小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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金豚研究③

投稿者: hangyosyufu01 投稿日時: 2005/02/17 01:43 投稿番号: [179728 / 232612]
経済改革・開放唱えた「開放派」姿消す



金達玄と金正宇(左から)


  金達玄(キム・ダルヒョン)と金正宇(キム・ジョンウ)。

  金正日(キム・ジョンイル)総書記に厚く信頼され、90年代、北朝鮮の経済改革や開放を主導した経済高官だ。

  しかし、この2人は金総書記の手によって舞台裏に消えてしまった。

  金総書記は日ごろ、自分より一歩前を行く参謀がいないことに不満を漏らすことがあった。

  北朝鮮の内部事情に詳しい専門家らは「しかし、『一歩前を行って下手をすれば、責任を免れない』という雰囲気のせいで、前を行く参謀がいないのが実情」と語る。 金達玄、金正宇らはこうした雰囲気の犠牲者と言える。

  金達玄元副首相は、金総書記が92年7月に経済代表団団長というポストに起用し、「ソウルで学んでくるように」と指示したほど厚い信頼を寄せた人物だ。

  金元副首相はソウルで韓国の目覚しい経済発展を目の当たりにして平壌(ピョンヤン)に帰り、「軍需用電力を民需に転用してはどうか」と主張し、軍部の反発を招いたという。

  また同年10月、韓国の大宇(テウ)・南浦(ナムポ)工団関係者が訪朝した際、「北朝鮮は社会主義国家で市場がなくなったため、資本主義国家と協力しなければならない」というほど開放志向の人物だった。

  金総書記の外祖母(カン・バンソク)の親戚であり、化学、軽工業、貿易専門家で、早くから次期首相候補として目されていた。しかし、93年12月、副首相と労働党政治局候補委員から脱落した。
 
  金元副首相は金日成(キム・イルソン)主席の死後、金総書記が全権を行使した時期にも復権せず、00年12月に死亡した。

  羅津(ナジン)・先鋒(ソンボン)経済特区事業を総指揮した金正宇・元対外経済協力推進委員長(長官クラス)も同じケースだ。

  96年4月、対外経済協力推進委員会・副委員長として訪米し、「国際環境が変わる中で、対外協力を無視するのは時代錯誤」とし、「北朝鮮は資本主義市場経済のメリットを十分知っており、これから資本主義国家の市場参入に重きを置く計画」といった“爆弾宣言”に近い発言をした。

  翌年、スイス・ダボスで開かれた世界経済フォーラム(WEF)にも出席し、市場論理の導入などを説いたが、羅津・先鋒経済特区がうやむやになると姿を消した。98年末、羅津・先鋒経済特区への外国企業誘致に関連し、不正蓄財をしたとする容疑がかけられた。

あれ?さっきは、一部を変更しなければ受け付けてもらえなかったのに?


  97年、WEF東アジア太平洋経済首脳会議に出席し、「南浦と元山(ウォンサン)を保税特区として開放する」と発表し、注目を浴びた金文成(キム・ムンソン)元対外経済委員会副委員長もこの発言以来、98年から行方をくらまし、これまで公の席に姿を見せていない。

権景福(クォン・ギョンボク)記者
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