>百済駅
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2004/01/15 17:24 投稿番号: [101009 / 232612]
rachi_yameroさん、ご紹介ありがとうございました。あったのですね。
百済寺というのがちょっと気にかかりました。私の推測ですが、この百済寺と言うのが先に出来てから、バスが通って、分かり易いから。とか言う理由で駅の名前がついたのでしょう。
「○○体育館前」とかみたいなものだと思います。
そして、寺の方ですが、これは百済から文化を伝えられたと言うより、乞食坊主がふらっと、その町にたどり着いたところを、その町の実力者に庵を貰ったと言う事だと思います。そして、そこで修行した小坊主が分家をして行ったので違う場所にも出来たと言う事でしょう。
昔は坊主と言えば乞食と同然に見られていました。民家の前で托鉢しながら、その日の糧を得て、命を繋いでいました。
私の母の田舎では、戦前に、ひひお爺さんが、やはり村にふらっと立ち寄った乞食坊主に庵を与えています。
戦後、JHQの政策で土地を小作人達に二束三文で譲り渡した時に、寺はどうなったのか、ちょっとややこしいですが。
親子代々住んでいます。今生きている年長の住職は、自分達がどうしてそこに住んでいるのか、自分の親から話を聞いて知っています。
その人は、「文化をこの村に伝えに来た」なんて、絶対に言いません。
この前、ひい爺さんの法事をしましたが、無料で場所を提供してくれましたし。昔、世話になった事を覚えているのでしょう。
それに引き換え、半島民族は、「文化を伝えてやった」と、おおいばり。勘違いもはなはだしい。
これは メッセージ 100955 (rachi_yamero さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/101009.html