朝鮮の小中華主義
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/08/08 16:54 投稿番号: [146869 / 232612]
朝鮮の小中華主義
阿Qみたいな人がほとんどの時、魯迅は中国に絶望せざるをえなかったのではないか。
個々人は個々人で完結し、せいぜい家族までである。
自分の名も書けない無教養そして目先の利害しか見えない無数の人民、手でつかもうと思ってもサラサラと逃げていく砂粒のような存在のように見える。
孫大砲が掲げたスローガンは、「滅満興漢」だったでしょうか。
現代中国は<中華思想>なんてハナから相手にしていていないようですが、
人々の心には厳然とあり、かいま見ることもできます。
最近、呉善花の「韓国人からみた北朝鮮」(03年10月PHP新書)を読みましたが、
朝鮮人のメンタリティを理解するのに非常に役に立ちました。
「目から鱗」と言いたいのですが、ちょっと単純に図式的に読み解いており、
はたしてこんなに明快すぎてよいのかなと思うほどです。
(※印は引用部分)
<中華主義とは>
※自らが世界の中心にあり、その中心から遠ざかれば遠ざかるほど、いよいよ野蛮な野蛮な夷族たちの地が広がっている。こうした世界に安定した秩序を生み出すには、世界の中心すなわち文化の中心にある、<高等な>中華が、周辺の<劣等な>夷族たちに文化・道徳を与えて感化・訓育し、中華世界の支配下へ組み入れていくことにある
このような世界観が<華夷秩序>であり、周辺諸国への支配方法は間接支配で朝貢体制となる。
朝鮮半島は有史以来大陸側と海洋側から圧迫を受けてきており、小が大に仕える対中国<事大主義>に陥ったことはある意味で、大陸と<一衣帯水>の関係にある日本とは決定的に異なった対応を取らざるをえなかったものといえる。
どうもそれが国民意識にまで染みこんでいるようである。
<小中華主義の発生>
※中国に事大し中国に範を取って国家を運営していた李朝は、やがて中国と文化的同質性を持った「小中華」である、という自負をいだくようになっていく。
ところが李朝は、蔑視すべき夷族である女真族(満州族)が明を滅ぼして中国に清王朝を開くに至って、大きな矛盾にぶつかることになる。
つまり、現実に清に事大しながら、心のなかでは清を夷族として蔑視するという矛盾である。
そこで李王朝の知識人達は、表面では清王朝に事大しながら、内面ではあくまで過去の漢民族王朝に事大しているだという、まことに屈折した意識をもつことになったのである。
以後、李朝は「中国が夷狄化した以上、正統的な中華主義を奉ずるのは、もはや我が国しかない。」という認識から、「大中華」なき世界で唯一の「中華」の正統的な継承者であることを大きな誇りとすることになった。
これが李朝特有の小中華主義である。
これはもう、司馬遼太郎の「このような腸捻転にも似た思想的閉塞は朱子学という思弁哲学の惨禍」の続きというか結論をみるようである。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&board=1143583&tid=beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da 4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y&sid=1143583&action=m&mid=70417&mid=
<小中華主義と北朝鮮>
※北朝鮮には、ソ連が崩壊し、中国がその共産主義を変質させた以上、「正統的な共産主義を奉ずる国家は我が国しかない。」という認識がある。
ゆえに「社会主義圏」なき世界で唯一の「社会主義国」の正統な継承者であることを、大きな誇りとしている。
これを李朝の小中華主義思想の社会主義版といってよいだろう。
そのように北朝鮮は、現実的にはいかに小国であっても精神的にはみずからこそが非資本主義世界の中心であるという誇りを、より強固なものとしている。
どうりで<主体思想>を世界的に広めようと艱難辛苦しているわけだ。
もっとも主体思想が社会主義とは関係はあっても、捻れに捻れたものと言わざるをえない。
春の祭典で世界のストリート・ミュージシャンを呼んでいるが、この場合何カ国から来たかが重要な指標になるらしい。
また、この視点に立つと金正日が世界のあちこちを飛びまわらないのよくわかる。
”徳を慕って”海外の要人が来朝したら大宣伝となる。
(小泉首相の5月の再訪朝もこれに利用された)
この本できすぎだという気がするが。
同様の目的で、鄭銀淑「日本が知らない北朝鮮の素顔」(03年ふたば新書)を読んだが、
