「南京大虐殺はなかった」
投稿者: ringo_pie03 投稿日時: 2004/03/07 19:04 投稿番号: [110393 / 232612]
http://www.history.gr.jp/nanking/moriou.html
・はじめに
・南京総攻撃の概要
・「南京大虐殺」論はなぜ起こったか
・東京裁判における検事側の証言
・虐殺論者とそのウソ(1)
・虐殺論者とそのウソ(2)
・参戦者の手記、日記など
・虐殺論に対する反論
・戦場の実相
・終りに
・質疑応答
・付・便衣兵について
前回どうしても開かなかったけど、出てきました。
このうちの「虐殺論者とそのウソ1」
イ、朝日新聞の今井正剛記者という記者が「南京城内の大量殺人」という本を書いております。大阪毎日(当時)の後藤記者が、
「あなたはとんでもない事を書いていますね」とただしたところ、今井記者は、
「あれは興味本位で書いたのだ」と白状しています。
朝日の同僚の記者は、
「今井君は危険な前線に出て、目で見てものを書く人ではなく、後方で人の話を聞いて記事を書くのが上手であった」と批判をしております。
ロ、東京日々新聞の鈴木二郎という記者は、
「私は12月12日に中山門より入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言しております。
作家の阿羅健一氏が、
「あなは12月12日に中山門に入られたのですか。それは13日の間違いではありませんか」と問い正したのにも関わらず、
「いや、私は12日に入って、現実に捕虜が殺されるのを見たんだ」と譲らないのです。
12月12日には、私は先ほどお話したように、中山門正面約2キロ手前の溝山の山頂にいました。
双眼鏡で中山門の城壁がやっと見えたのですが、敵兵がいっぱいおりました。
一体いつになったらあれを占領できるのかと、その時思ったことを私ははっきり覚えています。
そんな時期に、一新聞記者がどうして中山門に入れるのでしょうか。
中山門の高さは約10メートル、厚さ20センチの扉はぴったり閉まっており、しかも門の内側には土嚢(どのう)がいっぱい積み上げられてありました。
13日の未明、我が歩兵20連隊が砲撃によって崩れた城壁をよじ登って占領し、私は15日に中山門に入ったのですが、ここで捕虜が虐殺されたような形跡は全くありませんでした。
要するに、鈴木二郎という記者の証言は、全くのウソであります。
**************************************
またしても、朝卑・・・
このあと、「百人斬り」という記事についてもかかれています。
http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html#05
これは メッセージ 110390 (ringo_pie03 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/110393.html