金正男と金賢
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/09/18 07:15 投稿番号: [151462 / 232612]
金正日が父に金正男の存在を初めて知らせたのは、金日成の担当看護婦が金日成の息子”金賢”を産んだ頃だったという。
↓
02年の成田入管で金正男が逮捕され後は、金正日はこれに代えて金賢(キムヒョン)という人物に代える決意を固めたようだと、との報道があった。
金賢とはどんな人物なのだろうか。
金賢という人物の存在は、各国情報機関の一部だけが知る存在であった。
彼は、一時は金正男の異母兄と報じられたこともあった。
同じ年頃の腹違いの兄弟がいるという情報が1995年頃から流れていた。
ただ、この「腹違いの息子」につては、当初から疑問視する声もあった。
もし息子であれば、金賢という名前はおかしいのだ。
金正男と兄弟であるなら、「金正賢」か「金賢男」というような名前がつけられるはずである。
韓国でも北朝鮮でも、家族の同じ世代の兄弟や親族には共通の字が一時使われる。
金正日総書記の子息には「「金正男」「金正哲」など、真ん中に「正」も字が使われれているのである。
このことから、「金正賢」ではないかとの推測も強かった。
あるいは、金日成主席の息子ではないかとの説もあった。
最近になって金賢氏は金日成主席の子供である事実が、北朝鮮からの亡命者などの証言で明らかになった。
金正日ファミリーの内部を知る亡命者や北朝鮮高官などが、群然の機会に言及したことから徐々にその存在がしられるようになった。
平壌の幹部の間で、金賢氏が「後継者ではないか」とうわさになりだしのは、2002年5月だった。平壌での「先軍政治」についての学習会で、講師が前触れもなく「最近党の宣伝扇動部の第一秘書に就任された、金賢同志が軍と党の幹部に先軍政治について講演なさいました。その講演で・・・・」と述べた。
この発言で、「後継者が変った」とのうわさが平壌の幹部の間を駆け巡った。
こうした発言が金正日総書記の指示と許可なしに行われるはずはない。
意図的であるのは、誰の目にも明らかであった。
それなら、金正男は後継者からはずされたのか・・・・・・・・・
この情報は、直ちに北京とソウル、ワシントンに伝わった。
そして、朝鮮総連幹部の間にも動揺が走った。
どうして平壌の幹部たちはそう判断したのか。
後継者は、まず党の宣伝扇動部の責任者への道を歩んでいった。
だから、こうした情報が意図的に流された事実は、金賢氏が後継者として浮上してきたことを強く示唆しているものである。
だが、金賢氏本人は「自分は指導者の器でなく、補佐官に適している」と語り、後継者には全く興味を示していないという。
はたして、金賢氏がどのような人物で、どのような能力を有するのかは断片的にしか伝わってこなかった。
金賢氏は、金正男と異なり知的で控えめなタイプといわれている。
1990年代には人民軍の将校として軍務に服したといわれる。
およそ10年に及ぶ軍務の後で、党の要職に就任したようだ。
一方、金正男は、保衛司令部の幹部職についていたといわれている。
北朝鮮には、国家保衛省と保衛司令部の2つの秘密警察組織がある。
保衛司令部は、金正日総書記の許可なしに、党や幹部を逮捕できる特権を持つ最大の組織であった。
金正男は、昨年(01年)まで保衛司令部の事実上の責任者であったといわれている。
金正男と金賢氏は、ともに金正日総書記に信頼され、かわいがられたという。
このため、金正日総書記は、一人を軍務につけ一人を党務につけたと平壌ではいわれていた。
また、金正男と金賢氏は今でも大変仲のよい間柄であるという。
二人とも、金正日体制を支える気概に一時は燃えていたという。
その金正男は、結局こうした腐敗幹部の誘惑に負け日本行きの手はずを整えてもらうなど、道を踏み外してしまった。
これは平壌の幹部腐敗がいかにひどいか物語っている。
以上、重村智計「最新北朝鮮データブック」から
↑
・金正男が現在北朝鮮内にいるのか北京なのかモスクワなのか。
あの事件以来、帰国はできず北京ではないかと思います。
・金賢というのは報道されないですね。
