田口さん長男が公の場に 「母を取り戻す」
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/02/25 06:03 投稿番号: [108714 / 232612]
拉致被害者、田口さん長男が公の場に
「母を取り戻す」
情報求め 金賢姫・元工作員に手紙
北朝鮮から「死亡」とされた拉致被害者の田口八重子さん、拉致当時(二二)=の長男、飯塚耕一郎さん(二七)が二十三日、公の場に初めて姿をみせた。大韓航空機爆破事件(昭和六十二年)の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員に日本語などを教えた「李恩恵(リ・ウネ)」とみられる田口さん。拉致から約二十六年。耕一郎さんは沈黙を破り、「元気でいて。取り戻します」と母親に呼びかけた。
耕一郎さんが、育ての親で、拉致被害者の「家族会」副代表、飯塚繁雄さん(六五)から「お父さんの妹の子だ」と告げられたのは二十一歳のとき。そのときの気持ちを「まったく真実味がなかった」と振り返った。
「何不自由なく育てられた」という耕一郎さんは、成人した区切りに事実を話してくれた繁雄さんを「私のオヤジ」と言い切って信頼し、「直接いわなくても、気持ちは理解している」と親子のきずなを口にした。
事実を知った耕一郎さんは、拉致問題解決のために活動する繁雄さんを見て、自らも「被害者の子供」と名乗り出ることを決意。いったん繁雄さんに「前に出て活動してもいい」と話したこともあったが、「まだタイミングではない」と諭された。
田口さんの失踪(しっそう)は昭和五十三年六月ごろ。東京・高田馬場のベビーホテルに、耕一郎さんら子供二人を預けたまま行方不明となっており、当初から拉致事件との見方が濃厚だった。
「公の場に出ていっても、大きなことができるものでもない。自分に何ができるか…」と深まる悩み。時間だけが過ぎた。事実を知ってからの約六年間を、耕一郎さんは「もどかしい気持ちだった」と告白した。
◇
平成十四年九月に小泉純一郎首相が訪朝した際、北朝鮮は「宮崎市の海岸で田口さんが『北朝鮮に観光に行きたい』といっていた。交通事故死し、墓は貯水池ダムの堤防が壊れて流された」と不自然な説明をした。
繁雄さんもようやく、「耕一郎も成人しており、活動に参加したいという意向をくんだ」と歓迎し、「耕一郎がこんなに大きくなるまで(田口さんの拉致問題が)解決せず、怒りを感じる。お前の子はちゃんと育てた、というのが八重子への気持ち」と話した。
耕一郎さんは会見に先立ち、外務省に斎木昭隆審議官を訪ね、「金元工作員と面会して母を捜したい」と、金元工作員あての手紙を届けてくれるよう託した。手紙には「母の記憶につながることを、一つでも二つでも知りたい」とつづった。
「これで問題が解決するわけではないだろうが、第一歩になると信じている」と話す耕一郎さん。「母には『元気でいてください』と。心が詰まり、それ以上はいえない」「私は元気でやっています。微力ながら、あなたの奪還に邁進(まいしん)していきます」
(02/24)
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_21_1.htm
情報求め 金賢姫・元工作員に手紙
北朝鮮から「死亡」とされた拉致被害者の田口八重子さん、拉致当時(二二)=の長男、飯塚耕一郎さん(二七)が二十三日、公の場に初めて姿をみせた。大韓航空機爆破事件(昭和六十二年)の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員に日本語などを教えた「李恩恵(リ・ウネ)」とみられる田口さん。拉致から約二十六年。耕一郎さんは沈黙を破り、「元気でいて。取り戻します」と母親に呼びかけた。
耕一郎さんが、育ての親で、拉致被害者の「家族会」副代表、飯塚繁雄さん(六五)から「お父さんの妹の子だ」と告げられたのは二十一歳のとき。そのときの気持ちを「まったく真実味がなかった」と振り返った。
「何不自由なく育てられた」という耕一郎さんは、成人した区切りに事実を話してくれた繁雄さんを「私のオヤジ」と言い切って信頼し、「直接いわなくても、気持ちは理解している」と親子のきずなを口にした。
事実を知った耕一郎さんは、拉致問題解決のために活動する繁雄さんを見て、自らも「被害者の子供」と名乗り出ることを決意。いったん繁雄さんに「前に出て活動してもいい」と話したこともあったが、「まだタイミングではない」と諭された。
田口さんの失踪(しっそう)は昭和五十三年六月ごろ。東京・高田馬場のベビーホテルに、耕一郎さんら子供二人を預けたまま行方不明となっており、当初から拉致事件との見方が濃厚だった。
「公の場に出ていっても、大きなことができるものでもない。自分に何ができるか…」と深まる悩み。時間だけが過ぎた。事実を知ってからの約六年間を、耕一郎さんは「もどかしい気持ちだった」と告白した。
◇
平成十四年九月に小泉純一郎首相が訪朝した際、北朝鮮は「宮崎市の海岸で田口さんが『北朝鮮に観光に行きたい』といっていた。交通事故死し、墓は貯水池ダムの堤防が壊れて流された」と不自然な説明をした。
繁雄さんもようやく、「耕一郎も成人しており、活動に参加したいという意向をくんだ」と歓迎し、「耕一郎がこんなに大きくなるまで(田口さんの拉致問題が)解決せず、怒りを感じる。お前の子はちゃんと育てた、というのが八重子への気持ち」と話した。
耕一郎さんは会見に先立ち、外務省に斎木昭隆審議官を訪ね、「金元工作員と面会して母を捜したい」と、金元工作員あての手紙を届けてくれるよう託した。手紙には「母の記憶につながることを、一つでも二つでも知りたい」とつづった。
「これで問題が解決するわけではないだろうが、第一歩になると信じている」と話す耕一郎さん。「母には『元気でいてください』と。心が詰まり、それ以上はいえない」「私は元気でやっています。微力ながら、あなたの奪還に邁進(まいしん)していきます」
(02/24)
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_21_1.htm
これは メッセージ 108713 (sofiansky2003 さん)への返信です.