権力を守るため人種対立を煽る
投稿者: hangyosyufu01 投稿日時: 2005/02/13 01:51 投稿番号: [178054 / 232612]
人口1200万人のジンバブエで、白人は1%以下の7万人しかいないが、農地の6割は今も白人の農場で、黒人就労人口の1割を白人農園が雇用している。
白人の農場を没収しなかったことで、独立後もタバコを中心とする農産物の輸出を順調に続けることができた。ジンバブエは、アフリカで黒人と白人が和合している数少ない国の一つで、隣の南アフリカがアパルトヘイトから脱却するためのモデルと考えられていた。
ところが最近ジンバブエでは、この特長が新たな対立の火種となっている。かつて模範的な指導者といわれたムガベの政策は今や失敗し、経済は破綻したが、それを批判する国民の目を他にそらすため、白人と黒人の対立をことさらに煽り、白人農園主が何人も殺されることになった。国家運営に失敗したら、民族対立や地域格差を煽って政治生命を維持するという、指導者の「定石」が展開されている。
ジンバブエは独立時の取り決めで、白人農園主から政府が土地を市場価格で買い取り、それを黒人の貧しい人々に再分配する計画だった。だが独立後、数年間の好景気時代が過ぎると、鉱物資源の相場が下がったり、政治家の人気取りのための無理な建設事業を続けたりしたため、財政が悪化し、白人から土地を買う予算がなくなってしまった。
政策のまずさを野党などから批判され出した1990年、ムガベは批判をかわすため、白人から黒人への農地の移転を加速すると表明し、イギリスやアメリカ、国際機関などから資金を借り、白人の農場を政府が購入して黒人に分配した。
ちょうど冷戦が終わり、英米は世界的な「市場原理」の導入を画策しはじめたときで、タバコなど輸出作物を作る黒人の農園経営者を育成するというムガベの政策が、援助を得るうまい口上となった。
だが、土地の配分を受けた黒人農民の多くは、輸出できる水準の作物を作るにはどうしたらいいか、という営農技術を何も教えてもらえないまま、土地だけ与えられたため、土地利用の効率は下がった。農民自身が消費する作物を作るだけの土地が増え、農産物の輸出が減ることになった。
その後、優先的に土地の分配を受けた人の多くが、ムガベ大統領や政府高官の親族や関係者だったことが新聞で暴露された。これを機にイギリスなどは、ムガベ政権が白人の土地を買うための資金の融資を渋り出した。
生活水準は独立前より下がった
窮したムガベ大統領は「イギリスの植民地となり、黒人が先祖代々耕してきた農地を白人に奪われたとき、黒人は何の補償も受けられなかった。だから今、白人が独占する農地を没収して黒人に返しても、ジンバブエ政府は何も補償する義務はない。白人が補償を求めるとしたら、その相手はイギリス政府になるはずだ」という主張を始めた。
この問題は、ジンバブエの独立が承認された際、ムガベを指導者とする黒人勢力と、白人農場主の勢力、イギリス政府の三者間で、独立後に白人が所有する農場を没収せず、市場価格で買い取るという合意ができていた。それに反する主張だったため、英米はジンバブエに対する支援を打ち切った。
1997年には、国際金融危機の影響でジンバブエの通貨も急落して外貨が底をつき、ムガベはIMFに支援を求めたが、土地問題での譲歩を拒否したため、断られた。外貨の裏付けがないままお札を刷り続けたのでインフレがひどくなり、失業率も7割に達した。国民の平均所得は、20年前の独立当時より3割も下がってしまった。
1999年後半、ムガベは憲法の改訂を提案した。「政府は白人の土地を没収できる」という条項を加えることが改訂の主眼だと宣伝されたが、本当の目的は別のところにあった。改憲には、大統領経験者が一生逮捕されない権利など、自らの権力を強化する項目が、いくつも盛り込まれていた。
http://tanakanews.com/a0501zimbabwe.htm
白人の農場を没収しなかったことで、独立後もタバコを中心とする農産物の輸出を順調に続けることができた。ジンバブエは、アフリカで黒人と白人が和合している数少ない国の一つで、隣の南アフリカがアパルトヘイトから脱却するためのモデルと考えられていた。
ところが最近ジンバブエでは、この特長が新たな対立の火種となっている。かつて模範的な指導者といわれたムガベの政策は今や失敗し、経済は破綻したが、それを批判する国民の目を他にそらすため、白人と黒人の対立をことさらに煽り、白人農園主が何人も殺されることになった。国家運営に失敗したら、民族対立や地域格差を煽って政治生命を維持するという、指導者の「定石」が展開されている。
ジンバブエは独立時の取り決めで、白人農園主から政府が土地を市場価格で買い取り、それを黒人の貧しい人々に再分配する計画だった。だが独立後、数年間の好景気時代が過ぎると、鉱物資源の相場が下がったり、政治家の人気取りのための無理な建設事業を続けたりしたため、財政が悪化し、白人から土地を買う予算がなくなってしまった。
政策のまずさを野党などから批判され出した1990年、ムガベは批判をかわすため、白人から黒人への農地の移転を加速すると表明し、イギリスやアメリカ、国際機関などから資金を借り、白人の農場を政府が購入して黒人に分配した。
ちょうど冷戦が終わり、英米は世界的な「市場原理」の導入を画策しはじめたときで、タバコなど輸出作物を作る黒人の農園経営者を育成するというムガベの政策が、援助を得るうまい口上となった。
だが、土地の配分を受けた黒人農民の多くは、輸出できる水準の作物を作るにはどうしたらいいか、という営農技術を何も教えてもらえないまま、土地だけ与えられたため、土地利用の効率は下がった。農民自身が消費する作物を作るだけの土地が増え、農産物の輸出が減ることになった。
その後、優先的に土地の分配を受けた人の多くが、ムガベ大統領や政府高官の親族や関係者だったことが新聞で暴露された。これを機にイギリスなどは、ムガベ政権が白人の土地を買うための資金の融資を渋り出した。
生活水準は独立前より下がった
窮したムガベ大統領は「イギリスの植民地となり、黒人が先祖代々耕してきた農地を白人に奪われたとき、黒人は何の補償も受けられなかった。だから今、白人が独占する農地を没収して黒人に返しても、ジンバブエ政府は何も補償する義務はない。白人が補償を求めるとしたら、その相手はイギリス政府になるはずだ」という主張を始めた。
この問題は、ジンバブエの独立が承認された際、ムガベを指導者とする黒人勢力と、白人農場主の勢力、イギリス政府の三者間で、独立後に白人が所有する農場を没収せず、市場価格で買い取るという合意ができていた。それに反する主張だったため、英米はジンバブエに対する支援を打ち切った。
1997年には、国際金融危機の影響でジンバブエの通貨も急落して外貨が底をつき、ムガベはIMFに支援を求めたが、土地問題での譲歩を拒否したため、断られた。外貨の裏付けがないままお札を刷り続けたのでインフレがひどくなり、失業率も7割に達した。国民の平均所得は、20年前の独立当時より3割も下がってしまった。
1999年後半、ムガベは憲法の改訂を提案した。「政府は白人の土地を没収できる」という条項を加えることが改訂の主眼だと宣伝されたが、本当の目的は別のところにあった。改憲には、大統領経験者が一生逮捕されない権利など、自らの権力を強化する項目が、いくつも盛り込まれていた。
http://tanakanews.com/a0501zimbabwe.htm
これは メッセージ 177918 (mutekinozerosen さん)への返信です.