Re: 直接靖国神社に聞け
投稿者: noga13391jp 投稿日時: 2009/06/12 01:51 投稿番号: [354 / 1015]
japanpoorsさん、今日は。
> 天皇が生き神さまと嘘をついていなかったら、国民は戦争に駆り立てられなかっただろう。
日本語を話す日本人にとって天皇制の廃止は容易ではないでしょうね。
それは、日本人が序列社会に住む序列人間だからです。
私は、天皇制の廃止を願うものではありません。それは、我が国にもう一つ世界文化遺産が存在するようなものだと考えております。
日本人の迷いを天皇制に帰すのは、考えの拙さから来るものと考えられます。
日本語には人称 (person) がなく、日本人には自己 (第一人称) がありません。
日本人の自己 (self) は「わたくし」、「わたし」、「わし」などとあくまでも情況次第 (situational) で変化します。
だがしかし、全ての日本人は、天皇陛下の前では「わし」ではなくて「わたくし」である。天皇は、我が国においての人間序列の最高位です。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。階称を使えば自己の呼び名も相対的に定まる。
だが、階称を使うためには、序列づくりが必要となる。自分自身が序列人間であることは、必要なことである。
「政府」とは諸外国では「省庁」迄ですが、日本では「基幹産業企業」迄含まれるのです。日本の「基幹産業企業」の経営担当役員に官僚の恣意を無視して自由な経営戦略策定が可能だと思いますか?「政官業癒着」と言うシステムを介して「官」の恣意が「業」に「上意下達」されているのです。上位の者の恣意を下位の者に徹底させることにある。恣意であるから判断の基準はなく、議論はなりたちません。
何事につけ「上と見るか、下と見るか」の判断のみが大切です。「みんな、仲良く」と口ではいうが、実際には、序列なきところに礼儀なしとなっています。それというのも、日本人の礼儀は、序列作法だからであります。「下におれ、下におれ」と相手に号令を掛けるのが好きなようです。
階称ありで人称なしの日本語は日本人気質の根源となっているのかもしれません。気分・雰囲気しだいで、態度が大きくなったり( 驕り) 小さくなったり (自虐) しています。
日本人の序列は階称 (言葉遣い) により作られて、日本人の間で序列に関する状況証拠により強固に保たれています。
だが、英語には階称はありませんので、英米の社会構造を右から左へと理性的に解釈するのは、日本人にとって難しいことでしょう。
日本人はリーズナブルな現実対応ができない。現実構文のみを有する日本語を使用していては現実対応の方策 (非現実) は語れない。
官僚や会社人間は序列を作って相互に利益を守りあいます。だが、消費者としては序列作りが出来ないので自己利益を守ることが難しいのでしょう。日本人は、世界観 (非現実) というものを持っていないので、理想の国を作る考えもなく、その国を守る考えもないようです。
日本人は、個人的に海外に雄飛することにも消極的であります。外国に出るときは、軍隊とか、企業戦士とかいった、序列社会の一員として外国に派遣され、序列に基づいた協力に力を発揮します。移民した日本人は、天皇制を廃止した日本人と考えることもできます。
日本人の力は、外国では日本人特有の真価を発揮しづらいですね。異民族政府の下では日本語が通じないので、日本人の序列社会作りは成功しません。日系移民が能力を発揮できない現象は、本国の人たちからは序列社会を離れた不心得者のように考えられているのかもしれません。一旗あげて母国に帰国することも難しい。序列を見失った日本人は、さまよえる日系人となるでしょう。
序列を離れた海外の日本人の子孫はその国で実権を握ることもなく、単純労働者として母国に収容されているようです。しかし、序列作りが出来なければ、日系人は何処の国に行っても大きな力を発揮することはできないでしょう。序列社会における個人の向上心と序列による協力は、セットになって大きな効果を上げているのかもしれません。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
> 天皇が生き神さまと嘘をついていなかったら、国民は戦争に駆り立てられなかっただろう。
日本語を話す日本人にとって天皇制の廃止は容易ではないでしょうね。
それは、日本人が序列社会に住む序列人間だからです。
私は、天皇制の廃止を願うものではありません。それは、我が国にもう一つ世界文化遺産が存在するようなものだと考えております。
日本人の迷いを天皇制に帰すのは、考えの拙さから来るものと考えられます。
日本語には人称 (person) がなく、日本人には自己 (第一人称) がありません。
日本人の自己 (self) は「わたくし」、「わたし」、「わし」などとあくまでも情況次第 (situational) で変化します。
だがしかし、全ての日本人は、天皇陛下の前では「わし」ではなくて「わたくし」である。天皇は、我が国においての人間序列の最高位です。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。階称を使えば自己の呼び名も相対的に定まる。
だが、階称を使うためには、序列づくりが必要となる。自分自身が序列人間であることは、必要なことである。
「政府」とは諸外国では「省庁」迄ですが、日本では「基幹産業企業」迄含まれるのです。日本の「基幹産業企業」の経営担当役員に官僚の恣意を無視して自由な経営戦略策定が可能だと思いますか?「政官業癒着」と言うシステムを介して「官」の恣意が「業」に「上意下達」されているのです。上位の者の恣意を下位の者に徹底させることにある。恣意であるから判断の基準はなく、議論はなりたちません。
何事につけ「上と見るか、下と見るか」の判断のみが大切です。「みんな、仲良く」と口ではいうが、実際には、序列なきところに礼儀なしとなっています。それというのも、日本人の礼儀は、序列作法だからであります。「下におれ、下におれ」と相手に号令を掛けるのが好きなようです。
階称ありで人称なしの日本語は日本人気質の根源となっているのかもしれません。気分・雰囲気しだいで、態度が大きくなったり( 驕り) 小さくなったり (自虐) しています。
日本人の序列は階称 (言葉遣い) により作られて、日本人の間で序列に関する状況証拠により強固に保たれています。
だが、英語には階称はありませんので、英米の社会構造を右から左へと理性的に解釈するのは、日本人にとって難しいことでしょう。
日本人はリーズナブルな現実対応ができない。現実構文のみを有する日本語を使用していては現実対応の方策 (非現実) は語れない。
官僚や会社人間は序列を作って相互に利益を守りあいます。だが、消費者としては序列作りが出来ないので自己利益を守ることが難しいのでしょう。日本人は、世界観 (非現実) というものを持っていないので、理想の国を作る考えもなく、その国を守る考えもないようです。
日本人は、個人的に海外に雄飛することにも消極的であります。外国に出るときは、軍隊とか、企業戦士とかいった、序列社会の一員として外国に派遣され、序列に基づいた協力に力を発揮します。移民した日本人は、天皇制を廃止した日本人と考えることもできます。
日本人の力は、外国では日本人特有の真価を発揮しづらいですね。異民族政府の下では日本語が通じないので、日本人の序列社会作りは成功しません。日系移民が能力を発揮できない現象は、本国の人たちからは序列社会を離れた不心得者のように考えられているのかもしれません。一旗あげて母国に帰国することも難しい。序列を見失った日本人は、さまよえる日系人となるでしょう。
序列を離れた海外の日本人の子孫はその国で実権を握ることもなく、単純労働者として母国に収容されているようです。しかし、序列作りが出来なければ、日系人は何処の国に行っても大きな力を発揮することはできないでしょう。序列社会における個人の向上心と序列による協力は、セットになって大きな効果を上げているのかもしれません。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
これは メッセージ 350 (japanpoors さん)への返信です.