かつての北朝鮮の農業を取り巻く諸事情⑤
投稿者: komash0427 投稿日時: 2004/08/12 11:12 投稿番号: [147308 / 232612]
西側の農業はもうすでに長い間収穫を上げるために二期作、転作、二毛作といったいくつもの方法を取り入れ、農地を定期的に休ませて、病気や害虫に強い改良された品種の種子を利用するなどの工夫をしてきた。こうした方法は化学的な物質を極力押さえて使用するという考え方と組み合わせになっていた。北朝鮮ではごく最近限られた実験的な試みとして二毛作が見られるようになったが、それに対して体制内の高官の中には激しく抗議する動きがあったという。この実験的な試みは、他の何よりも、政治的イデオロギーが農業システムに与えた破壊的な影響を雄弁に物語っている。二毛作は同じ土地に1年に2つの作物を育てることで収穫高を増加させるというもので、ほとんどの国の農業で日常的に行われているものだ。1940年代末から1950年代には、北朝鮮農業省の政策は、二毛作を奨励することにあったのだが、ある時点でその政策を諦めてしまった。というのも二毛作での短い成長期は一度かもしくは数回は両方の作物が成熟に達しないということを意味したからである。ところが当時から今にかけて、西側の農業経済学者は早期に成熟する種子を作り出しており、二毛作がほとんどの場所で実行可能な品種改良に成功しているのである。
しかし北朝鮮ではこの時期に、反二毛作政策がチュチェ農業政策の確固とした柱になってしまい、変更は許されない政策になってしまったのである。北朝鮮の人々は外界からあまりにも隔離されていたため、遺伝子改良種子など知らなかったし、たとえ知っていたとしても、彼らがこの政策を変えることはできなかったであろう。ここでもまた科学や経済ではなく政治が農業政策を独占したのだ。「農場では政治が指揮をするという原則を打ちたてよ」という金日成による、1960年2月の農業政策に関する悪名高い演説を注視すべきだ。
ある亡命者が私に語った話は非常に例証的であった。ローマで行われた国連の会合に参加している間、北朝鮮の農業次官がいくつかのイタリアの農場を回り、農民達がトウモロコシの種を春の植付け用の農地に蒔いているのに気がついた。北朝鮮の習慣ではトウモロコシの種は早春に苗床に植えて、後に発芽したものを手で畑に移植させるというものだった。平壌は世界のどこでも行われていなかったこの習慣を、短期成長期を理由にして正当化し続けていたのだが、次官は金日成にあい、イタリアの習慣について説明し、北朝鮮でも同様のやり方を採用して実験を行ってみることを推奨した。金日成はこれを承認し、次官は今度はこの実験を履行するために大臣のところに行った。ところが大臣はこの次官がチュチェ農業の主要な命題に違反した、としてたちまち首にしてしまったのである。時間は1ヶ月間にわたり、復職することに努め、「偉大なる指導者」に状況を伝えることで何とかそのポストに再び就くことができた。この北朝鮮の大臣は金日成が承認を与えたものとは知らず、ただチュチェの原則に従っていたのである。そうしていれば通常何もリスクはなく、何も変えずに何の新たな進歩も考えなくてよいからである。
北朝鮮の農業科学者が米の生産を増加させた一つの方法は、大量の化学肥料を投じて、水田に米の苗を異常に近く隣接させて植えたことである。北朝鮮情勢に詳しい中国の農業経済学者は、この習慣は非生産的であると主張する。水田は遠くからはよく見えるが、ヘクタールあたりの米の生産高は低くなっているのだ。化学肥料の大量使用が減った後、接近植え込みをなお続けていると、生産へのダメージはより激しくなっているということが実際1990年代中盤から起こった。生産高の減少と土壌の疲弊が共に急激に進んだのである。このことが農業当局が多くの南西部の集団農家に対して、改良種の開発を諦めて化学肥料を必要としない伝統的で栄養のある米の種類に戻るようにと命じた理由の一つだったのだろう。 (終わり)
しかし北朝鮮ではこの時期に、反二毛作政策がチュチェ農業政策の確固とした柱になってしまい、変更は許されない政策になってしまったのである。北朝鮮の人々は外界からあまりにも隔離されていたため、遺伝子改良種子など知らなかったし、たとえ知っていたとしても、彼らがこの政策を変えることはできなかったであろう。ここでもまた科学や経済ではなく政治が農業政策を独占したのだ。「農場では政治が指揮をするという原則を打ちたてよ」という金日成による、1960年2月の農業政策に関する悪名高い演説を注視すべきだ。
ある亡命者が私に語った話は非常に例証的であった。ローマで行われた国連の会合に参加している間、北朝鮮の農業次官がいくつかのイタリアの農場を回り、農民達がトウモロコシの種を春の植付け用の農地に蒔いているのに気がついた。北朝鮮の習慣ではトウモロコシの種は早春に苗床に植えて、後に発芽したものを手で畑に移植させるというものだった。平壌は世界のどこでも行われていなかったこの習慣を、短期成長期を理由にして正当化し続けていたのだが、次官は金日成にあい、イタリアの習慣について説明し、北朝鮮でも同様のやり方を採用して実験を行ってみることを推奨した。金日成はこれを承認し、次官は今度はこの実験を履行するために大臣のところに行った。ところが大臣はこの次官がチュチェ農業の主要な命題に違反した、としてたちまち首にしてしまったのである。時間は1ヶ月間にわたり、復職することに努め、「偉大なる指導者」に状況を伝えることで何とかそのポストに再び就くことができた。この北朝鮮の大臣は金日成が承認を与えたものとは知らず、ただチュチェの原則に従っていたのである。そうしていれば通常何もリスクはなく、何も変えずに何の新たな進歩も考えなくてよいからである。
北朝鮮の農業科学者が米の生産を増加させた一つの方法は、大量の化学肥料を投じて、水田に米の苗を異常に近く隣接させて植えたことである。北朝鮮情勢に詳しい中国の農業経済学者は、この習慣は非生産的であると主張する。水田は遠くからはよく見えるが、ヘクタールあたりの米の生産高は低くなっているのだ。化学肥料の大量使用が減った後、接近植え込みをなお続けていると、生産へのダメージはより激しくなっているということが実際1990年代中盤から起こった。生産高の減少と土壌の疲弊が共に急激に進んだのである。このことが農業当局が多くの南西部の集団農家に対して、改良種の開発を諦めて化学肥料を必要としない伝統的で栄養のある米の種類に戻るようにと命じた理由の一つだったのだろう。 (終わり)
これは メッセージ 147307 (komash0427 さん)への返信です.