>>>覚悟の話
投稿者: moon_over_moscow2001 投稿日時: 2004/02/17 23:04 投稿番号: [107406 / 232612]
>これがどういうことかというと。
「やったことは、誰かにやらされたのだとしても、たとえそれが強制されたものであっても、やった当人が罪を負わなければならない。」
ということです。脅されて、騙されてやらされたなんて言い訳を認める気はありません。
厳しいと思いますが、私はこう考えてます。
脅されて、騙されてやらされた事は、法的のも情状酌量
という措置も存在しますが?
>具体的には自衛隊員に犠牲が出たとしてもテロと戦い抜く覚悟です。
守る為に、犠牲が出ることを承知で送り出す覚悟です。
自身が巻き込まれて犠牲になる可能性があることを承知しつつも戦う覚悟です。
ミサイルが飛んでくる可能性があっても怯まず北朝鮮と戦う覚悟です。
破壊工作が行われる可能性があっても怯まない覚悟です。
実際に自分が犠牲になったとしても泣き言など言わず、戦い続ける覚悟です。
覚悟しないなら、その覚悟が問われる状況になった時には守れないということです。
そこでもう守るのを止めるということです。二つに一つです。
そしてこれは“私達”でなくてはなりません。でなければ力になりませんので。
“私達”ですが、覚悟するのは個人です。個人の責任においてです。
結果的に“私達”になるということです。
これらは基本的にDNAに則しているのです。
>自爆は、自分の命と守りたいものの価値のどちらが重要と考えるかで
自爆という手段を選ぶかどうかが決まると思います。
自分の命が何より重要と考えるなら、自分の命を守って他のものを守るのは止める。
もちろんどちらか選ばざるを得ない極限状態においての話です。
ちょっと哲学的な話になりますが、自分の命に代えてでも
守りたいモノとは、自分の主観の中にのみ存在する価値観であり、
すなわち自分の命という前提がないと成立しません。
全て主観的な観念なのです。
これは メッセージ 107343 (sadatajp さん)への返信です.
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