>空気の研究
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/02/17 23:39 投稿番号: [180011 / 232612]
>これは面白いです。
>あるムードが社会なりを支配すると、それを打ち破れなくなるというやつです。
>この空気は理論的なものをまとっているときも、いないときもあるが、絶対的というところがポイントでしょうか。
うーん、読みたくなってきましたぁ。
>(例)幕末は新撰組を含めて世の中、<尊皇攘夷>一色だったはず。
新撰組は屯所で英語の講義を行っていたとか(10年以上前にTBSの「世界 不思議発見」で触れていました。
><大政奉還>直後から<開国>してしまったが、それの反対勢力はほとんどいなくて、
><文明開化>の時代にさっさと入ってしまった。
>結果往来かもしれませんが、こちらにとってはこのスムースな転換は今でも私には謎。
僕にも、とっても謎、謎、謎。
でも攘夷はできなかったけど、「尊皇」は実現しましたね。
尊皇攘夷思想は、江戸中期に始まった国学の流れをひいているそうで。
当時としてはまだ新しい部類の思想でしょうか。
詳しくないんですが、西南諸藩は倒幕理論に利用しただけでしょうかね。
ただ攘夷といっても、日本人は鉄砲伝来のころもそうですが、諸外国の進んだテクノロジーを積極的にとり入れる集団だと思います。
大村益次郎にしろ、佐久間象山にしろ、ほかにも大勢の武士達は(といっても武道に長けているというよりは、どちらかというと、技術者ないしは藩政を担う、いわば官僚)、いわば夷逖のものを積極的に学んでいたようですね。
その辺が中国や朝鮮とは違うんではないかな。
儒教に凝り固まってしまうと、夷逖は絶対に容認しない。
ただ、いくらテクノロジーに関心が高くても、それだけでは国内に「移植」は出来ないと思う。
江戸時代、日本は既に高度な技術を持っていたんじゃないでしょうか。
フライなどの揚げ物の技術は、天ぷらを揚げる技術があったから普及したそうです。
また鉄砲鍛治の技術は自転車の車輪を作る上でとても役に立ったとか。
当時、鉄は国家なりといわれていましたが
鉄を
掘り出す、溶かす、加工する
外国の技術も役に立ったんでしょうが、これを受け入れる事が出来る技術がすでに日本にはあったのでは。
思いついた事を適当に書き連ねていますが...
>堺屋太一は、聖徳太子の<和をもって尊しとす>が日本人の精神を規定した旨説明しているが、日本人がなぜそうなるのか・それが<似合う>理由までは書いていない。
やはりこのあたりにヒントがあるんでしょうか?
弥生時代、集団生活をするために、環濠集落を形成した。
いわば「輪」をつくってその中で協調しあい、稲作に従事し、まつりごとを行う。
そこで尊重されるのはまずもって、「和」。これを大事にする。
では、「和」とは、なにかというと、「話し合い」でものごとを決める。
神様の教えが基準ではなく、みなで「話し合っって決めたことがなによりも大事」となる、と。
このあたりが「空気」につながっているのかもしれません。
因みになぜ倭人というかというと
古代の日本人が中国へ行った時
中国人;「お前はどこの国から、来たのか?」
日本人;「和の国から来た」
中国人;「倭の国か」
倭には曲がったとかいう意味があり、よい意味を持つ言葉ではないそうです。このあたり、化外の地からやってくる異民族に蔑称をつけることが中国人ならではのネーミングといったところでしょうか?
ズレまくりました。
>あるムードが社会なりを支配すると、それを打ち破れなくなるというやつです。
>この空気は理論的なものをまとっているときも、いないときもあるが、絶対的というところがポイントでしょうか。
うーん、読みたくなってきましたぁ。
>(例)幕末は新撰組を含めて世の中、<尊皇攘夷>一色だったはず。
新撰組は屯所で英語の講義を行っていたとか(10年以上前にTBSの「世界 不思議発見」で触れていました。
><大政奉還>直後から<開国>してしまったが、それの反対勢力はほとんどいなくて、
><文明開化>の時代にさっさと入ってしまった。
>結果往来かもしれませんが、こちらにとってはこのスムースな転換は今でも私には謎。
僕にも、とっても謎、謎、謎。
でも攘夷はできなかったけど、「尊皇」は実現しましたね。
尊皇攘夷思想は、江戸中期に始まった国学の流れをひいているそうで。
当時としてはまだ新しい部類の思想でしょうか。
詳しくないんですが、西南諸藩は倒幕理論に利用しただけでしょうかね。
ただ攘夷といっても、日本人は鉄砲伝来のころもそうですが、諸外国の進んだテクノロジーを積極的にとり入れる集団だと思います。
大村益次郎にしろ、佐久間象山にしろ、ほかにも大勢の武士達は(といっても武道に長けているというよりは、どちらかというと、技術者ないしは藩政を担う、いわば官僚)、いわば夷逖のものを積極的に学んでいたようですね。
その辺が中国や朝鮮とは違うんではないかな。
儒教に凝り固まってしまうと、夷逖は絶対に容認しない。
ただ、いくらテクノロジーに関心が高くても、それだけでは国内に「移植」は出来ないと思う。
江戸時代、日本は既に高度な技術を持っていたんじゃないでしょうか。
フライなどの揚げ物の技術は、天ぷらを揚げる技術があったから普及したそうです。
また鉄砲鍛治の技術は自転車の車輪を作る上でとても役に立ったとか。
当時、鉄は国家なりといわれていましたが
鉄を
掘り出す、溶かす、加工する
外国の技術も役に立ったんでしょうが、これを受け入れる事が出来る技術がすでに日本にはあったのでは。
思いついた事を適当に書き連ねていますが...
>堺屋太一は、聖徳太子の<和をもって尊しとす>が日本人の精神を規定した旨説明しているが、日本人がなぜそうなるのか・それが<似合う>理由までは書いていない。
やはりこのあたりにヒントがあるんでしょうか?
弥生時代、集団生活をするために、環濠集落を形成した。
いわば「輪」をつくってその中で協調しあい、稲作に従事し、まつりごとを行う。
そこで尊重されるのはまずもって、「和」。これを大事にする。
では、「和」とは、なにかというと、「話し合い」でものごとを決める。
神様の教えが基準ではなく、みなで「話し合っって決めたことがなによりも大事」となる、と。
このあたりが「空気」につながっているのかもしれません。
因みになぜ倭人というかというと
古代の日本人が中国へ行った時
中国人;「お前はどこの国から、来たのか?」
日本人;「和の国から来た」
中国人;「倭の国か」
倭には曲がったとかいう意味があり、よい意味を持つ言葉ではないそうです。このあたり、化外の地からやってくる異民族に蔑称をつけることが中国人ならではのネーミングといったところでしょうか?
ズレまくりました。
これは メッセージ 179717 (sofiansky2003 さん)への返信です.