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駆逐艦、雪風

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2004/10/27 02:17 投稿番号: [156131 / 232612]
日本海軍に雪風と言う駆逐艦があった。

多くの激烈なる海戦に参加したが、強運で終戦まで撃沈を免れた艦である。戦後、中華民国海軍に引き渡され丹陽と命名され、名前が変わる。

許昭栄さんは、昭和3年生まれ、旧大日本帝国海軍台湾特別志願兵で昭和20年には特攻機桜花の出撃作業をしていた。
昭和20年の日本の敗戦により、台湾に進駐した国民党軍は「老人も子供もいる32師団」と言われるように、大陸では、兵役制度ではなく、拉丁と呼ばれる
壮丁を拉致して軍に編入する方法が一般的だった。

昭和22年228事件以前は、まだ、国民党及び、国民党軍の実体に関しては台湾人の認識は薄かった。主に旧日本陸海軍特別志願兵、高砂義勇隊生還者などが復員して就職を捜していた。国民党軍は、これを好餌を持って詐網し、約15000名を軍に編入して大陸に送り、国共内戦を戦わせた。

昭和22年(1947)、台湾では228事件が起きる。これにより、国民党、国民
党軍の正体を知った台湾人は誰も国民党軍などに応募しなくなった。228事件後、許昭栄さんは旧日本海軍軍人故に清郷の対象となる。危険分子として銃殺の候補者である。逃れる路はただ一つ、国民党軍海軍の徴募に応じることであった。当時の国民党海軍は訓練された兵員が絶対的に不足していた。
 
228事件後は許昭栄さんのように、脅迫により軍に編入される場合が多く、以前のように、詐網されて国民党軍に入ってしまった人数は少ない。許昭栄さんは技術員兵大隊に編入され大陸の青島に送られる。許昭栄さんのように海軍に編入されたのは少数で多くは陸軍であった。

許昭栄さんは、その後、昭和23年(1948)米国より供与されるフリゲート艦の引き取り回航の為に米国に派遣される。この任務を果たした後、許昭栄さんは、激化する国共内戦に投入される。しかし、あまりの国民党軍のデタラメさに、怒り心頭に発した許昭栄さんは脱走して高雄に潜むが捕まってしまう。銃殺か海軍に戻るかの選択を迫られ、結局復軍する。その時、乗り組を命じられたのが、前記、雪風改め「丹陽」である。

許昭栄さんは生還したが、他の台湾兵はその後、どうなったか? 徴募された台湾兵は15000名、先ず国共内戦の錦州会戦、徐州会戦などで1949年までに、多くが戦病死、餓死した。運良く生き延びた者は殆ど全員が中共軍の捕虜になり、 1951年、今度は中共により朝鮮戦争に投入され、中共軍として戦わされ、多くが戦死した。

これを生き延びた台湾兵は、文化大革命の時に、旧日本軍人、旧国民党軍人として迫害の対象となり、虐殺を免れた者は、収容所に入れられるか、辺鄙な地方に下放された。この時までに台湾兵は8割は非命に倒れ、大陸各地に約3000名が生き残っていたと推定される。
「台湾籍老兵」とは台湾人で、詐網若しくは脅迫されて、国共内戦に従軍した方達の事である。多くが、旧日本陸海軍軍人、軍属の方達であった。
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