小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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9.韓国障害児の母

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2004/06/15 02:15 投稿番号: [138278 / 232612]
生徒数が多くなると、新しい土地を探し、建物を建て、「慈恵学校」が正式に発足した。
より多くの資金を集めるために方子妃は王朝衣装ショーを始め、自らも宮中衣装を着て海外を廻られた。
これには、旧朝鮮王朝の権威と誇りを大事にしてもらいたい、と非難が集中した。
しかし、妃殿下はそんな非難をよそに80歳を過ぎても海外でのショーを続けられた。

このような方子妃の努力で慈恵学校は形を整え、児童数150名、校地4千坪、教室や寄宿舎以外に、豚舎、鶏小屋、農場まで備える規模に成長していった。

方子妃が日本への募金旅行から帰った時の帰った時のことである。
風呂場をのぞくと、せっけんの泡をつけた子どもと、お湯のしずくをしたたらせた子どもが抱きついてくる。
方子妃はよそゆきの洋服が泡だらけになるのもかまわず、子どもたちを抱き寄せ、「ただいま」と一人一人の顔をのぞき込む。
一緒に訪れた在日韓国人の権炳裕は、この光景を見て胸がつまり、この方の為ならどんな応援もしようと心に誓ったという。
権はその後の在日大韓民国婦人会中央本部会長である。

平成元(1989)年、方子妃は87歳で逝去された。
5月8日、古式に則って千人の従者を伴った葬礼の行列が、旧朝鮮王朝王宮から王家の墓までの2キロの道を進んだ。
墓にはすでに19年前に亡くなられた垠殿下が待っている。
韓国からは姜英勲首相、日本からは三笠宮同妃両殿下が参列され、多くの韓国国民が見送った。

日本の皇族として生まれ、朝鮮王朝最後の皇太子妃となり、さらに「韓国障害児の母」と数奇な運命を辿られた方子妃は、「一人の女性として、妻として、私は決して不幸ではなかった」と述べられている。

日韓の架け橋になろうとの15歳の時の決意のままに、その後の72年間を生き抜かれたのである。
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