崩壊論〜南アフリカ編2〜
投稿者: komash0427 投稿日時: 2004/06/02 14:10 投稿番号: [134906 / 232612]
アフリカの南端に位置するこの地に最初に入植したのはオランダ人とされています。しかしその前に、喜望峰はポルトガル人に「発見」されています。1497年にはバスコ・ダ・ガマが喜望峰を抜けてインドへ達しています。
インドネシアを植民地とするオランダはケープタウンに船隊の補給基地を作るため、1652年に東インド会社が80名のオランダ人をこの地に送り込みました。このうちの何人かが東インド会社を辞めて新天地に入植していきます。その後オランダ人をはじめドイツ人や少数ながらユグノー(オランダに亡命していた少数派プロテスタントのフランス人)も移民としてケープタウンで根をおろします。
プロテスタントは勤勉、清廉を重んじる教えと耳にしていますが、反面エリート主義に偏ったところもあり、自分たちを選ばれた民でありケープタウンをはじめ南アフリカの先住民族は彼らに支配されて当然という考えが当初からあったようです。
先行移民のオランダ人を中心とした白人社会は1806年に転機を迎えました。海洋国家に覇を唱えるイギリスが台頭して、ケープタウン一帯の支配権をオランダから奪いました。イギリスは当時、本国に習い、オランダ系白人入植者が経営する農場で奴隷として使役していた先住民の奴隷解放を行いました。そのためオランダ系白人入植者は没落し、新参者のイギリス人と対立しました。オランダ系白人入植者はケープタウンを去り、新たな土地を求めて南アフリカの東部沿岸や内陸部に進出し、自分たちの国を作りました(おもな国はトランスバール共和国やオレンジ自由国です)。
イギリスとオランダの入植者は長い間対立を繰り返し、戦争もしました。この辺を紹介すると長くなりますので割愛します。お互いその後もいがみ合っているのですが、社会的に成功したのはイギリス人で、オランダ人は没落する人が多かったそうです。没落したオランダ人はプアホワイトと呼ばれています。
1860年頃からインド人もやってきます。砂糖きびのプランテーションや鉄道建設、炭鉱労働についていたようです。ナタール州という地域には19世紀の終わりには5万人近くが生活していたそうです。その中の一人にモハンダス・ガンジーも居ました(最近はモマメッドと言わないのかな?)。かれは1893年に23歳で入国し、帰国する1914年までインド人の地位向上のために活躍したといわれています。
1867年に世界を揺るがす大事件がおきたそうです。品質の良いダイヤモンドが発見されました。場所はケープ植民地とオレンジ自由国の境界のあたりです。91年にはデビアス社がこの地のダイヤモンド産業を独占しました。
前後しますが1886年には金の大鉱脈が発見されました。質は落ちるようですが世界最大級の規模で100年以上経た今もって採掘は続いているそうです。
莫大な富を目の前にすると人間誰でも人が変わってしまいます。
安価な鉱山労働者を確保するために、また土地を手に入れるために着々とイギリス人は手を打ち始めます。
インドネシアを植民地とするオランダはケープタウンに船隊の補給基地を作るため、1652年に東インド会社が80名のオランダ人をこの地に送り込みました。このうちの何人かが東インド会社を辞めて新天地に入植していきます。その後オランダ人をはじめドイツ人や少数ながらユグノー(オランダに亡命していた少数派プロテスタントのフランス人)も移民としてケープタウンで根をおろします。
プロテスタントは勤勉、清廉を重んじる教えと耳にしていますが、反面エリート主義に偏ったところもあり、自分たちを選ばれた民でありケープタウンをはじめ南アフリカの先住民族は彼らに支配されて当然という考えが当初からあったようです。
先行移民のオランダ人を中心とした白人社会は1806年に転機を迎えました。海洋国家に覇を唱えるイギリスが台頭して、ケープタウン一帯の支配権をオランダから奪いました。イギリスは当時、本国に習い、オランダ系白人入植者が経営する農場で奴隷として使役していた先住民の奴隷解放を行いました。そのためオランダ系白人入植者は没落し、新参者のイギリス人と対立しました。オランダ系白人入植者はケープタウンを去り、新たな土地を求めて南アフリカの東部沿岸や内陸部に進出し、自分たちの国を作りました(おもな国はトランスバール共和国やオレンジ自由国です)。
イギリスとオランダの入植者は長い間対立を繰り返し、戦争もしました。この辺を紹介すると長くなりますので割愛します。お互いその後もいがみ合っているのですが、社会的に成功したのはイギリス人で、オランダ人は没落する人が多かったそうです。没落したオランダ人はプアホワイトと呼ばれています。
1860年頃からインド人もやってきます。砂糖きびのプランテーションや鉄道建設、炭鉱労働についていたようです。ナタール州という地域には19世紀の終わりには5万人近くが生活していたそうです。その中の一人にモハンダス・ガンジーも居ました(最近はモマメッドと言わないのかな?)。かれは1893年に23歳で入国し、帰国する1914年までインド人の地位向上のために活躍したといわれています。
1867年に世界を揺るがす大事件がおきたそうです。品質の良いダイヤモンドが発見されました。場所はケープ植民地とオレンジ自由国の境界のあたりです。91年にはデビアス社がこの地のダイヤモンド産業を独占しました。
前後しますが1886年には金の大鉱脈が発見されました。質は落ちるようですが世界最大級の規模で100年以上経た今もって採掘は続いているそうです。
莫大な富を目の前にすると人間誰でも人が変わってしまいます。
安価な鉱山労働者を確保するために、また土地を手に入れるために着々とイギリス人は手を打ち始めます。
これは メッセージ 134905 (komash0427 さん)への返信です.