小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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>>>帝政ロシアは日本に進攻しません

投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2004/10/18 09:41 投稿番号: [155143 / 232612]
>日清戦争は日本が朝鮮を支配する目的で起こした戦争です。


さぞや高名な歴史学者様かと御推察致します。貴方様が如何なる独自の学説、歴史観を標榜されようとも、それは私どもの預かり知らぬ事とて得手勝手になさるが宜しかろうと存じまするが、ただ独自の学説を公表し公論に付す場所として本掲示板は甚だ不適当と心得る次第。

元より高名な歴史学者様と思しき方と議論など畏れ多いことにて、これ以上の遣り取り御遠慮申し上げ度。


――――――――――
以下、新しい歴史教科書から


52.日清戦争と中華秩序の崩壊

【朝鮮戦争と日本の安全保障】
  東アジアの地図を見てみよう。日本はユーラシア大陸から少し離れて,海に浮かぶ島国である。この日本に向けて,大陸から一本の腕のように朝鮮半島が突き出ている。当時,朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば,日本を攻撃する格好の基地となり,後背地をもたない島国の日本は,自国の防衛が困難になると考えられていた。
  このころ,朝鮮に宗主権をもっていたのは清朝だったが,それ以上におそろしい大国は,不凍港を求めて東アジアに目を向け始めたロシアだった。ロシアは1891年にシベリア鉄道の建設に着手し,その脅威はさし迫っていた。日本政府の中には,ロシアの力が朝鮮におよぶ前に,朝鮮を中立国とする条約を各国に結ばせ,中立の保障のため日本の軍備を増強しなければならないという考えもあった。

【朝鮮をめぐる日清の対立】
  一方,清は,東アジアの情勢を別の見方でとらえていた。1879(明治12)年,長い間,清にも朝貢してきた琉球が沖縄県となり,日本の領土に組み込まれたことは,清朝にとって大きな衝撃だった。1884年には,清は清仏戦争に敗れ,もう一つの朝貢国ベトナムがフランスの支配下に入った。朝貢国が次々と消滅していくことは皇帝の徳の衰退を意味し,中華秩序崩壊の危機を示すものだった。そこで清は,最後の有力な朝貢国である朝鮮だけは失うまいとし,日本を仮想敵国(国防計画を立てるさいに、仮に敵とみなす国)とするようになった。
  日本は,朝鮮の開国後,その近代化を助けるべく軍制改革を援助した。朝鮮が外国の支配に服さない自衛力のある近代国家になることは,日本の安全にとっても重要だった。ところが,1882年,軍制改革に取り残された一部朝鮮軍人の暴動が発生した(壬午事変じんごじへん)。清はこれに乗じ,数千の軍隊を派遣してただちに暴動を鎮圧し,日本の影響力を弱めた。1884年には日本の明治維新にならって近代化を進めようとした金玉均らのクーデターがおこったが,このときも清の軍隊は,親日派を徹底的に弾圧した(甲申事変こうしんじへん)。1886年には,清は購入したばかりの軍艦定遠などからなる北洋艦隊を,親善を名目に長崎に派遣してその軍事力を見せつけ,日本に圧力をかけた。

【日清戦争と日本の勝因】
  1894(明治27)年,朝鮮の南部に東学の乱(甲午農民戦争)と呼ばれる農民暴動がおこった。東学党は西洋のキリスト教(西学)に反対する宗教(東学)を信仰する集団だった。彼らは,外国人と腐敗した役人の追放を目指し,一部は首都漢城(現在のソウル)に迫る勢いをみせた。わずかな兵力しかもたない朝鮮は,清に鎮圧のための出兵を求めたが,日本も甲申事変後の清との申しあわせに従い,軍隊を派遣し,日清両軍が衝突して日清戦争が始まった。
  戦場は朝鮮のほか,南満州などに広がり,陸戦でも海戦でも日本は清に圧勝した。日本の勝因としては,軍隊の訓練,規律,新兵器の装備がまさっていたことがあげられるが,の背景には,日本人が自国のために献身する「国民」となっていたことがある。

【下関条約と三国干渉】
(#155118参照)
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