再確認したい日露戦争の世界史的意義
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/02/10 21:31 投稿番号: [105899 / 232612]
今日は日露戦争開戦の日、正確には「明治天皇が対露開戦の詔勅を奉戴した日」です。
タイトルは今日の産経新聞の正論のコピーです。長文のため2つに分けました。
開戦の詔勅もⅡの末尾に載せました。ショートカットで引用元がでますが、そこに現代語訳(?)もあります。こうした詔勅はじっくり読む機会はないのですが、今日、まさに対露開戦奉戴100周年の記念の日、この奉勅にこめられた祖先の決意を偲ぶのも意義あることかと思います。
http://www.sankei.co.jp/news/seiron.htm
■【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 再確認したい日露戦争の世界史的意義
開戦100周年の記念日に思うこと
≪無視し得ぬ東京裁判史観≫
本年の二月十日は日露戦争開戦百周年の記念日に当る。以後様々(さまざま)の記念行事の開催も予想されるので、限られた紙面ではあるがこの機会に祖国の歴史に刻まれた百年前の栄光の事蹟(じせき)を一瞥(いちべつ)しておく。
二月十日は正確には明治天皇の対露開戦の詔勅を奉戴した日付であり、一方ロシア皇帝の対日宣戦詔書は九日付になつてゐる。実際の戦闘行動は八日夜半の日本駆逐艦隊による旅順港外のロシア艦隊泊地攻撃及び瓜生艦隊の朝鮮牙山湾進入と翌九日の仁川港外でのロシア艦との交戦を以て開始されてゐた。
因(ちな)みに宣戦布告以前のかかる戦闘行動に対し、当時国際法違反といふ様な非難はなく、むしろ弱小国と見られてゐた日本の勇気ある決断を賞讃するロンドン・タイムズの論調が主流をなした(マイケル・ハワードによる)。事実、この果敢な決断は、とかく開戦慎重論乃至(ないし)対露恐怖症に覆はれがちであつた国民世論に挙国一致の総力戦体勢を決心させる鞭撻(べんたつ)となつた。
それから四十余年を過ぎての後、大東亜戦争の敗戦に発する米軍の長期占領と言語表現の抑圧、そして戦争裁判を手段とする洗脳宣伝活動によつて、日本国民は自らの歴史に係る栄光の記憶を深く傷つけられ、奪はれてしまつた。所謂(いはゆる)東京裁判史観とは、我等の戦つた大東亜戦争を(1)挑発を受けざる内に先制攻撃に出(2)その動機が交戦相手国の領土・資源の占有であつたが故に「侵略戦争」であり、国家の行つた犯罪行為である、と決めつけたものである。
この見方は現在国内では理論的客観的に完全に論破・否定されてをり、今なほこの謬見(びゅうけん)にしがみついて物を言ふのは極(ご)く一部の下心ある「確信犯」にすぎないのであるが、他方日教組の亡霊がさまよふ教育界、殊に普通教育の教科書出版業界がこの排日・反日史観の汚染を洗ひ流し得てゐない状況にある。つまり、間接的には東京裁判史観の影響力は依然として無視し得ないのが現実である。
≪衝撃与えたロシアの敗退≫
さうである限り、この視点からの照射を溯つて適用されてゐる我が明治時代の二つの対外戦争も、やはり父祖の輝かしい事蹟の歪曲(わいきょく)と卑小化を免れることができず、そのことが次代を担ふ少年達の国家観・歴史観に及ぼす悪影響には深刻なものがある。その汚染を防いでやることは、これは衒(てら)ひでも徒(あだ)なる気負ひでもない、凡(およ)そ憂世の情を懐(いだ)く限りの知識人の義務である。
日露戦争の世界史的意義も、元来短い紙幅で意を尽し得ることではないが、ロシアの敗退によつて十九世紀一杯続いたヨーロッパ世界の勢力均衡の構図に大きな変動を用意し、東方への進出を塞(せき)止められたロシアの膨張力の方向転換が結局十年後の第一次欧州大戦の下図を描く結果になつたこと、日本海々戦の圧倒的な印象が列強の間に忽ちにして大艦巨砲主義の建艦競争を導入したことを始め、日露戦争の戦訓を有効に学び得た国とさうでない国との間での兵力・武力の差が、やがて夫々の国の運命を決定する重大な要因となること、眼に映る力の面に於いてのみならず、殆(ほとん)ど全世界の予想を破つて大戦争の勝利国となつた日本の、その国民精神の在り方に賢くも注目してそこに範を取ることを試みた民族が、やがて国民教育に成功して国際社会への台頭を果し得たこと等々が挙げられよう。
