9月17日の謀略①
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/02/04 23:44 投稿番号: [175177 / 232612]
(中略)
北朝鮮側から日本人拉致被害者(当時は「8件11人」)について消息が示されたのはこの日の午前10時だった(あるいはそれ以前に示されていたかも知れないが、少なくとも公式的にはこのときである)。これは北朝鮮赤十字から日本赤十字宛の文書であり、A4一枚の簡単なものが正式書類で、これにA4二枚の「非公式リスト」がついていた。
この非公式リストには全員の誕生日と、北朝鮮が死亡と言ってきた人については死亡の日付が入っていた。ところが、この約6時間後(午後4時)、東京の外務省飯倉公館で福田官房長官、植竹外務副大臣が被害者家族に消息を伝えたときは「死亡」とされた人については家族が「いつ死んだのですか」と聞いても「分かりません」というだけだった。
これは明らかに作為によるものだ。平壌から東京に通知する段階で故意に送らなかったか、あるいは東京で家族に伝えなかったかとしか考えられない。「何度も確認しました」という植竹副大臣の言葉は今も私(筆者=荒木さん)の耳に残っている。
このとき、家族に正確に伝えるとすればこうするべきだ。「北朝鮮側が次のような情報を出してきました。横田めぐみさんは1993年3月13日に死亡しており(事実とすれば29歳)平壌に娘さんが生きているとの内容です。しかしこれはあくまで北朝鮮側が通知してきただけですので確認されたものではありません。」
政府はたびたび「情報は家族に最初に伝える」と言っている。それならなぜ家族への報告の前にテレビが報道しはじめたのかも不思議だ。飯倉公館のホールで待たされているうちに、そこに置かれていたテレビからは「だれだれが死亡、だれだれが生存」と、選挙の開票速報のように報道されていたのだから。これは先にリークして既成事実化しようというやり方であろう。6時間の余裕がありながらわずか3枚の文書を翻訳できなかったとは考えられない。これがミスであるとするなら大変なことだが、その責任を取った形跡もないことからすると、このとき政府はあえて北朝鮮側の発表をそのまま事実として伝え、家族が安否情報に疑義を抱くような内容は伝えないことにしようとしたとしか考えられないのだ。
しかも、北朝鮮の情報を確認していなかったことが明らかになったのはほとんど偶然に近かった。9月17日の昼、梅本公使が蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、ヘギョンちゃんに会ったことは聞いていた。しかし私たちは梅本公使が会談終了後直ちにロンドンに戻っていると思っていたのである。まさか梅本氏が東京にいるとは思っていなかった。9月18日の昼、私は政府の発表に疑問を感じながらも、「ああ言うのだから、それなりに根拠はあるのだろう」と半ば絶望に近い思いで宿泊していた港区のホテル三田会館の部屋を片づけていた。まもなくチェックアウトをしようとしていたとき、平沢勝栄議員から電話が入り、「梅本公使が明日(9月19日)にロンドンへ発つが今日なら会えるかもしれない」とのことであわてて連絡を取った川崎の自宅に向かった横田さんのご家族にUターンしてもらい、東京に残っていて連絡のついた蓮池さんのご両親及び兄の透さんと会うことにした。最初は外務省は梅本公使がどこにいるか分からないと言っていた。「公使がつかまらなかったら同席した事務官が会うことになるかも知れない」というので、それでもいいからと頼んだところ、結果的に夕方5時半になって公使に会えるとの連絡があったのである。梅本氏は「ご家族にお知らせしようと思っていた」と言っていたが、翌日帰任する予定になっていたのだから、この経緯からそれは嘘であったことは明らかだ。
そしてこのとき外務省できかされたのは「何も確認していない」との返答だった。私は死刑宣告を聞くような思いで行ったのだが、この言葉には思わずわが耳を疑った。「それなら訂正してください」との要求に梅本氏は「上司に相談して」と言うばかりだった。
