小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

J氏の証言−2

投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2004/11/03 22:58 投稿番号: [157145 / 232612]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041103-00000414-yom-soci

「私より妻のために」ジェンキンスさん、苦難切々と

  在日米陸軍による軍法会議で、3日、実刑判決を受けた拉致被害者曽我ひとみさん(45)の夫、チャールズ・ジェンキンスさん(64)。ハンカチを手に、時折むせび泣きながら、約40年前の脱走から北朝鮮での苦難の生活までを語り、2人の娘とともに見守った曽我さんも、証言台で「家族の小さな幸せを、もっと大きな幸せに」と寛大な処分を訴えた。

  ジェンキンスさんの訴追問題が司法取引で決着したことで、一家4人は、佐渡での家族そろっての生活に向け大きく前進した。

  神奈川県の「キャンプ座間」で開かれたこの日の軍法会議で、ジェンキンスさんは、在韓米軍に配属されていた当時を、「どこから撃たれるか分からないような状況」と説明。脱走する前月の1964年12月ごろ、ベトナムに配転される可能性があることを聞き、「危険な任務に就くことを避けたかった。北朝鮮を通ってロシア(ソ連)まで歩き、最終的に米国に戻って出頭し、除隊するつもりだった」と話した。

  脱走した当夜は、直前まで5時間近くにわたって酒を飲んでいたと告白。「気が大きくなっていた」と振り返り、「40年間、あの夜の過ちのことをずっと悔いてきた」とした。

  北朝鮮では、70年代半ばまで、他の脱走米兵らと共同生活をしていた。しかし、常に北朝鮮当局の監視下に置かれ、自宅の天井裏には「そこら中に盗聴マイクが仕掛けられていた」。

  80年8月、出会いから38日後に結婚した曽我さんとの生活で「平壌に引っ越して初めて、水道と電気のある生活ができた」と涙ながらに語り、81年から85年にかけ、北朝鮮の軍学校で将校を相手に英語を教えることになったきっかけについては「断ると、家族に水道と電気のない生活を強いることになると心配だったから」と訴えた。

  軍学校では家族と離ればなれの暮らしで、「会いたいと頼んだら、縛られて殴られた。逆らうことは時間の無駄だと思い知らされた」と陳述した。

  高齢のジェンキンスさんを気遣い、審理は休憩のため何度も中断。ジェンキンスさんの最終意見陳述は弁護人が代読した。この中で、ジェンキンスさんは、改めて罪を認め謝罪。来日することを決意したのは「罰を受けることを覚悟したから」とした。さらに「いまでも米国が好き」「北朝鮮には自由はなく、骨の髄まで邪悪な指導者に率いられている」などと訴え、「私よりも、妻のために」と寛大な刑を求めた。

  開廷から7時間近くたった午後4時前、裁判官に向かって起立したジェンキンスさんは、緊張した面持ちで判決を聞いたが、結果については淡々と受け止めた様子だった。

  この日、法廷で直接取材する報道陣は日米合わせて6人に制限され、廷内の映像は、基地内の講堂に中継されて、約100人の報道陣が見守った。
(読売新聞) - 11月3日22時39分更新
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)