地味でさっぱり面白くなかった。
阿Qみたいな人がほとんどの時、魯迅は中国に絶望せざるをえなかったのではないか。
個々人は個々人で完結し、せいぜい家族までである。
自分の名も書けない無教養そして目先の利害しか見えない無数の人民、手でつかもうと思ってもサラサラと逃げていく砂粒のような存在のように見える。
孫大砲が掲げたスローガンは、「滅満興漢」だったでしょうか。
現代中国は<中華思想>なんてハナから相手にしていていないようですが、
人々の心には厳然とあり、かいま見ることもできます。
最近、呉善花の「韓国人からみた北朝鮮」(03年10月PHP新書)を読みましたが、
朝鮮人のメンタリティを理解するのに非常に役に立ちました。
「目から鱗」と言いたいのですが、ちょっと単純に図式的に読み解いており、
はたしてこんなに明快すぎてよいのかなと思うほどです。
(※印は引用部分)
<中華主義とは>
※自らが世界の中心にあり、その中心から遠ざかれば遠ざかるほど、いよいよ野蛮な野蛮な夷族たちの地が広がっている。こうした世界に安定した秩序を生み出すには、世界の中心すなわち文化の中心にある、<高等な>中華が、周辺の<劣等な>夷族たちに文化・道徳を与えて感化・訓育し、中華世界の支配下へ組み入れていくことにある
このような世界観が<華夷秩序>であり、周辺諸国への支配方法は間接支配で朝貢体制となる。
朝鮮半島は有史以来大陸側と海洋側から圧迫を受けてきており、小が大に仕える対中国<事大主義>に陥ったことはある意味で、大陸と<一衣帯水>の関係にある日本とは決定的に異なった対応を取らざるをえなかったものといえる。
どうもそれが国民意識にまで染みこんでいるようである。
<小中華主義の発生>
※中国に事大し中国に範を取って国家を運営していた李朝は、やがて中国と文化的同質性を持った「小中華」である、という自負をいだくようになっていく。
ところが李朝は、蔑視すべき夷族である女真族(満州族)が明を滅ぼして中国に清王朝を開くに至って、大きな矛盾にぶつかることになる。
つまり、現実に清に事大しながら、心のなかでは清を夷族として蔑視するという矛盾である。
そこで李王朝の知識人達は、表面では清王朝に事大しながら、内面ではあくまで過去の漢民族王朝に事大しているだという、まことに屈折した意識をもつことになったのである。
以後、李朝は「中国が夷狄化した以上、正統的な中華主義を奉ずるのは、もはや我が国しかない。」という認識から、「大中華」なき世界で唯一の「中華」の正統的な継承者であることを大きな誇りとすることになった。
これが李朝特有の小中華主義である。
これはもう、司馬遼太郎の「このような腸捻転にも似た思想的閉塞は朱子学という思弁哲学の惨禍」の続きというか結論をみるようである。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&board=1143583&tid=beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da 4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y&sid=1143583&action=m&mid=70417&mid=
<小中華主義と北朝鮮>
※北朝鮮には、ソ連が崩壊し、中国がその共産主義を変質させた以上、「正統的な共産主義を奉ずる国家は我が国しかない。」という認識がある。
ゆえに「社会主義圏」なき世界で唯一の「社会主義国」の正統な継承者であることを、大きな誇りとしている。
これを李朝の小中華主義思想の社会主義版といってよいだろう。
そのように北朝鮮は、現実的にはいかに小国であっても精神的にはみずからこそが非資本主義世界の中心であるという誇りを、より強固なものとしている。
どうりで<主体思想>を世界的に広めようと艱難辛苦しているわけだ。
もっとも主体思想が社会主義とは関係はあっても、捻れに捻れたものと言わざるをえない。
春の祭典で世界のストリート・ミュージシャンを呼んでいるが、この場合何カ国から来たかが重要な指標になるらしい。
また、この視点に立つと金正日が世界のあちこちを飛びまわらないのよくわかる。
”徳を慕って”海外の要人が来朝したら大宣伝となる。
(小泉首相の5月の再訪朝もこれに利用された)
この本できすぎだという気がするが。
同様の目的で、鄭銀淑「日本が知らない北朝鮮の素顔」(03年ふたば新書)を読んだが、
地味でさっぱり面白くなかった。
これは メッセージ 146609 (east_jungle3 さん)への返信です.