母ミヨシさんの誕生日に手記
投稿者: komash0427 投稿日時: 2004/12/29 20:25 投稿番号: [167808 / 232612]
電脳さんから拝借
News : 曽我ひとみさん:母ミヨシさんの誕生日に手記
投稿者 kaoru 投稿日時 2004-12-29 9:07:02 (79 ヒット)
北朝鮮による拉致被害者で佐渡市の曽我ひとみさん(45)が28日、一緒に拉致され安否不明となっている母ミヨシさん(当時46歳)が73歳の誕生日を迎えたのを機に手記を発表した。「会える日が必ず来ることを信じ、家族みんなで帰りを待っている」と再会への思いを切々と語った。
手記はミヨシさんへのメッセージの形。1週間前にミヨシさんから手紙をもらう夢を見たことにちなみ、タイトルは「初めての手紙」とした。
同市の帰国家族支援室によると、曽我さんは25日夜に手記を書いた。呼びかけの形式は曽我さんが強く望んだという。【磯野保、鳴海崇】
■曽我ひとみさんの手記の全文は次の通り。
初めての手紙
お母さん、73歳の誕生日おめでとうございます。
本当に、本当におめでとう。心から感謝の気持ちを贈ります。もう73歳になったんですネ。
今日は、どんな事をして過ごしましたか。きっとお母さんも一人で淋(さび)しい誕生日を過ごしているんでしょうね。私も同じです。もし今私の目の前に現れたら、すぐにでも走って行って強く抱きしめてねぎらいの言葉をかけ、誕生日プレゼントをあげたい。そして、思い切り親孝行をしたいです。きっとお母さんも私に甘えたいでしょう。
今まで誕生日に特別なことをしてあげられなかった自分がとても悔やまれてなりません。私と妹の誕生日には必ずプレゼントを買ってくれました。だけど、自分の誕生日には「誕生日なんかいいよ。3日もすれば又(また)一つ年をとるんだから」と明るく話していたお母さん。73歳になって、今年こそは、今年こそはと毎年待っていたお母さんの誕生日。冬の寒い日だったけど、お母さんといるだけで暖かく思えました。だけど、もう26年以上お母さんの顔を見ることはないままです。ただただ願うことは、元気でいてほしい、そしてきっと会う日が来る、それだけを信じて今まで生きてきました。これからも、そうして生きていくでしょう。
1週間前に夢でお母さんから1通の手紙をもらいました。生まれて初めてのお母さんからの手紙でした。手紙の内容はぼんやりとしていて読みずらかったけど、確かにお母さんの字でした。
その時、私は心より思いました。(お母さんはやっぱり生きているんだ)、そして「心配しないで」と、手紙を送ってくれたのだと。とても嬉(うれ)しくて、ほっとした気持ちになりました。
私のお母さんは、世界にたった一人、そして、何にも代えられない一番愛している存在なのです。
ある時、心ない人が「あなたのお母さんは死にました」と私に向かって言いました。その日は一晩中泣き明かし、そんなことは絶対ないと思いながら、自分自身を責めました。自分自身を責めることでお母さんが帰ってきてくれるならば、この先もずっと自分を責めるでしょう。そして、その結果としてお母さんに会えたなら、私はいっぱいいっぱい謝るでしょう。謝っても謝っても謝り切れないかもしれません。
「本当にごめんなさい。私はいつもいつも信じています。優しいお母さんに会える日が必ず来るということを……」
お母さん、今お父さんは病院のベッドの中です。自分の誕生日よりお母さんの誕生日をよく覚えています。時々弱音をはく時があるのですが、そんな時は早く元気になってお母さんの帰りを待たなければいけないと励ましています。お父さんの頭の中には未(いま)だに45歳のお母さんしかないようです。淋しそうなお父さんの顔を見るのがとてもつらいです。でも私たちよりお母さんの方が大変なんですよね。よく分かっています。何もできない自分が嫌になります。
もうすぐお正月です。こたつに入ってみかんを食べながらテレビを見て、年越しそばを食べて、そんな平凡なお正月をお母さんと一緒にゆっくりと過ごしたいと思っています。
お母さん、今はおばあさんになったんですよ。美花の顔を見ていると、だんだんお母さんに似てきて時々ハッとすることがあります。1日も早く娘たちに会わせてあげたいです。そして、お母さんの喜ぶ顔が見たいです。家族みんなでお母さんの帰りを待っています。
世界一大好きなお母さんへ
ひとみより
・・・・・・・・・・・・・・
