シナに利用されたご訪中
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/01/26 22:14 投稿番号: [103422 / 232612]
内政干渉には毅然たる主権意識で
中国に利用された天皇の御訪中
≪元外相回顧録で明らかに≫
昨平成十五年の秋、中国の前副首相(元外相)銭其●氏が自己の政治生活約二十年の回顧録『外交十記』を出版したといふ。それはやがて邦訳されて我々の机上にも載ることになるであらうと思はれるのだが、現在のところそれはまだ実現してゐない。ただ、産経新聞は昨年十一月十八日から二十日にかけて三回、北京派遣の辻田記者のペンを以てその内容を摘記紹介してゐる。抄訳された部分のみを以て全貌(ぜんぼう)を推すことは誤りの因となり易(やす)く、慎しまなくてはならないと自戒するが、今はともかく同紙に訳載された限りでの内容を判断の根拠として、彼国の外交戦略の正体に一瞥(いちべつ)を投じてみよう。
先づ特記すべきは、平成四年秋に時の宮沢内閣が断行してしまつた今上天皇の御訪中といふ外交的大事件は、所詮(しょせん)は彼等の強力な戦略的意思に基いての「政治的利用」に供せられたものだつた、そのことを銭氏が何ら悪怯(わるび)れることもなく広言してゐるといふ一事である。彼にしてみれば天皇御訪中の実現は外交上の大きな功績であり、天安門事件に発する西側諸国の対中国制裁網を日本といふ一画を突き崩すことによつて解体せしめるきつかけを作つた、貴重な得点だつた。
天皇が他国の外交戦略に利用される様な事態は金輪際あつてはならぬ不祥事なのだ、といふ道理を以て御訪中を諫止した言論人は当時少からず存した(筆者もその一人であつた)。しかし何分にも東京裁判史観によつて視界を暗く曇らされた世代の論壇の長老達がまだ強い発言力を有してゐた。その人達の振廻す安手の情緒的親善外交論が事態を取返しのつかぬところにまで推し進めてしまつた。
≪外交に禁物の情緒的反応≫
あれから十一年余の歳月が流れた。北京政府は日本の天皇の権威を当時の彼等の政治的必要に合せて狡猾(こうかつ)に利用しただけであり、日本側のこの親善姿勢に応へて中国の人民が我が国に対して心を開いたわけでもなければ、内政干渉の高圧的態度を緩和したわけでもなかつた。天皇御訪中に日中関係改善の望みを嘱した楽天的な人々の期待を無残に裏切つて、彼等の敵意と侮蔑(ぶべつ)的姿勢はむしろ増進の傾向を強めた。それが最も露骨な形で表面化したのが、小泉内閣発足以降の総理の靖国神社参拝の度毎に繰返される恫喝(どうかつ)的言辞である。それは最早(もはや)内政干渉の次元をすら越えて、帝国主義時代の宗主国が植民地の自治政府に対する如き傲岸な命令の調子を帯びてゐる。
我々は今ほんたうに冷静な判断力を働かせなくてはならない。銭元外相の回顧録の語り口は、我々の下すべき判断のよき指針となる。即ち彼に示される如き戦略的外交感覚を具へた政府を相手にして、情緒的反応は禁物である。相手の気持と立場も考へて−、といつた日本国内でしか通用しない対応は禍の因である。相手は全ての事態を政治的目的を有利に達成するのに有効か否かを判断の基準としてゐる。それならば此方側も唯(ただ)我が国益と名誉にのみ重点を置かう。日本人の死者の霊に対する感情のあり方にせよ、靖国神社に於ける英霊合祀(ごうし)の経緯にせよ、民族に固有の宗教感情や祭祀(さいし)の伝統に関はる一切に関して、相手の理解を求めるといつた空(むな)しい宥和(ゆうわ)的努力を潔く放棄すべきである。
≪総理は靖国参拝を続けよ≫
我々が為すべき対応は唯一つ、どうすれば相手の理不尽な要求を封じ込めることができるか、それをひたすら冷静に商量することである。何よりも有効なのは、相手が抗議に疲れて黙りこんでしまふ迄、総理大臣が頻々と靖国神社に参拝を重ねることである。元旦の初詣では大いに結構であつた。次は春の例大祭にお出かけ頂きたい。七月のお盆のみたま祭の庶民的賑ひも是非一度経験してみられるがよい。秋の例大祭ももちろんである。但(ただ)し大切なのはその都度毎に総理の参拝に対する国民の支持がなるべく明瞭な形で表明されることである。対敵内応に等しい野党陣営からの非難は世論の力を以て圧倒しなくてはならない。
本年この事に成功すれば、来年あたりには総理はまだ果し得てゐない政治家としての公約、八月十五日当日の靖国神社参拝も実現できる様になるであらう。そして独立主権国家としての日本国の面目を国際社会に恢復(かいふく)し得た名宰相としての名を歴史に刻むことができよう。
http://www.sankei.co.jp/news/seiron.htm