北朝鮮側から日本人拉致被害者(当時は「8件11人」)について消息が示されたのはこの日の午前10時だった(あるいはそれ以前に示されていたかも知れないが、少なくとも公式的にはこのときである)。これは北朝鮮赤十字から日本赤十字宛の文書であり、A4一枚の簡単なものが正式書類で、これにA4二枚の「非公式リスト」がついていた。
この非公式リストには全員の誕生日と、北朝鮮が死亡と言ってきた人については死亡の日付が入っていた。ところが、この約6時間後(午後4時)、東京の外務省飯倉公館で福田官房長官、植竹外務副大臣が被害者家族に消息を伝えたときは「死亡」とされた人については家族が「いつ死んだのですか」と聞いても「分かりません」というだけだった。
これは明らかに作為によるものだ。平壌から東京に通知する段階で故意に送らなかったか、あるいは東京で家族に伝えなかったかとしか考えられない。「何度も確認しました」という植竹副大臣の言葉は今も私(筆者=荒木さん)の耳に残っている。
このとき、家族に正確に伝えるとすればこうするべきだ。「北朝鮮側が次のような情報を出してきました。横田めぐみさんは1993年3月13日に死亡しており(事実とすれば29歳)平壌に娘さんが生きているとの内容です。しかしこれはあくまで北朝鮮側が通知してきただけですので確認されたものではありません。」
政府はたびたび「情報は家族に最初に伝える」と言っている。それならなぜ家族への報告の前にテレビが報道しはじめたのかも不思議だ。飯倉公館のホールで待たされているうちに、そこに置かれていたテレビからは「だれだれが死亡、だれだれが生存」と、選挙の開票速報のように報道されていたのだから。これは先にリークして既成事実化しようというやり方であろう。6時間の余裕がありながらわずか3枚の文書を翻訳できなかったとは考えられない。これがミスであるとするなら大変なことだが、その責任を取った形跡もないことからすると、このとき政府はあえて北朝鮮側の発表をそのまま事実として伝え、家族が安否情報に疑義を抱くような内容は伝えないことにしようとしたとしか考えられないのだ。
しかも、北朝鮮の情報を確認していなかったことが明らかになったのはほとんど偶然に近かった。9月17日の昼、梅本公使が蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、ヘギョンちゃんに会ったことは聞いていた。しかし私たちは梅本公使が会談終了後直ちにロンドンに戻っていると思っていたのである。まさか梅本氏が東京にいるとは思っていなかった。9月18日の昼、私は政府の発表に疑問を感じながらも、「ああ言うのだから、それなりに根拠はあるのだろう」と半ば絶望に近い思いで宿泊していた港区のホテル三田会館の部屋を片づけていた。まもなくチェックアウトをしようとしていたとき、平沢勝栄議員から電話が入り、「梅本公使が明日(9月19日)にロンドンへ発つが今日なら会えるかもしれない」とのことであわてて連絡を取った川崎の自宅に向かった横田さんのご家族にUターンしてもらい、東京に残っていて連絡のついた蓮池さんのご両親及び兄の透さんと会うことにした。最初は外務省は梅本公使がどこにいるか分からないと言っていた。「公使がつかまらなかったら同席した事務官が会うことになるかも知れない」というので、それでもいいからと頼んだところ、結果的に夕方5時半になって公使に会えるとの連絡があったのである。梅本氏は「ご家族にお知らせしようと思っていた」と言っていたが、翌日帰任する予定になっていたのだから、この経緯からそれは嘘であったことは明らかだ。
そしてこのとき外務省できかされたのは「何も確認していない」との返答だった。私は死刑宣告を聞くような思いで行ったのだが、この言葉には思わずわが耳を疑った。「それなら訂正してください」との要求に梅本氏は「上司に相談して」と言うばかりだった。
これは メッセージ 175169 (sadatajp さん)への返信です.