みなさん 絶対に曽我さんのおかあさんを救い出しましょうね。
News : 曽我ひとみさん:母ミヨシさんの誕生日に手記
投稿者 kaoru 投稿日時 2004-12-29 9:07:02 (79 ヒット)
北朝鮮による拉致被害者で佐渡市の曽我ひとみさん(45)が28日、一緒に拉致され安否不明となっている母ミヨシさん(当時46歳)が73歳の誕生日を迎えたのを機に手記を発表した。「会える日が必ず来ることを信じ、家族みんなで帰りを待っている」と再会への思いを切々と語った。
手記はミヨシさんへのメッセージの形。1週間前にミヨシさんから手紙をもらう夢を見たことにちなみ、タイトルは「初めての手紙」とした。
同市の帰国家族支援室によると、曽我さんは25日夜に手記を書いた。呼びかけの形式は曽我さんが強く望んだという。【磯野保、鳴海崇】
■曽我ひとみさんの手記の全文は次の通り。
初めての手紙
お母さん、73歳の誕生日おめでとうございます。
本当に、本当におめでとう。心から感謝の気持ちを贈ります。もう73歳になったんですネ。
今日は、どんな事をして過ごしましたか。きっとお母さんも一人で淋(さび)しい誕生日を過ごしているんでしょうね。私も同じです。もし今私の目の前に現れたら、すぐにでも走って行って強く抱きしめてねぎらいの言葉をかけ、誕生日プレゼントをあげたい。そして、思い切り親孝行をしたいです。きっとお母さんも私に甘えたいでしょう。
今まで誕生日に特別なことをしてあげられなかった自分がとても悔やまれてなりません。私と妹の誕生日には必ずプレゼントを買ってくれました。だけど、自分の誕生日には「誕生日なんかいいよ。3日もすれば又(また)一つ年をとるんだから」と明るく話していたお母さん。73歳になって、今年こそは、今年こそはと毎年待っていたお母さんの誕生日。冬の寒い日だったけど、お母さんといるだけで暖かく思えました。だけど、もう26年以上お母さんの顔を見ることはないままです。ただただ願うことは、元気でいてほしい、そしてきっと会う日が来る、それだけを信じて今まで生きてきました。これからも、そうして生きていくでしょう。
1週間前に夢でお母さんから1通の手紙をもらいました。生まれて初めてのお母さんからの手紙でした。手紙の内容はぼんやりとしていて読みずらかったけど、確かにお母さんの字でした。
その時、私は心より思いました。(お母さんはやっぱり生きているんだ)、そして「心配しないで」と、手紙を送ってくれたのだと。とても嬉(うれ)しくて、ほっとした気持ちになりました。
私のお母さんは、世界にたった一人、そして、何にも代えられない一番愛している存在なのです。
ある時、心ない人が「あなたのお母さんは死にました」と私に向かって言いました。その日は一晩中泣き明かし、そんなことは絶対ないと思いながら、自分自身を責めました。自分自身を責めることでお母さんが帰ってきてくれるならば、この先もずっと自分を責めるでしょう。そして、その結果としてお母さんに会えたなら、私はいっぱいいっぱい謝るでしょう。謝っても謝っても謝り切れないかもしれません。
「本当にごめんなさい。私はいつもいつも信じています。優しいお母さんに会える日が必ず来るということを……」
お母さん、今お父さんは病院のベッドの中です。自分の誕生日よりお母さんの誕生日をよく覚えています。時々弱音をはく時があるのですが、そんな時は早く元気になってお母さんの帰りを待たなければいけないと励ましています。お父さんの頭の中には未(いま)だに45歳のお母さんしかないようです。淋しそうなお父さんの顔を見るのがとてもつらいです。でも私たちよりお母さんの方が大変なんですよね。よく分かっています。何もできない自分が嫌になります。
もうすぐお正月です。こたつに入ってみかんを食べながらテレビを見て、年越しそばを食べて、そんな平凡なお正月をお母さんと一緒にゆっくりと過ごしたいと思っています。
お母さん、今はおばあさんになったんですよ。美花の顔を見ていると、だんだんお母さんに似てきて時々ハッとすることがあります。1日も早く娘たちに会わせてあげたいです。そして、お母さんの喜ぶ顔が見たいです。家族みんなでお母さんの帰りを待っています。
世界一大好きなお母さんへ
ひとみより
・・・・・・・・・・・・・・
みなさん 絶対に曽我さんのおかあさんを救い出しましょうね。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.