中共が抗議をするのが虚しくなるほど頻繁に靖国神社参拝をすべし、というのはまさに言い得て妙だと思います。それが原因で\xA5
中国に利用された天皇の御訪中
≪元外相回顧録で明らかに≫
昨平成十五年の秋、中国の前副首相(元外相)銭其●氏が自己の政治生活約二十年の回顧録『外交十記』を出版したといふ。それはやがて邦訳されて我々の机上にも載ることになるであらうと思はれるのだが、現在のところそれはまだ実現してゐない。ただ、産経新聞は昨年十一月十八日から二十日にかけて三回、北京派遣の辻田記者のペンを以てその内容を摘記紹介してゐる。抄訳された部分のみを以て全貌(ぜんぼう)を推すことは誤りの因となり易(やす)く、慎しまなくてはならないと自戒するが、今はともかく同紙に訳載された限りでの内容を判断の根拠として、彼国の外交戦略の正体に一瞥(いちべつ)を投じてみよう。
先づ特記すべきは、平成四年秋に時の宮沢内閣が断行してしまつた今上天皇の御訪中といふ外交的大事件は、所詮(しょせん)は彼等の強力な戦略的意思に基いての「政治的利用」に供せられたものだつた、そのことを銭氏が何ら悪怯(わるび)れることもなく広言してゐるといふ一事である。彼にしてみれば天皇御訪中の実現は外交上の大きな功績であり、天安門事件に発する西側諸国の対中国制裁網を日本といふ一画を突き崩すことによつて解体せしめるきつかけを作つた、貴重な得点だつた。
天皇が他国の外交戦略に利用される様な事態は金輪際あつてはならぬ不祥事なのだ、といふ道理を以て御訪中を諫止した言論人は当時少からず存した(筆者もその一人であつた)。しかし何分にも東京裁判史観によつて視界を暗く曇らされた世代の論壇の長老達がまだ強い発言力を有してゐた。その人達の振廻す安手の情緒的親善外交論が事態を取返しのつかぬところにまで推し進めてしまつた。
≪外交に禁物の情緒的反応≫
あれから十一年余の歳月が流れた。北京政府は日本の天皇の権威を当時の彼等の政治的必要に合せて狡猾(こうかつ)に利用しただけであり、日本側のこの親善姿勢に応へて中国の人民が我が国に対して心を開いたわけでもなければ、内政干渉の高圧的態度を緩和したわけでもなかつた。天皇御訪中に日中関係改善の望みを嘱した楽天的な人々の期待を無残に裏切つて、彼等の敵意と侮蔑(ぶべつ)的姿勢はむしろ増進の傾向を強めた。それが最も露骨な形で表面化したのが、小泉内閣発足以降の総理の靖国神社参拝の度毎に繰返される恫喝(どうかつ)的言辞である。それは最早(もはや)内政干渉の次元をすら越えて、帝国主義時代の宗主国が植民地の自治政府に対する如き傲岸な命令の調子を帯びてゐる。
我々は今ほんたうに冷静な判断力を働かせなくてはならない。銭元外相の回顧録の語り口は、我々の下すべき判断のよき指針となる。即ち彼に示される如き戦略的外交感覚を具へた政府を相手にして、情緒的反応は禁物である。相手の気持と立場も考へて−、といつた日本国内でしか通用しない対応は禍の因である。相手は全ての事態を政治的目的を有利に達成するのに有効か否かを判断の基準としてゐる。それならば此方側も唯(ただ)我が国益と名誉にのみ重点を置かう。日本人の死者の霊に対する感情のあり方にせよ、靖国神社に於ける英霊合祀(ごうし)の経緯にせよ、民族に固有の宗教感情や祭祀(さいし)の伝統に関はる一切に関して、相手の理解を求めるといつた空(むな)しい宥和(ゆうわ)的努力を潔く放棄すべきである。
≪総理は靖国参拝を続けよ≫
我々が為すべき対応は唯一つ、どうすれば相手の理不尽な要求を封じ込めることができるか、それをひたすら冷静に商量することである。何よりも有効なのは、相手が抗議に疲れて黙りこんでしまふ迄、総理大臣が頻々と靖国神社に参拝を重ねることである。元旦の初詣では大いに結構であつた。次は春の例大祭にお出かけ頂きたい。七月のお盆のみたま祭の庶民的賑ひも是非一度経験してみられるがよい。秋の例大祭ももちろんである。但(ただ)し大切なのはその都度毎に総理の参拝に対する国民の支持がなるべく明瞭な形で表明されることである。対敵内応に等しい野党陣営からの非難は世論の力を以て圧倒しなくてはならない。
本年この事に成功すれば、来年あたりには総理はまだ果し得てゐない政治家としての公約、八月十五日当日の靖国神社参拝も実現できる様になるであらう。そして独立主権国家としての日本国の面目を国際社会に恢復(かいふく)し得た名宰相としての名を歴史に刻むことができよう。
http://www.sankei.co.jp/news/seiron.htm
中共が抗議をするのが虚しくなるほど頻繁に靖国神社参拝をすべし、というのはまさに言い得て妙だと思います。それが原因で\xA5
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.