not guilty
投稿者: east_jungle3 投稿日時: 2004/08/18 08:10 投稿番号: [148088 / 232612]
>かつて、「生きて虜囚の辱を受けず」の戦時訓を作った東条だが、逮捕直前の自決は未遂に終わり巣鴨プリズンに収監される。
↑
当時の疑問点の一つに東条氏は何故、腹部の皮を引っ張り、銃を撃ったのか?
何故、銃口を頭部に当てなかったのか?
昭和天皇様は東条氏を非常に可愛がられたという→彼の女性関係に清いところ、また潔癖な性格故ともいわれる。
これに(戦争)勝てるか?と問うたとも言われます。
極東裁判とヌールンベルグ裁判では後者のゲーリング、ヘス、リッベンドルフスのナチスの領袖達はナチスの為した事総てに対して”それらは自分の責任である。”と言い切ったのに対し、前者は東条氏以下、総てが”自分達に責任は無い。”と、した事。
これは日本人に責任感の欠如、”誇り”が無いという意味ではない。
日本の軍部ファシズムは独・伊のようにそれが大衆的な政治運動として従来の政治体制の外側から現われ、coup d'etatによりファシストが政権を奪取したのち、国民を統制する独裁制がしかれる、という形ではなかった。
青年将校の既存の支配秩序を覆そうとした下層からのクーデタはむしろ、潰され、その失敗の結果、陸軍の首脳部を中心に重臣・内閣・議会という天皇制における政治体制がそのまま軍部=政治としてファショ化し、支配体制が完了する。
皇道派は一掃され、陸軍の統制派はかっての革新的中堅将校が首脳部に入るにつれ、彼等はクーデタをむしろ弾圧するという二刀流を使い、既存の機構の中で日本のファショ化を進めた。
斎藤氏、岡田氏、西園寺氏、若槻氏、木戸氏→既存派の抵抗も国民的背景をもった組織的な抵抗ではなく、いわば、支配層のシーソバランスの大勢・軍部強硬派に流されて行ったといえる。
日本のファショにはヒトラ、ムッソリ、サダム、金正日のようなアイドルは現われなかった→後半のヒトラの挙動→宣伝を真似た東条氏が独裁者のイメジがありますが、彼とて国民的支持を得ていたのではなく、重臣界層の争いに負け、支持をなくすと失脚される存在だった。
絶対的権威は天皇にあり皮肉にも天皇は独のようなファショは反対であり、226に対しての反応に軍部も内包した隠れファショにならざるを得なかった。
大正民主主義以降、政党政治が発達=ある程度民主主義が発達したが、当時の日本国民が政治に参加し、議会政府が国民に対して責任を負う体制だったとは言えない。
日本軍部は独のように大衆的扇動は必要ではなく、日本国の平均は政治を自分のものとし主体的に受け止める事を知らなかった。
それゆえ、軍部は少数の旧来の支配者層との取引により、簡単に政治の中枢に入り込めた。
民主主義の未発達+明治憲法→天皇に政治権力を各種の機関に分裂させていた。
内閣、各大臣は直接天皇に責任を負う、総理大臣は指揮権を持たず、軍部、枢府、重臣が事実上の独立した機能であり天皇以外統一的支配は不可能。
しかし、大正以降、天皇は原則として実質的権限を行使しない存在になっていた。
この体制は多頭支配となり、その責任の総括が不能な無責任体制と言われる所以。
で、責任あり!と明確にすると大義も国体も総てが責任あり、guilty になる、一部が全部になるから not guilty 。
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当時の疑問点の一つに東条氏は何故、腹部の皮を引っ張り、銃を撃ったのか?
何故、銃口を頭部に当てなかったのか?
昭和天皇様は東条氏を非常に可愛がられたという→彼の女性関係に清いところ、また潔癖な性格故ともいわれる。
これに(戦争)勝てるか?と問うたとも言われます。
極東裁判とヌールンベルグ裁判では後者のゲーリング、ヘス、リッベンドルフスのナチスの領袖達はナチスの為した事総てに対して”それらは自分の責任である。”と言い切ったのに対し、前者は東条氏以下、総てが”自分達に責任は無い。”と、した事。
これは日本人に責任感の欠如、”誇り”が無いという意味ではない。
日本の軍部ファシズムは独・伊のようにそれが大衆的な政治運動として従来の政治体制の外側から現われ、coup d'etatによりファシストが政権を奪取したのち、国民を統制する独裁制がしかれる、という形ではなかった。
青年将校の既存の支配秩序を覆そうとした下層からのクーデタはむしろ、潰され、その失敗の結果、陸軍の首脳部を中心に重臣・内閣・議会という天皇制における政治体制がそのまま軍部=政治としてファショ化し、支配体制が完了する。
皇道派は一掃され、陸軍の統制派はかっての革新的中堅将校が首脳部に入るにつれ、彼等はクーデタをむしろ弾圧するという二刀流を使い、既存の機構の中で日本のファショ化を進めた。
斎藤氏、岡田氏、西園寺氏、若槻氏、木戸氏→既存派の抵抗も国民的背景をもった組織的な抵抗ではなく、いわば、支配層のシーソバランスの大勢・軍部強硬派に流されて行ったといえる。
日本のファショにはヒトラ、ムッソリ、サダム、金正日のようなアイドルは現われなかった→後半のヒトラの挙動→宣伝を真似た東条氏が独裁者のイメジがありますが、彼とて国民的支持を得ていたのではなく、重臣界層の争いに負け、支持をなくすと失脚される存在だった。
絶対的権威は天皇にあり皮肉にも天皇は独のようなファショは反対であり、226に対しての反応に軍部も内包した隠れファショにならざるを得なかった。
大正民主主義以降、政党政治が発達=ある程度民主主義が発達したが、当時の日本国民が政治に参加し、議会政府が国民に対して責任を負う体制だったとは言えない。
日本軍部は独のように大衆的扇動は必要ではなく、日本国の平均は政治を自分のものとし主体的に受け止める事を知らなかった。
それゆえ、軍部は少数の旧来の支配者層との取引により、簡単に政治の中枢に入り込めた。
民主主義の未発達+明治憲法→天皇に政治権力を各種の機関に分裂させていた。
内閣、各大臣は直接天皇に責任を負う、総理大臣は指揮権を持たず、軍部、枢府、重臣が事実上の独立した機能であり天皇以外統一的支配は不可能。
しかし、大正以降、天皇は原則として実質的権限を行使しない存在になっていた。
この体制は多頭支配となり、その責任の総括が不能な無責任体制と言われる所以。
で、責任あり!と明確にすると大義も国体も総てが責任あり、guilty になる、一部が全部になるから not guilty 。
これは メッセージ 147963 (vaio6253 さん)への返信です.