高濃縮ウランの衝撃①
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/02/20 00:30 投稿番号: [180749 / 232612]
「まず、最初にお尋ねしたいことがあります。あなた方は高濃縮ウラン(HEU)の開発計画を極秘で進めていますね?」
すべてはこんな一言から始まった。
2002年10月3日北朝鮮・平壌――。
ブッシュ政権のアジア政策チームで、リチャード・アーミテージ国務副長官と共に要石の役割を担っているジェームズ・ケリー国務次官補(東アジア・太平洋担当)は、日頃の温厚な顔を意識的に引き締めて、最初からこう切り出した。
北朝鮮が用意した会議場の大きなテーブルの反対側にはクリントン前政権時代から、対米交渉で中心的役割を果していた金桂官外務次官が、ケリーと向かい合うように座っていた。
突然の指摘に金桂官は一瞬うろたえた後、やがて怒りに満ちた越えでケリーにこう反論した。
「高濃縮ウランの開発計画など、われわれは持っていない。われわれの政府を転覆するための米国の企てに違いない」
「本当にそうなのでしょうか?」
顔を赤らめながら、なおも高濃縮ウラン開発計画の存在を否定する金桂官を、ケリーは逃さなかった。
「われわれの調べでは、あなた方は数年前、そう、わが国のオルブライト国務長官が平譲を訪問した頃から、高濃縮ウラン開発計画を本格的に立ち上げたと見ています。違いますか?」
ケリーによる訪朝からちょうど2年前の2000年10月――
マドレーヌ・オルブライト国務長官は金正日総書記の招きに応じて、平壌を訪問していた。当時、米側が深刻な安全保障上の問題と見ていた北朝鮮による弾道ミサイル問題と解決すべく”敵陣”に乗り込んだオルブライトは、金正日の巧みな外交パフォーマンスに終始ペースを乱されつづけた。
「われわれは事前の折衝で、オルブライトと金正日の会談がいつ、どこで実現するかを詰めなければならなかった。しかし、われわれに応対した金桂官は間接的な表現で、訪朝の2日目になるとにおわせるだけで、具体的なことは一切知らされなかった。結果、蓋を開けてみれば、金正日は初日からオルブライトと長時間会談し、かつ夜には、まったく想定していなかったマスゲーム見物までさせられてしまった」
オルブライトの先遣隊として平壌入りしていた米政府高官はそう回顧する。
この頃、クリントン政権は北朝鮮による核開発問題を94年に妥結した米朝枠組合意によって基本的には封じ込めているとの前提にたって、北朝鮮外交の最重要課題としてミサイル1点に照準を絞っていた。勢い、”核”に対する視線が甘いものになっていた感は否めない。
「当時、クリントン政権がミサイル問題に焦点をあてたのは、核問題の枠組合意で解決されたと思っていたからだ。その後、テポドン発射の騒ぎがあったことも影響した」
クリントン政権時代、北朝鮮交渉に特化していた米政府高官はこう振り返る。前国防長官ウィリアム・ペリーが99年にクリントン政権に持ち込んだ概念、いわゆる”ペリー・プロセス”では、北朝鮮が金倉里に設けた疑惑の施設などに対する対応と、米朝枠組合意の強化の方向が打ち出されており、次のステップとしてはミサイルが目に入った、とこの高官は説明する。
「高濃縮ウランについて、われわれは北朝鮮がいつも技術を取得しようとしていることは知っていた。私はCIAに対し、私の理解が間違っているかどうかを聞いたが、彼らの答えも『われわれもわからない』だった。高濃縮ウランについて、クリントン時代はいっさい、確固たる証拠はなかった」
当時、オルブライトの側近として北朝鮮政策調整官の肩書きを得て、対北朝鮮交渉の最先端に立っていたウェンディ・シャーマンはそう弁解する。
やはり、クリントン政権で朝鮮半島和平担当大使として北朝鮮と渡り合ったチャールズ・カートマンは、高濃縮ウラン開発計画については「気づいていなかった」としながらも、金倉里での疑惑地下施設のケースを念頭において、「核疑惑の透明性」を増す交渉を始めようとしていた、と説明する。
「一時的にミサイルに関心が言っていたが、それでも米朝枠組合意を忘れてはいなかった。(北朝鮮軍部ナンバー2の)趙明禄の訪米時に発表した共同声明でも、核疑惑の透明性について触れている」とカートマンは言う。
