脱北者:「早く助けに来て」
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/01/29 05:41 投稿番号: [103874 / 232612]
脱北者:「早く助けに来て」
中国で拘束の女性
北朝鮮からの脱出住民(脱北者)支援活動中に中国公安当局に逮捕された非政府組織(NGO)「北朝鮮難民救援基金」メンバー、野口孝行さん(32)が救い出そうとしたのは、帰還事業で約40年前に北朝鮮に渡った元在日朝鮮人の男女だった。2人は日本に帰りたい一心で中国に脱出したが、野口さんと一緒に拘束され、北朝鮮に送還されかねない境遇に置かれている。40代の女性は日本にいる親族に電話や手紙で脱出時の状況や暮らしぶりを伝えていた。【照山哲史】
■涙で声にならず
「今、中国の……」。昨年11月30日正午過ぎ、脱北した女性は東海地方に住む親族に電話してきた。命からがら国境を越え、もう少しで日本という思いが募るのか、涙でほとんど声にならない。一緒に脱北した50代の男性が途中で電話を代わり、大連にいると告げた。親族は「落ち着いてからもう一度かけて」と応じた。
翌日の電話で、女性は「鉄道の貨車の中で寝ている。早く助けに来てください」と訴えた。会社を経営している親族は、社員を急きょ中国に向かわせるとともに、難民基金に連絡し、援助を求めた。
■「理想は裏切られた」
女性は、60年代に母親に連れられて北朝鮮に渡った。親族によると、女性に当時の記憶はないが、亡くなった母親が生前、「(北朝鮮での)理想は全部裏切られた」と言っていたのを覚えているという。女性は2〜3カ月に一度、親族に手紙を書き、生活の困窮ぶりを訴え、支援を求めた。しかし、母親は手紙を送ってきたことはなかった。
手紙の内容は毎回ほとんど同じで、「古着、古物などを捨てずに送ってください」「1カ月に2〜3万円は送ってください」などと記されていた。昨年9月の手紙には、「一人ぼっちの私からの電話をどうぞ受け取って下さることをいのります」と、脱北した際の電話を示唆する記述もあった。
■訪朝の父から現金
日本に残った女性の父親は数回訪朝し、支援の現金を持参した。しかし、母親の再婚相手の家族に分けられ、女性の手元には残らなかった。そのため女性は、父の手を引き、家の外でこっそり金を受け取ったこともあったという。その父も、日本での再会を果たすことなく、91年10月に死亡した。
脱北した2人は12月6日に大連で、野口さんらと合流。東南アジアに出てから保護を求めようと8日に北京に移動し、その後鉄道を使って10日には中国南部の南寧市に入った。ホテルにチェックインしようとした際、野口さんと一緒に拘束された。野口さんは逮捕されたままだが、2人の状況は不明だ。
難民基金の加藤博事務局長は「送還されれば収容所送りになるか、拷問を受けて生命の危険もある。帰還事業という不幸な出来事の犠牲者で、ぜひ日本に戻さなければならない」と語る。外務省は「野口さんは邦人保護の立場から釈放・早期帰国を、元在日朝鮮人については人道的な観点から配慮するよう中国に求めている」と話している。
◎ことば=帰還事業
日本と北朝鮮の赤十字社の共同事業として1959年〜84年、在日朝鮮人ら計約9万3000人が北朝鮮に渡った。在日本朝鮮人総連合会は「祖国建設のため」と推進し、日本政府も事業を後押しした。日本での差別もあり、希望を胸に海を渡ったが、多くが厳しい生活を強いられたという。90年代以降、脱北して日本への帰国を果たしたのは100人にも満たない。
[毎日新聞1月29日] ( 2004-01-29-03:00 )
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20040129k0000m040136000c.html
北朝鮮からの脱出住民(脱北者)支援活動中に中国公安当局に逮捕された非政府組織(NGO)「北朝鮮難民救援基金」メンバー、野口孝行さん(32)が救い出そうとしたのは、帰還事業で約40年前に北朝鮮に渡った元在日朝鮮人の男女だった。2人は日本に帰りたい一心で中国に脱出したが、野口さんと一緒に拘束され、北朝鮮に送還されかねない境遇に置かれている。40代の女性は日本にいる親族に電話や手紙で脱出時の状況や暮らしぶりを伝えていた。【照山哲史】
■涙で声にならず
「今、中国の……」。昨年11月30日正午過ぎ、脱北した女性は東海地方に住む親族に電話してきた。命からがら国境を越え、もう少しで日本という思いが募るのか、涙でほとんど声にならない。一緒に脱北した50代の男性が途中で電話を代わり、大連にいると告げた。親族は「落ち着いてからもう一度かけて」と応じた。
翌日の電話で、女性は「鉄道の貨車の中で寝ている。早く助けに来てください」と訴えた。会社を経営している親族は、社員を急きょ中国に向かわせるとともに、難民基金に連絡し、援助を求めた。
■「理想は裏切られた」
女性は、60年代に母親に連れられて北朝鮮に渡った。親族によると、女性に当時の記憶はないが、亡くなった母親が生前、「(北朝鮮での)理想は全部裏切られた」と言っていたのを覚えているという。女性は2〜3カ月に一度、親族に手紙を書き、生活の困窮ぶりを訴え、支援を求めた。しかし、母親は手紙を送ってきたことはなかった。
手紙の内容は毎回ほとんど同じで、「古着、古物などを捨てずに送ってください」「1カ月に2〜3万円は送ってください」などと記されていた。昨年9月の手紙には、「一人ぼっちの私からの電話をどうぞ受け取って下さることをいのります」と、脱北した際の電話を示唆する記述もあった。
■訪朝の父から現金
日本に残った女性の父親は数回訪朝し、支援の現金を持参した。しかし、母親の再婚相手の家族に分けられ、女性の手元には残らなかった。そのため女性は、父の手を引き、家の外でこっそり金を受け取ったこともあったという。その父も、日本での再会を果たすことなく、91年10月に死亡した。
脱北した2人は12月6日に大連で、野口さんらと合流。東南アジアに出てから保護を求めようと8日に北京に移動し、その後鉄道を使って10日には中国南部の南寧市に入った。ホテルにチェックインしようとした際、野口さんと一緒に拘束された。野口さんは逮捕されたままだが、2人の状況は不明だ。
難民基金の加藤博事務局長は「送還されれば収容所送りになるか、拷問を受けて生命の危険もある。帰還事業という不幸な出来事の犠牲者で、ぜひ日本に戻さなければならない」と語る。外務省は「野口さんは邦人保護の立場から釈放・早期帰国を、元在日朝鮮人については人道的な観点から配慮するよう中国に求めている」と話している。
◎ことば=帰還事業
日本と北朝鮮の赤十字社の共同事業として1959年〜84年、在日朝鮮人ら計約9万3000人が北朝鮮に渡った。在日本朝鮮人総連合会は「祖国建設のため」と推進し、日本政府も事業を後押しした。日本での差別もあり、希望を胸に海を渡ったが、多くが厳しい生活を強いられたという。90年代以降、脱北して日本への帰国を果たしたのは100人にも満たない。
[毎日新聞1月29日] ( 2004-01-29-03:00 )
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20040129k0000m040136000c.html
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.