伊藤博文公を暗殺した安重根を
投稿者: kuecoe 投稿日時: 2004/12/23 02:51 投稿番号: [166490 / 232612]
賞賛しなかった当時の韓国人
市川正明編「安重根と日韓関係史」という資料には、二万語に及ぶ(伊藤公の暗殺)各国の反応が掲載されていますが、その中で外国(サンフランシスコ・ハワイ・ウラジオストック等)にある韓字新聞の報道ぶりも伝えています。前年の明治四十三年三月にサンフランシスコ在住の張仁煥らが韓国政府の外交顧問だったスチーブンスを射殺した時には、これら韓字新聞は連日にわたって暗殺事件の犯人を賞揚し、激越な論調をみせていました。
しかし、伊藤公暗殺については事実を報道しただけでした。/韓国の(今の)教科書のように「全世界に大韓男児の気性を見せ、日本の大陸侵攻を世界に警告した」ことにはならなかったのです。
確かに、伊藤博文は韓国併合反対論者であり、韓国近代化に努めた、韓国にとっては恩人のような存在でしたから、当然といえば当然です。
今日の韓国の歴史教科書が、青少年に愛国心を涵養するため、このように記述したことはよく解ります。しかし、テロという手段の持つ反作用についても教えなければならなかったのではないでしょうか。 ちなみに、韓国以上に民族主義的な記述が多いと言われている北朝鮮では、安重根を「自らの実力も韓国の国力も考えずにテロを行い、自国に亡国をもたらオた愚か者」と紹介しています。
実際、皮肉にも、伊藤総監暗殺によって韓日併合は一挙に早まってしまったのです。
次に、伊藤博文暗殺に対する各国の論調を紹介します。
================================
「伊藤博文公暗殺」に対するドイツ人の論調
<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえ
ば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を
以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで
起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが
公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾
腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本
統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた
高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。>
ドイツ人 エルウィン・ベルツ博士 「伊藤公の追懐」
================================
「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調
<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争
も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪
目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、
誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張り
の主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりで なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」
================================
「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調
<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、
平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏
かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての
大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の
明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる
地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>
「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」
================================
「伊藤公暗殺」に対する韓国皇帝の論調
<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義
をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言してい
た。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の
平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害
を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>
十月二十七日 太皇帝(高宗)
<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。
その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
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市川正明編「安重根と日韓関係史」という資料には、二万語に及ぶ(伊藤公の暗殺)各国の反応が掲載されていますが、その中で外国(サンフランシスコ・ハワイ・ウラジオストック等)にある韓字新聞の報道ぶりも伝えています。前年の明治四十三年三月にサンフランシスコ在住の張仁煥らが韓国政府の外交顧問だったスチーブンスを射殺した時には、これら韓字新聞は連日にわたって暗殺事件の犯人を賞揚し、激越な論調をみせていました。
しかし、伊藤公暗殺については事実を報道しただけでした。/韓国の(今の)教科書のように「全世界に大韓男児の気性を見せ、日本の大陸侵攻を世界に警告した」ことにはならなかったのです。
確かに、伊藤博文は韓国併合反対論者であり、韓国近代化に努めた、韓国にとっては恩人のような存在でしたから、当然といえば当然です。
今日の韓国の歴史教科書が、青少年に愛国心を涵養するため、このように記述したことはよく解ります。しかし、テロという手段の持つ反作用についても教えなければならなかったのではないでしょうか。 ちなみに、韓国以上に民族主義的な記述が多いと言われている北朝鮮では、安重根を「自らの実力も韓国の国力も考えずにテロを行い、自国に亡国をもたらオた愚か者」と紹介しています。
実際、皮肉にも、伊藤総監暗殺によって韓日併合は一挙に早まってしまったのです。
次に、伊藤博文暗殺に対する各国の論調を紹介します。
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「伊藤博文公暗殺」に対するドイツ人の論調
<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえ
ば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を
以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで
起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが
公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾
腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本
統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた
高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。>
ドイツ人 エルウィン・ベルツ博士 「伊藤公の追懐」
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「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調
<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争
も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪
目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、
誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張り
の主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりで なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」
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「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調
<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、
平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏
かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての
大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の
明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる
地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>
「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」
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「伊藤公暗殺」に対する韓国皇帝の論調
<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義
をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言してい
た。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の
平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害
を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>
十月二十七日 太皇帝(高宗)
<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。
その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
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これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.