての自覚をもつようになった。ここで特筆したいのが、外務省の変化である。

  今回の私の日本訪問が発表されたのは十二月半ばである。だが実際には九月の段階で私は日本政府に打診しており、日本政府からの許可も得ていた。ただ十二月十一日の台湾での立法院選挙後のほうが都合がいいということで、少し日を延ばし、正月を日本で過ごすことにした。

  このとき問題になったのが中共対策である。九月の段階で発表すると、中共が反対することは目に見えている。これだと日本政府が困るし、外務省も困る。そこで発表を控え、ビザについても私が日本へ行く一週間前に発給することにしたのである。

  それはど日本政府は私の日本訪問に際して多くの配慮をしてくれた。このことに心から深く感謝の意を表したい。少し前ならこうした話は必ず外務省から漏れていたはずが、今回はまったくなかった。

  これまで外務省には、日本の国益よりも中国の利益を考えているのではないか、とさえ思える一派がいた。戦前の日本ならありえない話で、戦前の日本の官僚は私心をもたず、国のためだけを思って働く人たちであった。終戦のあと、日本を復興させるためにさまざまな努力をしたのも主に、彼ら、戦前からの官僚たちである。ところが、戦後育ちの官僚の意識は変わってしまった。皆個人主義で、国益などほとんど考えていないようにみえる。重要なのは、どうすれば自分が出世するかだけで、その典型が、先に述べたような一派だったのである。

  ところが今回、外務省はおかしな動きを見せなかった。そこからわかるのは、外務省も信念をもって日本の国益を考えるようになったということである。ここに私は、日本の官僚のなかに真のデモクラシーが根づきつつあることを感じる。デモクラシーというのは、けっして個人のことだけを考えるのではない。国民の声を開いて、国民のために働く。それが本当のデモクラシーで、日本の官僚はそのような意識に変わってきたのである。
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