続く)
今夜はヒマなので。
すべてはこんな一言から始まった。
2002年10月3日北朝鮮・平壌――。
ブッシュ政権のアジア政策チームで、リチャード・アーミテージ国務副長官と共に要石の役割を担っているジェームズ・ケリー国務次官補(東アジア・太平洋担当)は、日頃の温厚な顔を意識的に引き締めて、最初からこう切り出した。
北朝鮮が用意した会議場の大きなテーブルの反対側にはクリントン前政権時代から、対米交渉で中心的役割を果していた金桂官外務次官が、ケリーと向かい合うように座っていた。
突然の指摘に金桂官は一瞬うろたえた後、やがて怒りに満ちた越えでケリーにこう反論した。
「高濃縮ウランの開発計画など、われわれは持っていない。われわれの政府を転覆するための米国の企てに違いない」
「本当にそうなのでしょうか?」
顔を赤らめながら、なおも高濃縮ウラン開発計画の存在を否定する金桂官を、ケリーは逃さなかった。
「われわれの調べでは、あなた方は数年前、そう、わが国のオルブライト国務長官が平譲を訪問した頃から、高濃縮ウラン開発計画を本格的に立ち上げたと見ています。違いますか?」
ケリーによる訪朝からちょうど2年前の2000年10月――
マドレーヌ・オルブライト国務長官は金正日総書記の招きに応じて、平壌を訪問していた。当時、米側が深刻な安全保障上の問題と見ていた北朝鮮による弾道ミサイル問題と解決すべく”敵陣”に乗り込んだオルブライトは、金正日の巧みな外交パフォーマンスに終始ペースを乱されつづけた。
「われわれは事前の折衝で、オルブライトと金正日の会談がいつ、どこで実現するかを詰めなければならなかった。しかし、われわれに応対した金桂官は間接的な表現で、訪朝の2日目になるとにおわせるだけで、具体的なことは一切知らされなかった。結果、蓋を開けてみれば、金正日は初日からオルブライトと長時間会談し、かつ夜には、まったく想定していなかったマスゲーム見物までさせられてしまった」
オルブライトの先遣隊として平壌入りしていた米政府高官はそう回顧する。
この頃、クリントン政権は北朝鮮による核開発問題を94年に妥結した米朝枠組合意によって基本的には封じ込めているとの前提にたって、北朝鮮外交の最重要課題としてミサイル1点に照準を絞っていた。勢い、”核”に対する視線が甘いものになっていた感は否めない。
「当時、クリントン政権がミサイル問題に焦点をあてたのは、核問題の枠組合意で解決されたと思っていたからだ。その後、テポドン発射の騒ぎがあったことも影響した」
クリントン政権時代、北朝鮮交渉に特化していた米政府高官はこう振り返る。前国防長官ウィリアム・ペリーが99年にクリントン政権に持ち込んだ概念、いわゆる”ペリー・プロセス”では、北朝鮮が金倉里に設けた疑惑の施設などに対する対応と、米朝枠組合意の強化の方向が打ち出されており、次のステップとしてはミサイルが目に入った、とこの高官は説明する。
「高濃縮ウランについて、われわれは北朝鮮がいつも技術を取得しようとしていることは知っていた。私はCIAに対し、私の理解が間違っているかどうかを聞いたが、彼らの答えも『われわれもわからない』だった。高濃縮ウランについて、クリントン時代はいっさい、確固たる証拠はなかった」
当時、オルブライトの側近として北朝鮮政策調整官の肩書きを得て、対北朝鮮交渉の最先端に立っていたウェンディ・シャーマンはそう弁解する。
やはり、クリントン政権で朝鮮半島和平担当大使として北朝鮮と渡り合ったチャールズ・カートマンは、高濃縮ウラン開発計画については「気づいていなかった」としながらも、金倉里での疑惑地下施設のケースを念頭において、「核疑惑の透明性」を増す交渉を始めようとしていた、と説明する。
「一時的にミサイルに関心が言っていたが、それでも米朝枠組合意を忘れてはいなかった。(北朝鮮軍部ナンバー2の)趙明禄の訪米時に発表した共同声明でも、核疑惑の透明性について触れている」とカートマンは言う。
続く)
今夜はヒマなので。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.