本多勝一もいた(藁
投稿者: ringo_pie03 投稿日時: 2004/09/06 16:58 投稿番号: [150087 / 232612]
記者は、60(1985)年12月20日、宮崎支局で中村支局長に会い、インタビューを行った。
――「朝日」で報道した日記の筆者は、故河野氏以外に該当者はいないと思われるがどうか。本当にその人物は都城23連隊の元兵士か。
「日記の持ち主はまぎれもなく元23連隊の方のものだ。その方は北郷村で昭和49(1974)年に腎臓病で死去している。河野氏以外に該当者がいる。当方とそちらの資料が違うのだろう。連隊会の調査不足でないか」
――では、昭和59(1984)年8月4日夕刊の記事には一切のフィクション、デッチあげはないというわけか。
「全くない。あの記事はすべて正しい。昭和60(1985)年2月24日の宮崎版にのった記事は、訂正記事ではない。連隊会の方から抗議があった事実を掲載したまでだ」
――取材の続き、手順は十分にふんだのか。記事を書くまでに、社内でも十分に検討したのか。
「南京虐殺については、西部本社、また東京本社などでもこの問題を専門にしている記者が、本多勝一氏をはじめかなりいる。
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/asahi.html
これは メッセージ 150086 (ringo_pie03 さん)への返信です.
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