朝日にとって”渡来系”がポイントです
投稿者: japansenkakutakesima 投稿日時: 2004/10/10 23:56 投稿番号: [7679 / 52541]
唐の都、もう一人の仲麻呂がいた?
墓誌発見の日本人
最大の手掛かりは「井」という中国姓だ。
鈴木靖民・国学院大教授(日本古代史)は、井を日本名の痕跡と考え、井上忌寸(いみき)という一族に注目する。現在の大阪府藤井寺市一帯を本拠とした【渡来系】の一族。遣唐使など外交官の任務につくものが多く出ているという。
「遣唐使に参加できるのは、特に優秀か、特別なコネがある、限られた人物。高級官僚になるための試験・科挙にも合格したかもしれない。そのためには何より語学力が必要だった」として、「一族きっての秀才で井上真成という名前の若者だったのではないか」考える。
東野治之・奈良大教授(日本古代史)は【渡来系】の氏族、「葛井(ふじい)氏」の出身ではないかと考える。葛井寺(藤井寺市藤井寺)の創建にかかわった河内の貴族で、飛鳥から奈良時代にかけて、遣唐使などを多く出した。「ふじいのまなり――という名前だったのでは」と推定する。
「皇帝が死を惜しんで官位を追贈したという。こうした厚遇を受けるのは非常に異例のことだ。よほど優秀な留学生だったのだろう」とみる。
http://www.asahi.com/culture/update/1010/005.html
遣唐留学生の墓誌を初発見 生前の功績、石に記す 中国西安市
墓誌は一辺40センチの石で、表面に171字刻まれていた。「姓は井、名は真成。国号は日本。開元22年(734年)に36歳で死去した。人品が良く、知識が豊富で、学習に努力した」との内容が記され、国の期待を背負い必死に学んだ様子がうかがえる。唐の第6代玄宗皇帝(在位712−756年)が死を惜しみ、日本の貴族に相当する官位を贈ったことも明らかになった。
遣唐留学生の中で文献に記録が残るのは、唐で官吏となった阿倍仲麻呂のほかは、吉備真備や空海のように帰国後に活躍した場合だけで
【「井真成」という人物はこれまで全く知られていなかった】。(共同)
(10/10 22:40)
http://www.sankei.co.jp/news/041010/bun076.htm
遣唐使の墓誌発見…「魂は故郷へ」と異国の死刻む
【西安(中国陝西省)=竹腰雅彦】8世紀初めに日本から中国・唐(618―907)に渡り、現地で客死した遣唐使随行の留学生の墓誌(734年)が見つかったと、西北大学(西安市)が10日、発表した。
中国で古代の日本人の墓誌が見つかったのは初めてで、「日本」の国号が記された中国最古の例。謎に包まれている遣唐使の実像に迫る貴重な資料として注目される。
「姓は井、字は真成。国号は日本。開元22年(734年)正月、急病のため36歳で死去。(生前は)学問を修め、官吏として朝廷に仕えた。(死後)尚衣奉御という官職が贈られた。遺体は異国の土となったが、魂は故郷へ帰る」などと記されていた。「尚衣奉御」は皇帝の衣服を管理する部署の長のこと。当時の玄宗皇帝(在位712―756年)が、その死を悼んだことにも触れており、調査にあたった西北大の王建新教授は「皇帝とかなり親しい人物だったのではないか」と推測している。
「井真成」は中国名(唐名)で、日本側の記録にはないため、
【該当する人物は特定されていない】。
阿倍仲麻呂、吉備真備などが派遣された717年の遣唐使の一員とみられる。
墓誌の具体的な発見日時は明らかにされていないが、記述内容から、西安中心部から東に10キロほどのさん水付近に埋設されたと考えられる(さんすいの「さん」は、サンズイに産)。
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041010it14.htm
最大の手掛かりは「井」という中国姓だ。
鈴木靖民・国学院大教授(日本古代史)は、井を日本名の痕跡と考え、井上忌寸(いみき)という一族に注目する。現在の大阪府藤井寺市一帯を本拠とした【渡来系】の一族。遣唐使など外交官の任務につくものが多く出ているという。
「遣唐使に参加できるのは、特に優秀か、特別なコネがある、限られた人物。高級官僚になるための試験・科挙にも合格したかもしれない。そのためには何より語学力が必要だった」として、「一族きっての秀才で井上真成という名前の若者だったのではないか」考える。
東野治之・奈良大教授(日本古代史)は【渡来系】の氏族、「葛井(ふじい)氏」の出身ではないかと考える。葛井寺(藤井寺市藤井寺)の創建にかかわった河内の貴族で、飛鳥から奈良時代にかけて、遣唐使などを多く出した。「ふじいのまなり――という名前だったのでは」と推定する。
「皇帝が死を惜しんで官位を追贈したという。こうした厚遇を受けるのは非常に異例のことだ。よほど優秀な留学生だったのだろう」とみる。
http://www.asahi.com/culture/update/1010/005.html
遣唐留学生の墓誌を初発見 生前の功績、石に記す 中国西安市
墓誌は一辺40センチの石で、表面に171字刻まれていた。「姓は井、名は真成。国号は日本。開元22年(734年)に36歳で死去した。人品が良く、知識が豊富で、学習に努力した」との内容が記され、国の期待を背負い必死に学んだ様子がうかがえる。唐の第6代玄宗皇帝(在位712−756年)が死を惜しみ、日本の貴族に相当する官位を贈ったことも明らかになった。
遣唐留学生の中で文献に記録が残るのは、唐で官吏となった阿倍仲麻呂のほかは、吉備真備や空海のように帰国後に活躍した場合だけで
【「井真成」という人物はこれまで全く知られていなかった】。(共同)
(10/10 22:40)
http://www.sankei.co.jp/news/041010/bun076.htm
遣唐使の墓誌発見…「魂は故郷へ」と異国の死刻む
【西安(中国陝西省)=竹腰雅彦】8世紀初めに日本から中国・唐(618―907)に渡り、現地で客死した遣唐使随行の留学生の墓誌(734年)が見つかったと、西北大学(西安市)が10日、発表した。
中国で古代の日本人の墓誌が見つかったのは初めてで、「日本」の国号が記された中国最古の例。謎に包まれている遣唐使の実像に迫る貴重な資料として注目される。
「姓は井、字は真成。国号は日本。開元22年(734年)正月、急病のため36歳で死去。(生前は)学問を修め、官吏として朝廷に仕えた。(死後)尚衣奉御という官職が贈られた。遺体は異国の土となったが、魂は故郷へ帰る」などと記されていた。「尚衣奉御」は皇帝の衣服を管理する部署の長のこと。当時の玄宗皇帝(在位712―756年)が、その死を悼んだことにも触れており、調査にあたった西北大の王建新教授は「皇帝とかなり親しい人物だったのではないか」と推測している。
「井真成」は中国名(唐名)で、日本側の記録にはないため、
【該当する人物は特定されていない】。
阿倍仲麻呂、吉備真備などが派遣された717年の遣唐使の一員とみられる。
墓誌の具体的な発見日時は明らかにされていないが、記述内容から、西安中心部から東に10キロほどのさん水付近に埋設されたと考えられる(さんすいの「さん」は、サンズイに産)。
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041010it14.htm
これは メッセージ 1 (jjjjjjjjjjjjjjkohe さん)への返信です.