タイトルは今日の産経新聞の正論のコピーです。長文のため2つに分けました。
開戦の詔勅もⅡの末尾に載せました。ショートカットで引用元がでますが、そこに現代語訳(?)もあります。こうした詔勅はじっくり読む機会はないのですが、今日、まさに対露開戦奉戴100周年の記念の日、この奉勅にこめられた祖先の決意を偲ぶのも意義あることかと思います。
http://www.sankei.co.jp/news/seiron.htm
■【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 再確認したい日露戦争の世界史的意義
開戦100周年の記念日に思うこと
≪無視し得ぬ東京裁判史観≫
本年の二月十日は日露戦争開戦百周年の記念日に当る。以後様々(さまざま)の記念行事の開催も予想されるので、限られた紙面ではあるがこの機会に祖国の歴史に刻まれた百年前の栄光の事蹟(じせき)を一瞥(いちべつ)しておく。
二月十日は正確には明治天皇の対露開戦の詔勅を奉戴した日付であり、一方ロシア皇帝の対日宣戦詔書は九日付になつてゐる。実際の戦闘行動は八日夜半の日本駆逐艦隊による旅順港外のロシア艦隊泊地攻撃及び瓜生艦隊の朝鮮牙山湾進入と翌九日の仁川港外でのロシア艦との交戦を以て開始されてゐた。
因(ちな)みに宣戦布告以前のかかる戦闘行動に対し、当時国際法違反といふ様な非難はなく、むしろ弱小国と見られてゐた日本の勇気ある決断を賞讃するロンドン・タイムズの論調が主流をなした(マイケル・ハワードによる)。事実、この果敢な決断は、とかく開戦慎重論乃至(ないし)対露恐怖症に覆はれがちであつた国民世論に挙国一致の総力戦体勢を決心させる鞭撻(べんたつ)となつた。
それから四十余年を過ぎての後、大東亜戦争の敗戦に発する米軍の長期占領と言語表現の抑圧、そして戦争裁判を手段とする洗脳宣伝活動によつて、日本国民は自らの歴史に係る栄光の記憶を深く傷つけられ、奪はれてしまつた。所謂(いはゆる)東京裁判史観とは、我等の戦つた大東亜戦争を(1)挑発を受けざる内に先制攻撃に出(2)その動機が交戦相手国の領土・資源の占有であつたが故に「侵略戦争」であり、国家の行つた犯罪行為である、と決めつけたものである。
この見方は現在国内では理論的客観的に完全に論破・否定されてをり、今なほこの謬見(びゅうけん)にしがみついて物を言ふのは極(ご)く一部の下心ある「確信犯」にすぎないのであるが、他方日教組の亡霊がさまよふ教育界、殊に普通教育の教科書出版業界がこの排日・反日史観の汚染を洗ひ流し得てゐない状況にある。つまり、間接的には東京裁判史観の影響力は依然として無視し得ないのが現実である。
≪衝撃与えたロシアの敗退≫
さうである限り、この視点からの照射を溯つて適用されてゐる我が明治時代の二つの対外戦争も、やはり父祖の輝かしい事蹟の歪曲(わいきょく)と卑小化を免れることができず、そのことが次代を担ふ少年達の国家観・歴史観に及ぼす悪影響には深刻なものがある。その汚染を防いでやることは、これは衒(てら)ひでも徒(あだ)なる気負ひでもない、凡(およ)そ憂世の情を懐(いだ)く限りの知識人の義務である。
日露戦争の世界史的意義も、元来短い紙幅で意を尽し得ることではないが、ロシアの敗退によつて十九世紀一杯続いたヨーロッパ世界の勢力均衡の構図に大きな変動を用意し、東方への進出を塞(せき)止められたロシアの膨張力の方向転換が結局十年後の第一次欧州大戦の下図を描く結果になつたこと、日本海々戦の圧倒的な印象が列強の間に忽ちにして大艦巨砲主義の建艦競争を導入したことを始め、日露戦争の戦訓を有効に学び得た国とさうでない国との間での兵力・武力の差が、やがて夫々の国の運命を決定する重大な要因となること、眼に映る力の面に於いてのみならず、殆(ほとん)ど全世界の予想を破つて大戦争の勝利国となつた日本の、その国民精神の在り方に賢くも注目してそこに範を取ることを試みた民族が、やがて国民教育に成功して国際社会への台頭を果し得たこと等々が挙げられよう。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.