拉致事件対応:小泉批判・小泉支持2
投稿者: ringo_pie03 投稿日時: 2004/09/22 18:47 投稿番号: [151987 / 232612]
<私は、公害問題の住民運動に係わっていました。相手は自治体がらみでした。
私も、どちらかというとノンポリ、集団行動大苦手の人間です。
それが図らずも住民運動の中心に!
どっぷり120%「政治」でした。泥沼で逃げ出したかった。
けれど一番の被害者がわが家だったため、他の誰もが抜けても戦わなければならない立場でした。
そんな私たちに涙を流してくれ、手を差し伸べてくれたのがある年老いた女性市会議員でした。
だが「議員」が入ると嫌がる人がいる。「政治」というだけで毛嫌いする人がいる。けれど現実は「政治」なのです。
ただ「何とかしてください」と言っていたところで何も解決しない。
議会で訴え、相手を追いつめていき。相手は一枚岩なのに、こちらは内部が一致団結できない。方法論が各自違うからです。
被害状況によって温度差があるからです。
もちろん拉致被害者の苦しみと比較したら、私の苦しみなど大したことありません。
でもこの自分自身の経験によって、ほんの少しだけ想像することができます(と言ったら彼らに失礼ですが)。
どれほどのストレスか。寝てもさめてもそのことが頭から離れない。私も子持ちですので、子供をこのように奪われた苦しみは実感として想像することができます。
「即経済制裁を!」と訴えてはいけないのでしょうか?
本当は彼らが訴える前に政府がやることではないですか?
政府が動かないから、彼らが叫ばなければならないのではないですか?
今まで彼らを放っておいたのは、私たち日本人です。
それなのに「政治色が強い」と批判する。
小泉総理を批判すれば「何様だ?」と非難する。
でも小泉総理が今回の訪朝以来半島寄りになっているのは事実でしょう?
彼らもできることなら逃げたいのではないでしょうか?
「政治」なんて好きじゃないのではないでしょうか?
でも当事者は逃げられない。どんなに嫌でも、吐き気がしようとも逃げられない。
「政治色が強い」と言って逃げられる人は幸せです。
「もうこういうグチャグチャな運動は疲れたから、止める」と言って立ち去ることができる人は幸せです。
こういう問題は100%「政治」です。国家間の問題なのだから特にそうです。ドロドロの運動だと思います。
内部にもいろいろな意見があるのでしょう。それを20年間もやってきた。当事者にすれば今にも爆発しそうなのではないの
でしょうか?
経済制裁だって甘いと思っているくらいなのでは?
もし私が当事者だったらそう思います。
そんな彼らに私たちは厳しすぎるのではないでしょうか?
彼らに「支援者のことを考えて行動せよ」と注文をつける。
もちろんその通りなのでしょう。だけどそれ以上に私たちが彼らを思いやってあげなくてはいけないのではないでしょうか?
薬害エイズ事件の青年の言葉が思い出されます。
「街を歩いているといろいろな人が声をかけてくれます『頑張ってください』と。とても嬉しかった。だけど本当にかけてもらいたかった言葉は『一緒に頑張りましょう』でした」
もちろん、拉致被害者を見つめる、大部分の支援者の目は温かいものだと信じています。
かくいう私は、遠くに住んでおりますし、えらそうなことは何もしておりません。ただ南北朝鮮問題には意識的に関心を持ち続けているだけです。
この拉致事件は『政治色が強い』も何も、『政治』以外の何物でもないと思います。
私たちに求められるのは「拉致されたのは、彼らの子供ではなく、私の子供でもあり得たのだ」というほんの少しの想像力なのではないでしょうか?
ちなみに、私の住民運動で、「政治」に係わってくれた人以外は、いわゆる優しい口をきく「友人・知人」は、現実問題として何も助けてくれませんでした。
そしてその時感じた一番の敵は、反対勢力などではなく、世間の『無関心』でした >
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私も生活環境を守るために、左巻きに混じって住民運動をしてきました。
嫌がらせ電話に対応するために、番号表示の電話を買ったり、利権目当てのヤクザと向き合ったり、結構な事をしてきました。
幸い、身内に警官が多数いたこと、自分自身ヤクザが経営する企業を指導監督できる立場にいたことなど、比較的有利な状況にあったため悲惨なことにはなりませんでした。
国、あるいは行政に支援を求める、改善を求めると言う行為は、その裏側で利益を得るものが存在して、彼らの利益を阻害する要因になった時、たいへん不快なあるいは危険な事態に巻き込まれることもあります。
そうした事柄を乗り越えても、我が子を取り戻したい親の強い意\xBB
私も、どちらかというとノンポリ、集団行動大苦手の人間です。
それが図らずも住民運動の中心に!
