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元寇と倭寇 1

投稿者: seironomezasu 投稿日時: 2004/01/12 20:37 投稿番号: [100375 / 232612]
元寇と倭寇




元寇は、後年の倭寇や秀吉の朝鮮出兵の遠因となった

「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」   勝岡寛次   2001   小学館文庫
元寇は、元と高麗の連合軍によって構成されていた。したがって、韓国(高麗)は秀吉の朝鮮出兵の三百年も前に、立派に(?)日本を侵略していたことになる。さてこの元寇について、韓国の教科書はどう書いているか。

. 『元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵糧の供給、兵士の動員を高麗に強要した。元はこうして二次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した。元は日本征伐のため、高麗に征東行省という役所を置いた。征東行省は、日本遠征が失敗した後には元と高麗との公共連絡機関として運営された。』

たったこれだけである。後述するが、秀吉の朝鮮出兵には何ぺージも費やす韓国の教科書が、自ら日本を侵略した行為についてはわずか数行の記述で済ませている。しかも、なんと高麗は元に「強要」されて、仕方なく日本に「遠征」したのだそうである。これも大嘘である。『高麗史』によれぱ、元寇の発端は高麗の忠烈王が元の世祖にしきりに働きかけ、執拗に東征を勧めたことによる。(下條正男『日韓・歴史克服への道』)

しかも高麗軍は日本で何をしたか。最初に侵略を受けた壱岐・対馬の二島では、住民は男はことごとく殺され、女は手に穴をあけられて数珠(じゅず)つなぎの捕虜にされた。二百人の童男童女は高麗軍に連れ去られ、忠烈王に献上された。今も泣く子を黙らせるため、母親が子に「モッコ(蒙古の訛り)来るぞ」とあやす言い方が全国各地に残っているが、元寇から七百年を経過した今なお、日本人の蒙古・高麗に対する潜在的な恐怖心は消えていないのである。当時の日本人の恐怖は、想像するだに余りある。

実は後年の倭寇も秀吉の朝鮮出兵も、この元寇と無関係ではない。李朝後期に安鼎福が書いた『東史細目』では、倭寇の原因が元寇にあったとし、李[シ+翼]の書いた『星湖[イ+塞]説』では、秀吉の朝鮮出兵も究極の原因は元寇にあったとしている由である   (下條正男、『日韓・歴史克服への道』)

倭寇や「壬辰倭乱」(秀吉の朝鮮出兵)は大々的に書き立てる韓国の教科書が、元寇については他人事のように頬被りをして責任逃れをし、たった数行で片づけている。

さて、次はその倭寇であるが、韓国の教科書ではどう書いているか。

. 『倭寇は、対馬島を根拠地とする日本の海賊で、早くから海岸地方に侵入し、掠奪行為をしていた。恭愍王(きょうびんおう)代には倭寇に江華島まで掠奪され、開京が脅かされるほどであった。これにより租税の海上運送ができず、国家財政が苦しくなり、海岸から遠くはなれた内陸まで倭寇が侵入して、大きな被害をこうむるようになった。高麗は倭寇をおさえるために日本と外交交渉も行ったが効果をあげられず、結局武力で討伐した。崔茂宣(チェムソン)は火砲をつくって鎮浦の戦いで倭船を焼きはらい、崔瑩(チエヨン)と李成桂はそれぞれ鴻山と荒山などで倭寇を大いにうち破った。つづいて朴○(パクウイ)は戦艦100隻を率いて倭寇の巣窟である対馬島を征伐し、その気勢をくじいた。(中略)高麗未に大きな騒乱をおこした倭寇は、朝鮮初期にもわが国の海岸に侵入して略奪をやめなかった。そこで世宗のとき、李従茂などが200隻の艦隊を率いて倭寇の討伐に向かい、対馬島を征伐した。』
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