私のセンチメンタル・ジャーニー ③
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2005/02/20 20:58 投稿番号: [181151 / 232612]
西田哲学から台湾人が学ぶこと
翌三十日の午前中は、かほく市にある「西田幾多郎記念哲学館」を見学した。西田先生は私が長年私淑している思想家で、京都帝国大学の学生時代に先生から直接講義は受けてはいないが、その著作は何冊も読んでおり、いまも私の思想や行動における指針の一つとなっている。
私が西田先生を尊敬するのは、西田発生が明治維新後の近代日本において、「いかにすれば日本が発展するか」を考え続けた人物だからである。当時の日本には北村透谷や中江兆民ら多くの思想家がおり、民主主義や社会主義を日本のなかでどう生かせぼよいか考えていた。そうしたなか西田先生は、先生の基本的な着眼点である「場の論理」を用いて日本人のアイデンティティを説き、国家としての日本の行き方を考えたのである。
いまの台湾は、当時の日本と同じである。「これからどこへ進むべきか」を真剣に考えるべき時期に来ている。かつて私は作家の司馬遼太郎氏に「台湾人に生まれた悲哀」を話し、外来政権ばかりに支配された台湾人の哀しさを語ったものだが、もはや嘆く時代は終わっている。台湾人としてのアイデンティティを確立して突き進む時代で、いまこそ西田哲学を台湾に広めて、台湾人のアイデンティティや国家としての台湾のあり方をしっかり固める必要がある。それこそが「新台湾人」が輩出することにつながると思うのである。
だが私自身、まだまだ考えが至っていない部分も多い。西田先生の考えをもっと学び、台湾なりの考え方を構築する必要がある。西田先生の記念館を訪れることで、また何か新しいことが学べるのではないか。そんな気持ちもあって、記念館を訪れた。館内には私がまだ読んだことのない先生の著作が何冊かあり、それらを購入できたのも大きな収穫であった。
また建物は世界的な建築家、安藤忠雄氏の設計で、日本らしい静けさを感じさせる非常にシンプルなものであった。装飾はほとんどなく、壁にしてもタイルを貼らず、コンクリート剥き出しのままである。樽の一つの姿を表現した建物といえる。庭園も建物に劣らず見事で、開館は二〇〇二年とのことだが、今後もっと有名になるのではないだろうか。
記念館を見学したあとは八田技師の生家へ行き、ゆかりの方々とお会いした。八田家はかなりの篤農家だったのであろう。いまもあたり一帯の地主で、八田技師の兄の息子が家を大事に守っていると伺った。その後、八田技師の墓に参り、金沢での訪問を終えた。
金沢を訪れて感じたのは、やはりここは非常に独特な町だということである。前田家百万石のお膝元であり、江戸時代に大名たちの行き来はほとんどない。参勤交代の際に使われるのはたいてい東海道か中山道で、金沢を通過する大名はほとんどいない。金沢は一種の鎖国状態にあり、そこから前田家を中心とする独特の文化が築かれていった。他方、金沢を中心とする北陸地方では、禅が大陸から伝わった当初、非常に栄えたといわれている。
兼六園や加賀友禅、大樋焼といった文化を生み出す一方、禅のような思想も息づいている。これが他の地域とは違う、独特の価値体系をつくったのではないだろうか。仏教学者の鈴木大拙をはじめ、明治期に多くの偉人が輩出したのも、この地では独特のしっかりした価値観をもつ人が育ちやすかったからのように思う。
翌三十日の午前中は、かほく市にある「西田幾多郎記念哲学館」を見学した。西田先生は私が長年私淑している思想家で、京都帝国大学の学生時代に先生から直接講義は受けてはいないが、その著作は何冊も読んでおり、いまも私の思想や行動における指針の一つとなっている。
私が西田先生を尊敬するのは、西田発生が明治維新後の近代日本において、「いかにすれば日本が発展するか」を考え続けた人物だからである。当時の日本には北村透谷や中江兆民ら多くの思想家がおり、民主主義や社会主義を日本のなかでどう生かせぼよいか考えていた。そうしたなか西田先生は、先生の基本的な着眼点である「場の論理」を用いて日本人のアイデンティティを説き、国家としての日本の行き方を考えたのである。
いまの台湾は、当時の日本と同じである。「これからどこへ進むべきか」を真剣に考えるべき時期に来ている。かつて私は作家の司馬遼太郎氏に「台湾人に生まれた悲哀」を話し、外来政権ばかりに支配された台湾人の哀しさを語ったものだが、もはや嘆く時代は終わっている。台湾人としてのアイデンティティを確立して突き進む時代で、いまこそ西田哲学を台湾に広めて、台湾人のアイデンティティや国家としての台湾のあり方をしっかり固める必要がある。それこそが「新台湾人」が輩出することにつながると思うのである。
だが私自身、まだまだ考えが至っていない部分も多い。西田先生の考えをもっと学び、台湾なりの考え方を構築する必要がある。西田先生の記念館を訪れることで、また何か新しいことが学べるのではないか。そんな気持ちもあって、記念館を訪れた。館内には私がまだ読んだことのない先生の著作が何冊かあり、それらを購入できたのも大きな収穫であった。
また建物は世界的な建築家、安藤忠雄氏の設計で、日本らしい静けさを感じさせる非常にシンプルなものであった。装飾はほとんどなく、壁にしてもタイルを貼らず、コンクリート剥き出しのままである。樽の一つの姿を表現した建物といえる。庭園も建物に劣らず見事で、開館は二〇〇二年とのことだが、今後もっと有名になるのではないだろうか。
記念館を見学したあとは八田技師の生家へ行き、ゆかりの方々とお会いした。八田家はかなりの篤農家だったのであろう。いまもあたり一帯の地主で、八田技師の兄の息子が家を大事に守っていると伺った。その後、八田技師の墓に参り、金沢での訪問を終えた。
金沢を訪れて感じたのは、やはりここは非常に独特な町だということである。前田家百万石のお膝元であり、江戸時代に大名たちの行き来はほとんどない。参勤交代の際に使われるのはたいてい東海道か中山道で、金沢を通過する大名はほとんどいない。金沢は一種の鎖国状態にあり、そこから前田家を中心とする独特の文化が築かれていった。他方、金沢を中心とする北陸地方では、禅が大陸から伝わった当初、非常に栄えたといわれている。
兼六園や加賀友禅、大樋焼といった文化を生み出す一方、禅のような思想も息づいている。これが他の地域とは違う、独特の価値体系をつくったのではないだろうか。仏教学者の鈴木大拙をはじめ、明治期に多くの偉人が輩出したのも、この地では独特のしっかりした価値観をもつ人が育ちやすかったからのように思う。
これは メッセージ 181147 (mutekinozerosen さん)への返信です.