どっぷり120%「政治」でした。泥沼で逃げ出したかった。
けれど一番の被害者がわが家だったため、他の誰もが抜けても戦わなければならない立場でした。
そんな私たちに涙を流してくれ、手を差し伸べてくれたのがある年老いた女性市会議員でした。
だが「議員」が入ると嫌がる人がいる。「政治」というだけで毛嫌いする人がいる。けれど現実は「政治」なのです。
ただ「何とかしてください」と言っていたところで何も解決しない。
議会で訴え、相手を追いつめていき。相手は一枚岩なのに、こちらは内部が一致団結できない。方法論が各自違うからです。
被害状況によって温度差があるからです。
もちろん拉致被害者の苦しみと比較したら、私の苦しみなど大したことありません。
でもこの自分自身の経験によって、ほんの少しだけ想像することができます(と言ったら彼らに失礼ですが)。
どれほどのストレスか。寝てもさめてもそのことが頭から離れない。私も子持ちですので、子供をこのように奪われた苦しみは実感として想像することができます。
「即経済制裁を!」と訴えてはいけないのでしょうか?
本当は彼らが訴える前に政府がやることではないですか?
政府が動かないから、彼らが叫ばなければならないのではないですか?
今まで彼らを放っておいたのは、私たち日本人です。
それなのに「政治色が強い」と批判する。
小泉総理を批判すれば「何様だ?」と非難する。
でも小泉総理が今回の訪朝以来半島寄りになっているのは事実でしょう?
彼らもできることなら逃げたいのではないでしょうか?
「政治」なんて好きじゃないのではないでしょうか?
でも当事者は逃げられない。どんなに嫌でも、吐き気がしようとも逃げられない。
「政治色が強い」と言って逃げられる人は幸せです。
「もうこういうグチャグチャな運動は疲れたから、止める」と言って立ち去ることができる人は幸せです。
こういう問題は100%「政治」です。国家間の問題なのだから特にそうです。ドロドロの運動だと思います。
内部にもいろいろな意見があるのでしょう。それを20年間もやってきた。当事者にすれば今にも爆発しそうなのではないの
でしょうか?
経済制裁だって甘いと思っているくらいなのでは?
もし私が当事者だったらそう思います。
そんな彼らに私たちは厳しすぎるのではないでしょうか?
彼らに「支援者のことを考えて行動せよ」と注文をつける。
もちろんその通りなのでしょう。だけどそれ以上に私たちが彼らを思いやってあげなくてはいけないのではないでしょうか?
薬害エイズ事件の青年の言葉が思い出されます。
「街を歩いているといろいろな人が声をかけてくれます『頑張ってください』と。とても嬉しかった。だけど本当にかけてもらいたかった言葉は『一緒に頑張りましょう』でした」
もちろん、拉致被害者を見つめる、大部分の支援者の目は温かいものだと信じています。
かくいう私は、遠くに住んでおりますし、えらそうなことは何もしておりません。ただ南北朝鮮問題には意識的に関心を持ち続けているだけです。
この拉致事件は『政治色が強い』も何も、『政治』以外の何物でもないと思います。
私たちに求められるのは「拉致されたのは、彼らの子供ではなく、私の子供でもあり得たのだ」というほんの少しの想像力なのではないでしょうか?
ちなみに、私の住民運動で、「政治」に係わってくれた人以外は、いわゆる優しい口をきく「友人・知人」は、現実問題として何も助けてくれませんでした。
そしてその時感じた一番の敵は、反対勢力などではなく、世間の『無関心』でした >
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私も生活環境を守るために、左巻きに混じって住民運動をしてきました。
嫌がらせ電話に対応するために、番号表示の電話を買ったり、利権目当てのヤクザと向き合ったり、結構な事をしてきました。
幸い、身内に警官が多数いたこと、自分自身ヤクザが経営する企業を指導監督できる立場にいたことなど、比較的有利な状況にあったため悲惨なことにはなりませんでした。
国、あるいは行政に支援を求める、改善を求めると言う行為は、その裏側で利益を得るものが存在して、彼らの利益を阻害する要因になった時、たいへん不快なあるいは危険な事態に巻き込まれることもあります。
そうした事柄を乗り越えても、我が子を取り戻したい親の強い意\xBB
これは メッセージ 151982 (ringo_pie03 さん)への返信です.