私のセンチメンタル・ジャーニー ①
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2005/02/20 20:54 投稿番号: [181146 / 232612]
先日訪日した李登輝総統の滞在記です。
私のセンチメンタル・ジャーニー
Voice March,2005
伝統や文化が失われていなかった六十年ぶりの日本
六十年ぶりの日本に触れる旅
昨年末の十二月二十七日から一月二日までの七日間、私は日本人の社会や暮らしぶりにじっくり触れる、六十年ぶりの機会を得た。
これまでも戦後二、三回、日本を訪れたことはあったが、ゆっくり余裕をもって、あちこちを見て回る機会は一度もなかった。ことに二〇〇一年四月の訪問は心臓病治療が目的で、他のことをする余裕はほとんどなかった。関西国際空港から岡山の倉敷中央病院へ向かう途中で寄った大阪城が、唯一の印象的な思い出である。
それが今回は妻と息子の嫁、さらに孫娘を伴った家族の観光旅行として、日本を見て回ることができた。日本文化に実地に触れる機会を得られたのは、私にとって最高の収穫であった。
今回の旅行の主な訪問先は、名古屋、金沢、京都の三地域だった。まず、十二月二十七日の夜に台湾から名古屋空港に着き、そのまま名古屋に宿泊した。名古屋は私が大東亜戦争中、第十軍司令部付見習い士官として派遣され、終戦を迎えた地である。当時の名古屋は飛行機の製造など重工業が盛んで、朝から晩までB29の爆撃を受けていた。夜は夜で大量発生するシラミに悩まされ、心落ち着かない日々を過ごしていた。名古屋城ほ空襲でほとんど焼失しており、街自体も空襲により惨憺たる状態であった。
ところが今回名古屋を訪れて驚いたのが、そのあまりの変貌ぶりである。かつて爆撃にあって廃墟と化した面影など微塵もない。そればかりか現在の名古屋は、おそらく都市計画で日本有数の成功を収めた街であろう。街中を広い道路が走っていて、その上を高速道路が通っている。名古屋空港から高速道路に乗り、そこから降りて街中を走ったが、いずれも道幅が広く、どこへ行くにもスムーズである。新しい建物も無数に建ち並び、整備された道路網と相まってきわめて近代的な都市を形づくっていたのである。
翌二十八日は、名古屋城と徳川美術館を訪問した。「尾張名古屋は城でもつ」といわれるように、徳川家康のつくった名古屋城はたしかに見事であった。戦時中は焼失して見ることができなかったが、今回再建されたものを見て、あらためてあの言葉を思い出した。城内を見学しながら天守閣まで上がり、その後、綾川美術館を訪れ、徳川家の遺品などを見学した。
この日の訪問で、私は名古屋という街が近代化した日本を象徴する一つの典型であることを強く感じた。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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