米中の貿易政策の転換
投稿者: hangyosyufu01 投稿日時: 2005/02/15 00:45 投稿番号: [178932 / 232612]
中国は01年師走にWTOに加盟し、貿易路線を転換している。
そればかりか急激にFTA(自由貿易協定)の締結に熱を入れはじめ、アセアンに異常な熱をこめて近づくのである。
EUに対抗した米国がガット路線を劇的に転換させ「NAFTA(北米貿易自由協定)」を締結した直後から中国が動いたのだ。
統一通貨「ユーロ」に対する米国の不快感は、ドル安、ユーロ高を演出して欧州から輸出競争力を奪った。
ついでASEANの一人歩きに危機感を抱く米国は、オーストラリア主導の「環太平洋貿易協定(APEC)」に政治的情熱を注ぎこみ(これには台湾も加盟)、中国の主導権を警戒し始める。
日本は泥縄式の対応を展開した。
日本国内では中国の動きに呼応するかのように「東アジア共同体評議会」を旗揚げ、2004年5月18日に都内のホテルで中曽根元首相を会長に選んだ。
この設立大会では藪中三十二外務審議官(当時)、田中均外務審議官らが報告を行い、小島朋之らの学者がパネルに加わった。完全な外務省主導である。
もっとも日本の総意は「経済成長のための共同体の試み、或いは現に企業のレベルで起っている様々の活動を支援する仕組みつくり」(白石隆・京都大学教授)に置かれている。
その範囲内だけでの新システム構想であるのなら基本的に賛成である。
だが中国の思惑は異なっている。
ともかく「東アジア共同体」をめぐる駆け引きがアジア外交の要、日中間の議論の首題ともなった。もともとこの構想は、04年7月にジャカルタで開催された「アセアン+3」(ASEANと日中韓の参加国外相会議)で降って湧いたように本格テーマとして登場、熱い議論となっていた。
日本は当初、中国の動きを真剣に捉えていなかった。その出遅れをカバーしようとばかりに2002年1月にシンガポールで「東アジア・コミュニティ構想」をぶち揚げ、さらに2004年9月の国連総会で小泉首相は一般演説に立ち「『アセアン+3』の基礎に立った『東アジア共同体』を提唱する」と発言してしまった。
ところが米国への根回しを欠いたため、パウエル国務長官は「新しい枠組みの必要性を、まだ納得できない」と批判した。東アジア共同体が、APECが存在するのに何故新たに必要なのか、米国はむくれたのだが、その背後にあるのは中国路線に突っ走る日本外務省批判でもある。
しかしラオスのビエンチャンで04年11月29日に開催された「ASEANプラス3(日中韓)」首脳会談では「2020年までに東アジア共同体の実現」に向けて、包括的な経済統合を目指す「ビエンチャン行動計画」が採択された。
アセアンは当初のメンバー六カ国(シンガポール、インドネシア、マレィシア、フィリピン、タイ、ブルネイ)にその後、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーをくわえて10ヶ国である。
一方で中国はソフトな外交も展開した。
海南島ボーアオというリゾート地を選んでダボス会議を真似た「ボーアオ会議」を主宰し、第一回には中曽根元首相が出席し江沢民と握手、第二回は小泉首相が飛んだ。中国の地域覇権を追求するソフトな戦略の一環となった。
中国の日本巻き込み作戦が継続している。
05年1月15日には慶応大学が王毅駐日大使をゲストスピーカーに招いて、「日中関係の再構築」をめぐってのシンポジウムを開催した。同大学東アジア研究所(国分良成所長)が主催し、記念講演は王毅中国大使と藪中三十二(外務省アジア太平洋局長)。パネリストは陸忠偉(中国現代国際関係研究院々長)、王逸舟(中国社会科学院世界経済政治研究所副所長)ら中国人に混じって伊藤元彦(東大教授)、小島朋之(慶応大學教授)、高原明生(立教大学教授)ら。大半が「東アジア共同体」構想の推進者である。
そればかりか急激にFTA(自由貿易協定)の締結に熱を入れはじめ、アセアンに異常な熱をこめて近づくのである。
EUに対抗した米国がガット路線を劇的に転換させ「NAFTA(北米貿易自由協定)」を締結した直後から中国が動いたのだ。
統一通貨「ユーロ」に対する米国の不快感は、ドル安、ユーロ高を演出して欧州から輸出競争力を奪った。
ついでASEANの一人歩きに危機感を抱く米国は、オーストラリア主導の「環太平洋貿易協定(APEC)」に政治的情熱を注ぎこみ(これには台湾も加盟)、中国の主導権を警戒し始める。
日本は泥縄式の対応を展開した。
日本国内では中国の動きに呼応するかのように「東アジア共同体評議会」を旗揚げ、2004年5月18日に都内のホテルで中曽根元首相を会長に選んだ。
この設立大会では藪中三十二外務審議官(当時)、田中均外務審議官らが報告を行い、小島朋之らの学者がパネルに加わった。完全な外務省主導である。
もっとも日本の総意は「経済成長のための共同体の試み、或いは現に企業のレベルで起っている様々の活動を支援する仕組みつくり」(白石隆・京都大学教授)に置かれている。
その範囲内だけでの新システム構想であるのなら基本的に賛成である。
だが中国の思惑は異なっている。
ともかく「東アジア共同体」をめぐる駆け引きがアジア外交の要、日中間の議論の首題ともなった。もともとこの構想は、04年7月にジャカルタで開催された「アセアン+3」(ASEANと日中韓の参加国外相会議)で降って湧いたように本格テーマとして登場、熱い議論となっていた。
日本は当初、中国の動きを真剣に捉えていなかった。その出遅れをカバーしようとばかりに2002年1月にシンガポールで「東アジア・コミュニティ構想」をぶち揚げ、さらに2004年9月の国連総会で小泉首相は一般演説に立ち「『アセアン+3』の基礎に立った『東アジア共同体』を提唱する」と発言してしまった。
ところが米国への根回しを欠いたため、パウエル国務長官は「新しい枠組みの必要性を、まだ納得できない」と批判した。東アジア共同体が、APECが存在するのに何故新たに必要なのか、米国はむくれたのだが、その背後にあるのは中国路線に突っ走る日本外務省批判でもある。
しかしラオスのビエンチャンで04年11月29日に開催された「ASEANプラス3(日中韓)」首脳会談では「2020年までに東アジア共同体の実現」に向けて、包括的な経済統合を目指す「ビエンチャン行動計画」が採択された。
アセアンは当初のメンバー六カ国(シンガポール、インドネシア、マレィシア、フィリピン、タイ、ブルネイ)にその後、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーをくわえて10ヶ国である。
一方で中国はソフトな外交も展開した。
海南島ボーアオというリゾート地を選んでダボス会議を真似た「ボーアオ会議」を主宰し、第一回には中曽根元首相が出席し江沢民と握手、第二回は小泉首相が飛んだ。中国の地域覇権を追求するソフトな戦略の一環となった。
中国の日本巻き込み作戦が継続している。
05年1月15日には慶応大学が王毅駐日大使をゲストスピーカーに招いて、「日中関係の再構築」をめぐってのシンポジウムを開催した。同大学東アジア研究所(国分良成所長)が主催し、記念講演は王毅中国大使と藪中三十二(外務省アジア太平洋局長)。パネリストは陸忠偉(中国現代国際関係研究院々長)、王逸舟(中国社会科学院世界経済政治研究所副所長)ら中国人に混じって伊藤元彦(東大教授)、小島朋之(慶応大學教授)、高原明生(立教大学教授)ら。大半が「東アジア共同体」構想の推進者である。
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