生存説の根拠
投稿者: tachstone 投稿日時: 2004/12/25 07:59 投稿番号: [166991 / 232612]
として「死亡と決め付ける証左がない。遺骨がない」説にしがみ付いているのがいるが、周囲の事も考慮すべきだ。
仮に生存しているとして、北朝鮮に果たして「生存」を隠蔽する理由があるか?これだけでも十分なのだが、
仮に「生存」を隠蔽する理由があったとしても、被害者が死亡するまで、つまり今後少なくとも30年隠蔽し続けることが可能かどうか?誰が見ても不可能だ。もしその事があとで明らかになれば、それこそ北朝鮮の国際的信用はなくなってしまう。
だから、『「生存」の隠蔽』はあり得ない。
「生存の隠蔽」があり得るとすれば、被害者自身が帰国を望んでいない場合だろう。この場合は、後に隠蔽が公になっても、本人たちが望んだからと言う事で、北朝鮮の責任ではないという弁明が成り立つからだ。
然し、これも一般論として可能性が薄いのではないか?
であれば、死亡そのものについては、厳しい判断だが、間違いないという事になる。
世論の中には、自分が「被害者である」と錯覚してしまい、前後の見境を失ってしまっているのが多い。
当事者でない限り、被害者とは当然距離を置いて事件を見るべきである。つまり、拉致被害者を思うのは当然としても、12000万人の国民をしっかり見つめた上での事件解決でなければならない。
換言すると、「家族会」の煽動に付和雷同すべきではないと言う事だ。
「家族会」に情的に溺れてしまう事は亡国の道をまっしぐらに進む事と同じである。
太平洋戦争を見るがよい。右翼政治家、軍部の「鬼畜米英」の煽動に国民のほとんどが乗ってしまい、数百万の同朋を犬死させるに至った。
さらに原爆を落されて、百数十万人の犠牲者を出した。そうして敗戦後は「鬼畜」であるはずのアメリカ兵に「チョコレート、チョコレート」と手を出した日本人を思い出すがよい。
結果が出た後で、本当は「鬼畜米英ではなかった」と気がついても、遅いのだ。
日本国民よ!悲惨な歴史は繰り返すべきではない。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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