私のセンチメンタル・ジャーニー ④
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2005/02/20 20:59 投稿番号: [181154 / 232612]
新幹線のきめ細やかなサービス
金沢を発ってその日はいったん名古屋に戻り、翌三十一日に京都へ向かった。京都への移動ほ新幹線で、私にとって初めての新幹線の乗車である。新幹線について最もすばらしいと感じるのは、安全性の高さである。日頃のメンテナンスをはじめ、車両の管理、職員の訓練に至るまで、まさに日本人が長年の経験をも.つてつくりあげたマスターピース (傑作)といえる。新幹線についてはよく「三十秒と遅れない」といった定時性の高さを讃える声を聞くが、鉄道でそれ以上に大切なのほ安全性である。その点で私は新幹線を高く評価したい。
乗って驚いたのは、あまりの静かさである。出発したあとも、動いていることをはとんど感じない。止まるときも、気づかないほど静かに止まる。また駅のホームには転落防止用の柵があり、乗り降りする場所だけが開いている。ホームに着いた新幹線は、開いた場所の前でぴたりと止まる。日本人にとっては当たり前の光景かもしれないが、これも大変な驚きであった。
車内サービスとして、新聞各社のニユースを絶えずテロップで流していることにも感心した。さまざまな情報が入ってきて、移動中でも退屈することがない。もう一つ感心したのは、トイレの清潔さである。車内のトイレがきれいかどうかで、列車のレベルがわかる。その点、台湾の列車は恥ずかしいかぎりだが、新幹線のトイレは「美しい」の一言である。しかも客席から少し離れたところにあるため、乗客がトイレのにおいに悩むことがない。これも台湾の列車では考えられない点である。
これらは皆ちょっとした気遣いではあるが、こうした積み重ねが乗客への心地よいサービスへとつながっている。これらは、長年の経験から得られたものであろう。蓄積された経験をきちんと生かしている点が、すばらしいのである。
京都駅で新幹線を降りて向かったのは私の母校、京都大学農学部である。ただ、一部の新開などで報じられたように、残念ながら構内への立ち入りは認められず、外から眺めただけで終わった。
これについて大学側を批判する声もあるようだが、私は大学側の対応はやむをえなかったと思っている。もともと私の大学訪問はスケジュール外のもので、私も大学に対して何の連絡も入れていない。私としては「もし可能なら、昔の教室を少し覗いてみたい」という軽い気持ちだったのだが、突然やって来た私を見て大学側は大いに慌てたはずである。だから大学側を責めるつもりはまったくない。
私が京都を訪問した大きな目的は、大学時代の恩師、柏祐賢教授にお会いすることであった。六十一年ぶりの再会になるが、九十八歳になる柏教授はいまもお元気で、お会いできて本当にうれしかった。この日はほかに大学近くにある銀閣寺や哲学の道などを見て回り、夜は滋賀県まで移動して琵琶湖畔に泊まった。
翌元旦ほ伊吹山からの初日の出を拝み、さらに高月町にある渡岸寺を参拝した。ここは国宝の十一面観世音菩薩で知られる寺で、私も観音堂に上がり、住職から寺の由来などを伺った。その後、京都へ戻って嵐山の吉兆で親しい友人と会食をし、この日は京都駅前のホテルに宿泊した。
二日は清水寺を参拝し、その後、京都市内にある司馬遼太郎氏の墓に参った。これで京都における予定は終わりで、昼過ぎに京都を出て関西国際空港へ向かい、夕方の便で台湾に戻った。以上が、七日間の大まかな内容である。
金沢を発ってその日はいったん名古屋に戻り、翌三十一日に京都へ向かった。京都への移動ほ新幹線で、私にとって初めての新幹線の乗車である。新幹線について最もすばらしいと感じるのは、安全性の高さである。日頃のメンテナンスをはじめ、車両の管理、職員の訓練に至るまで、まさに日本人が長年の経験をも.つてつくりあげたマスターピース (傑作)といえる。新幹線についてはよく「三十秒と遅れない」といった定時性の高さを讃える声を聞くが、鉄道でそれ以上に大切なのほ安全性である。その点で私は新幹線を高く評価したい。
乗って驚いたのは、あまりの静かさである。出発したあとも、動いていることをはとんど感じない。止まるときも、気づかないほど静かに止まる。また駅のホームには転落防止用の柵があり、乗り降りする場所だけが開いている。ホームに着いた新幹線は、開いた場所の前でぴたりと止まる。日本人にとっては当たり前の光景かもしれないが、これも大変な驚きであった。
車内サービスとして、新聞各社のニユースを絶えずテロップで流していることにも感心した。さまざまな情報が入ってきて、移動中でも退屈することがない。もう一つ感心したのは、トイレの清潔さである。車内のトイレがきれいかどうかで、列車のレベルがわかる。その点、台湾の列車は恥ずかしいかぎりだが、新幹線のトイレは「美しい」の一言である。しかも客席から少し離れたところにあるため、乗客がトイレのにおいに悩むことがない。これも台湾の列車では考えられない点である。
これらは皆ちょっとした気遣いではあるが、こうした積み重ねが乗客への心地よいサービスへとつながっている。これらは、長年の経験から得られたものであろう。蓄積された経験をきちんと生かしている点が、すばらしいのである。
京都駅で新幹線を降りて向かったのは私の母校、京都大学農学部である。ただ、一部の新開などで報じられたように、残念ながら構内への立ち入りは認められず、外から眺めただけで終わった。
これについて大学側を批判する声もあるようだが、私は大学側の対応はやむをえなかったと思っている。もともと私の大学訪問はスケジュール外のもので、私も大学に対して何の連絡も入れていない。私としては「もし可能なら、昔の教室を少し覗いてみたい」という軽い気持ちだったのだが、突然やって来た私を見て大学側は大いに慌てたはずである。だから大学側を責めるつもりはまったくない。
私が京都を訪問した大きな目的は、大学時代の恩師、柏祐賢教授にお会いすることであった。六十一年ぶりの再会になるが、九十八歳になる柏教授はいまもお元気で、お会いできて本当にうれしかった。この日はほかに大学近くにある銀閣寺や哲学の道などを見て回り、夜は滋賀県まで移動して琵琶湖畔に泊まった。
翌元旦ほ伊吹山からの初日の出を拝み、さらに高月町にある渡岸寺を参拝した。ここは国宝の十一面観世音菩薩で知られる寺で、私も観音堂に上がり、住職から寺の由来などを伺った。その後、京都へ戻って嵐山の吉兆で親しい友人と会食をし、この日は京都駅前のホテルに宿泊した。
二日は清水寺を参拝し、その後、京都市内にある司馬遼太郎氏の墓に参った。これで京都における予定は終わりで、昼過ぎに京都を出て関西国際空港へ向かい、夕方の便で台湾に戻った。以上が、七日間の大まかな内容である。
これは メッセージ 181151 (mutekinozerosen さん)への返信です.