Re:本田氏の裁判の事ではありません
投稿者: watanabe1937 投稿日時: 2004/05/20 01:47 投稿番号: [4725 / 52541]
miniiwaさん:>私は冤罪であると考えているお二人の死刑について、「物理的に不可能なことで、人を有罪にはできない」と思うということです。
それは、南京軍事法廷のことですね。法廷では、「俘虜及非戦闘人員」を殺害したとして南京事件の共同正犯と判断されました。しかし、本多勝一氏は、その判決の是非について論じたわけではありません。少なくとも今回の裁判で問題となっている著書では、「ただしそれが一〇〇人に達したかどうかは誰も証明することができまい」[2]と書いています。
>成瀬氏については、どういう方か恥ずかしながら、知りません。
成瀬関次氏は、昭和14年2月から10月まで軍属として、北支派遣寺内部隊を初め「派遣出張三十二部隊、二千振り近い血刀を修理研究」[1]しました。居合術を初めとし、古武器、古武術などに造詣がある多才な人のようです。帰国後、雑誌に寄稿したり単行本を何冊か書いています。そのうちの『戦ふ日本刀』は、山本七平氏が本多氏に挑んだ「百人斬り」論争の際に引用して有名になりました。
miniiwaさんが成瀬氏をご存知ないということは、恐らく本多氏が「百人斬り」議論に深入りした経緯、つまり1972年に始まる山本七平氏との論争に不案内だと推察いたします。
1972年11月5日付朝日新聞に掲載された本多氏の「中国の旅(23)」中に姜根福氏の証言中で「当時一部で報道された有名な話」として「百人斬り競争」が紹介されました。この中では朝日新聞の編集権で実名がA少尉・B少尉と変えられました。[3]両氏の裁判は日本ではほとんど報道されなかったのですから、AとBが誰であるかは、まず分かりません。あえて言えば、20年以上前の記事を調べれば、106、105という数字から分かるかも知れないという程度のものです。しかし、山本氏は、当事者の名前がA・Bになっていることが不審だとして『諸君!』1972年3月号で「百人斬り」について論争を開始したのです。恐らくは、その反論として、単行本では実名に改められたとものと思われます。
>私がいままで見聞きした、刀の専門家の意見は、おおむね、戦場で実戦に使用すると刀というものは、すぐに役に立たなくなるというものでした。
刀を実際の戦闘で使えば消耗が激しいでしょう。しかし、軍事法廷では「俘虜及非戦闘人員」と述べていることから、戦闘行為とは見ていません。
本多氏とは別に、『丸』1971年11月号で、「百人斬り」報道の当事者である鈴木二郎氏が「私はあの"南京の悲劇"を目撃した」という記事で「百人斬り競争」について触れ、その記事を見た志々目彰氏が『中国』1972年12月号に昭和14年の春頃にN氏の講演で白兵戦ではなく無抵抗な中国兵を斬ったと述べたという回想を寄稿しました。その他、当時の状況や戦争体験者の証言から、向井・野田両氏は、いわゆる「据えもの斬り」をしていたと推測される訳です。当時書かれたものや回想を読むと、斬首の場合は思いがけなく簡単に斬れてしまうようです。
このような論争の一方の当事者である本多氏に対し、今になって名誉毀損で訴訟提起するとは一体どういう意図なのでしょうか。
[1]成瀬関次「従軍記 血刀修理行(四)」『刀と剣道』昭和15年4月号(雄山閣), p.140
[2]南京事件調査研究会『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房)1999年, p.114
[3]洞富雄『まぼろし化工作批判−南京大虐殺』(現代史出版会)1975年, p.21
それは、南京軍事法廷のことですね。法廷では、「俘虜及非戦闘人員」を殺害したとして南京事件の共同正犯と判断されました。しかし、本多勝一氏は、その判決の是非について論じたわけではありません。少なくとも今回の裁判で問題となっている著書では、「ただしそれが一〇〇人に達したかどうかは誰も証明することができまい」[2]と書いています。
>成瀬氏については、どういう方か恥ずかしながら、知りません。
成瀬関次氏は、昭和14年2月から10月まで軍属として、北支派遣寺内部隊を初め「派遣出張三十二部隊、二千振り近い血刀を修理研究」[1]しました。居合術を初めとし、古武器、古武術などに造詣がある多才な人のようです。帰国後、雑誌に寄稿したり単行本を何冊か書いています。そのうちの『戦ふ日本刀』は、山本七平氏が本多氏に挑んだ「百人斬り」論争の際に引用して有名になりました。
miniiwaさんが成瀬氏をご存知ないということは、恐らく本多氏が「百人斬り」議論に深入りした経緯、つまり1972年に始まる山本七平氏との論争に不案内だと推察いたします。
1972年11月5日付朝日新聞に掲載された本多氏の「中国の旅(23)」中に姜根福氏の証言中で「当時一部で報道された有名な話」として「百人斬り競争」が紹介されました。この中では朝日新聞の編集権で実名がA少尉・B少尉と変えられました。[3]両氏の裁判は日本ではほとんど報道されなかったのですから、AとBが誰であるかは、まず分かりません。あえて言えば、20年以上前の記事を調べれば、106、105という数字から分かるかも知れないという程度のものです。しかし、山本氏は、当事者の名前がA・Bになっていることが不審だとして『諸君!』1972年3月号で「百人斬り」について論争を開始したのです。恐らくは、その反論として、単行本では実名に改められたとものと思われます。
>私がいままで見聞きした、刀の専門家の意見は、おおむね、戦場で実戦に使用すると刀というものは、すぐに役に立たなくなるというものでした。
刀を実際の戦闘で使えば消耗が激しいでしょう。しかし、軍事法廷では「俘虜及非戦闘人員」と述べていることから、戦闘行為とは見ていません。
本多氏とは別に、『丸』1971年11月号で、「百人斬り」報道の当事者である鈴木二郎氏が「私はあの"南京の悲劇"を目撃した」という記事で「百人斬り競争」について触れ、その記事を見た志々目彰氏が『中国』1972年12月号に昭和14年の春頃にN氏の講演で白兵戦ではなく無抵抗な中国兵を斬ったと述べたという回想を寄稿しました。その他、当時の状況や戦争体験者の証言から、向井・野田両氏は、いわゆる「据えもの斬り」をしていたと推測される訳です。当時書かれたものや回想を読むと、斬首の場合は思いがけなく簡単に斬れてしまうようです。
このような論争の一方の当事者である本多氏に対し、今になって名誉毀損で訴訟提起するとは一体どういう意図なのでしょうか。
[1]成瀬関次「従軍記 血刀修理行(四)」『刀と剣道』昭和15年4月号(雄山閣), p.140
[2]南京事件調査研究会『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房)1999年, p.114
[3]洞富雄『まぼろし化工作批判−南京大虐殺』(現代史出版会)1975年, p.21
これは メッセージ 4699 (miniiwa さん)への返信です.