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02年の成田入管で金正男が逮捕され後は、金正日はこれに代えて金賢(キムヒョン)という人物に代える決意を固めたようだと、との報道があった。
金賢とはどんな人物なのだろうか。
金賢という人物の存在は、各国情報機関の一部だけが知る存在であった。
彼は、一時は金正男の異母兄と報じられたこともあった。
同じ年頃の腹違いの兄弟がいるという情報が1995年頃から流れていた。
ただ、この「腹違いの息子」につては、当初から疑問視する声もあった。
もし息子であれば、金賢という名前はおかしいのだ。
金正男と兄弟であるなら、「金正賢」か「金賢男」というような名前がつけられるはずである。
韓国でも北朝鮮でも、家族の同じ世代の兄弟や親族には共通の字が一時使われる。
金正日総書記の子息には「「金正男」「金正哲」など、真ん中に「正」も字が使われれているのである。
このことから、「金正賢」ではないかとの推測も強かった。
あるいは、金日成主席の息子ではないかとの説もあった。
最近になって金賢氏は金日成主席の子供である事実が、北朝鮮からの亡命者などの証言で明らかになった。
金正日ファミリーの内部を知る亡命者や北朝鮮高官などが、群然の機会に言及したことから徐々にその存在がしられるようになった。
平壌の幹部の間で、金賢氏が「後継者ではないか」とうわさになりだしのは、2002年5月だった。平壌での「先軍政治」についての学習会で、講師が前触れもなく「最近党の宣伝扇動部の第一秘書に就任された、金賢同志が軍と党の幹部に先軍政治について講演なさいました。その講演で・・・・」と述べた。
この発言で、「後継者が変った」とのうわさが平壌の幹部の間を駆け巡った。
こうした発言が金正日総書記の指示と許可なしに行われるはずはない。
意図的であるのは、誰の目にも明らかであった。
それなら、金正男は後継者からはずされたのか・・・・・・・・・
この情報は、直ちに北京とソウル、ワシントンに伝わった。
そして、朝鮮総連幹部の間にも動揺が走った。
どうして平壌の幹部たちはそう判断したのか。
後継者は、まず党の宣伝扇動部の責任者への道を歩んでいった。
だから、こうした情報が意図的に流された事実は、金賢氏が後継者として浮上してきたことを強く示唆しているものである。
だが、金賢氏本人は「自分は指導者の器でなく、補佐官に適している」と語り、後継者には全く興味を示していないという。
はたして、金賢氏がどのような人物で、どのような能力を有するのかは断片的にしか伝わってこなかった。
金賢氏は、金正男と異なり知的で控えめなタイプといわれている。
1990年代には人民軍の将校として軍務に服したといわれる。
およそ10年に及ぶ軍務の後で、党の要職に就任したようだ。
一方、金正男は、保衛司令部の幹部職についていたといわれている。
北朝鮮には、国家保衛省と保衛司令部の2つの秘密警察組織がある。
保衛司令部は、金正日総書記の許可なしに、党や幹部を逮捕できる特権を持つ最大の組織であった。
金正男は、昨年(01年)まで保衛司令部の事実上の責任者であったといわれている。
金正男と金賢氏は、ともに金正日総書記に信頼され、かわいがられたという。
このため、金正日総書記は、一人を軍務につけ一人を党務につけたと平壌ではいわれていた。
また、金正男と金賢氏は今でも大変仲のよい間柄であるという。
二人とも、金正日体制を支える気概に一時は燃えていたという。
その金正男は、結局こうした腐敗幹部の誘惑に負け日本行きの手はずを整えてもらうなど、道を踏み外してしまった。
これは平壌の幹部腐敗がいかにひどいか物語っている。
以上、重村智計「最新北朝鮮データブック」から
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・金正男が現在北朝鮮内にいるのか北京なのかモスクワなのか。
あの事件以来、帰国はできず北京ではないかと思います。
・金賢というのは報道されないですね。
これは メッセージ 151391 (east_jungle3 さん)への返信です.