ファシズムの楽園・1
投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2005/10/09 00:19 投稿番号: [22537 / 52541]
中国にごますり行脚をくりかえす大塚信一・元岩波書店社長はうったえる。「われわれは落ち目でございます」「中国は上り坂でございます」。
中国よりダメな本を買っても、役に立ちそうにない。古典などの内容改変をなりわいとする秘密検閲の手グセが指弾されているのに加え、社長みずからがダメ、といっている会社が健全であろうはずがない。落ちぶれた岩波は、ますます中韓に媚びて、気味の悪い本を出版し、転落していくのだろう。
この社の口利きで1960年、第二次チベット侵略や大躍進虐殺に奔走する中国に入り、激しく美化した作家たちの一団がいた。「過去と未来の国々」岩波同時代ライブラリー。1960年を「同時代」というのもあさましいが、そうとしかいいようのない、シーラカンスが今も生き残っているのである。先般、テロを美化するファシズム小説をとくいげに上梓した、看板作家・大江健三郎。
毛沢東らが大江らを激賞しモーレツに歓迎したのは、反米ファシストが当時、「安保に反対」していたからだった。人民大会堂につめかけた若者たちはいっせいに「大江先生万歳」「米帝国主義は張子の虎」「中日共同の敵」をとなえた。合唱。まるで巨大な交響曲をあやつる指揮台に立ったような快感に、作家の一団はすっかりファシズムのとりことなった。「この、新中国の青年たちの声は、けっして事前に強制されたものではなかった。ひとりひとりの、真実の、心のそこからの叫びだッ!・・・」
こんな卑小な解釈によって、大江と中国とのくされ縁ができた。大江は、チベット人ら大量犠牲者2億人の生き血も生々しい毛沢東ともうれしそうに対面している。共産社会の恐怖を早くから見抜いていたジッド(ソビエト紀行)やジョージオーウェル(1984年)らの卓見とは比較にもならない。同じ作家といっても、みそとくそはちがうものだ。
オーウェルといえば、日本の近未来がファシズムになる、などという陳腐なパクリ小説を大江も世に問うている。「二百年目の子供」。ただし、中国に媚びる自分たちをたなにあげて、ファシズムの主体はつくる会や自民党だなどと根も葉もなく主張しているようだ。99%ものシェアを誇る中華風の独占教科書を被害者などと言い、みずからの売名精神の赴くがまま、読みもせずに異論を封じようとしたのは、大江、おまえだよ。
まるで兵隊のような子供たちが、大会堂にあつめられている。そして主人公たちは独裁者と対面する。
この幻想は、45年前に大江自身が中国で体験した感激のネガフィルムである。主人公たちは全体主義社会に「嫌な感じ」をいだく。大江がウソで塗り固めてきた共産パラダイス・中国の実態である。
だが大江に、反省はない。「嫌な感じ」なのはあくまでも「日本の未来だ」などと言い張ることによって中国にとことんごまをすり、どこまでも日本の未来を呪い、罪をなすりつけ、かたくなに日本を恨む事によって自分の過ちを欺瞞する。ありもしない未来を妄想して子供たちを憎み、全体主義の横溢する中国の過去・現在をすっとぼけ、ノーベル作家の地位を利用して世界観まで美化歪曲する恍惚のヒヒ。健三郎。
そしてあろうことか、山小屋を築いて四国の森にこもった自分の息子らが、抗日パルチザンを結成し、長白山から昇る英雄の星のように、腐敗した政党政治を倒して主体思想に基づく楽園をもたらすのだあ、と暗示し親バカまるだしに小説はおわる。
この幻想のモチーフはいうまでもなかろう。金正日をめぐる北朝鮮の「建国神話」そのものだ。(つづく)
中国よりダメな本を買っても、役に立ちそうにない。古典などの内容改変をなりわいとする秘密検閲の手グセが指弾されているのに加え、社長みずからがダメ、といっている会社が健全であろうはずがない。落ちぶれた岩波は、ますます中韓に媚びて、気味の悪い本を出版し、転落していくのだろう。
この社の口利きで1960年、第二次チベット侵略や大躍進虐殺に奔走する中国に入り、激しく美化した作家たちの一団がいた。「過去と未来の国々」岩波同時代ライブラリー。1960年を「同時代」というのもあさましいが、そうとしかいいようのない、シーラカンスが今も生き残っているのである。先般、テロを美化するファシズム小説をとくいげに上梓した、看板作家・大江健三郎。
毛沢東らが大江らを激賞しモーレツに歓迎したのは、反米ファシストが当時、「安保に反対」していたからだった。人民大会堂につめかけた若者たちはいっせいに「大江先生万歳」「米帝国主義は張子の虎」「中日共同の敵」をとなえた。合唱。まるで巨大な交響曲をあやつる指揮台に立ったような快感に、作家の一団はすっかりファシズムのとりことなった。「この、新中国の青年たちの声は、けっして事前に強制されたものではなかった。ひとりひとりの、真実の、心のそこからの叫びだッ!・・・」
こんな卑小な解釈によって、大江と中国とのくされ縁ができた。大江は、チベット人ら大量犠牲者2億人の生き血も生々しい毛沢東ともうれしそうに対面している。共産社会の恐怖を早くから見抜いていたジッド(ソビエト紀行)やジョージオーウェル(1984年)らの卓見とは比較にもならない。同じ作家といっても、みそとくそはちがうものだ。
オーウェルといえば、日本の近未来がファシズムになる、などという陳腐なパクリ小説を大江も世に問うている。「二百年目の子供」。ただし、中国に媚びる自分たちをたなにあげて、ファシズムの主体はつくる会や自民党だなどと根も葉もなく主張しているようだ。99%ものシェアを誇る中華風の独占教科書を被害者などと言い、みずからの売名精神の赴くがまま、読みもせずに異論を封じようとしたのは、大江、おまえだよ。
まるで兵隊のような子供たちが、大会堂にあつめられている。そして主人公たちは独裁者と対面する。
この幻想は、45年前に大江自身が中国で体験した感激のネガフィルムである。主人公たちは全体主義社会に「嫌な感じ」をいだく。大江がウソで塗り固めてきた共産パラダイス・中国の実態である。
だが大江に、反省はない。「嫌な感じ」なのはあくまでも「日本の未来だ」などと言い張ることによって中国にとことんごまをすり、どこまでも日本の未来を呪い、罪をなすりつけ、かたくなに日本を恨む事によって自分の過ちを欺瞞する。ありもしない未来を妄想して子供たちを憎み、全体主義の横溢する中国の過去・現在をすっとぼけ、ノーベル作家の地位を利用して世界観まで美化歪曲する恍惚のヒヒ。健三郎。
そしてあろうことか、山小屋を築いて四国の森にこもった自分の息子らが、抗日パルチザンを結成し、長白山から昇る英雄の星のように、腐敗した政党政治を倒して主体思想に基づく楽園をもたらすのだあ、と暗示し親バカまるだしに小説はおわる。
この幻想のモチーフはいうまでもなかろう。金正日をめぐる北朝鮮の「建国神話」そのものだ。(つづく)
これは メッセージ 1 (jjjjjjjjjjjjjjkohe さん)への返信です.