九段の空を赤く染めた業火 5
投稿者: georgia_bros 投稿日時: 2004/08/16 00:33 投稿番号: [147832 / 232612]
初春であった。
春にしては、澄み切った碧空に、青葉がそよめいていた。赤土が掘り返されていて、そこに蒲公英が、一輪、また一輪と咲き誇っていた。
焦土と化した、靖国大社は、いや、靖国大社に、靖国会遺族会長の演説が響き渡っていた。
「我々は、いかなる圧力、暴力、先祖の霊、御霊をいやしめる蛮行に断固として立ち向かい、その愚行を阻止することをここに、堅く、堅くお誓いするものです。必ずや、この、先の大帝が建立され、そして我々の先祖を奉る、靖国大社を再建立し、以前にもまして、力強くその精神を引き継ぐものです。」
集まった遺族会のメンバーから割れんばかりの拍手が湧き起った。
「ジョーよ、どーいう意味があったんかな、これで、成果と言えるのかなぁ。」
「人民日報は、”日本の良心の現れ”と評価したみたいだな。」
「それでも、あれだよ、靖国の会はますます盛況だよ。むしろ、前より資金力は増してるんじゃないの。」
「いいんだ。靖国は、一度破壊される必要があった。これは、日本の良心の再生の為に、歴史の一頁として、刻まれた。三島でも読めよ。」
「まぁ、いいかぁ。」
2人を乗せた、軽バンは、静かに、走り出した。
靖国の焼け跡に半焼しながらも残った、巨大な黒い鳥居が、佇んでいた。
(お断り
本編は、実在の団体、人物、その他、思想などとは、一切の関係がなく、まったくの架空作品です。)
昭和25年(1950)7月、その舎利殿は炎上した。原因は22歳の学生僧の放火であった。彼は「こんなものがあっても禅宗とは何の関わりもない」と叫んで火をつけたというが、この事件をモデルにしたのが三島由紀夫の『金閣寺』である。この事件は水上勉の『金閣炎上』にもかかれている。(こちらは放火者林養賢の貧しい生い立ちに視点をあてて書かれている)
金閣寺は通称で、本号は鹿苑寺。臨済宗相国寺派の別格本山で、応永元年(1394)、室町幕府3代将軍の足利義満が西園寺家の山荘を譲り受け、北山殿と称する広大な別荘を造った。義満死後、禅寺に改められ、その法号をとって鹿苑寺とした。
のちに8代将軍の義政が銀閣寺を造営するわけであるが、この銀閣寺を中心に開花した文化を東山文化と呼ぶのに対し、義満の頃の文化を北山文化と呼び室町文化の栄華期である。狂言・連歌・茶道などが栄えた。
これは メッセージ 147831 (georgia_bros さん)への返信です.
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