真珠湾攻撃外伝 1
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/16 04:57 投稿番号: [80 / 402]
この「ハワイ移民の100年」も日米開戦という最終章に入ってきた。ここで時系列からも最初のころに投稿したエピソードを再掲したい。本に書かれた逸話のうちこの若いゼロ戦パイロットと幼児誘拐殺人犯の話が私に強く感情移入させるからだ。それはきっと同朋としての共感と同情の念に違いないだろう。
ワイキキのあるオワフ島の西北に位置する隣島カウアイ島は、「ジェラシックパーク」で有名な観光地であるが、そのすぐ西隣にニイハウ(Niihau)島という小島が浮かんでいる。ハワイ8島の中で最も西北に位置する島でもある。
面積はカウアイの五分の一ほど、しかしこの島は当時も現在も個人所有となっている。
賭け事が好きだったカメハメハ4世が英国籍の婦人に1万ドルで売り渡したのだ。
その後、ロビンソンという人に所有が移ったが島内は完全な治外法権、銃を担いだ漢が目を光らせ、ごくごく限定された人しか入島できなかった。
住民300人ほどのほとんどは現地ハワイ人の使用人で、全島が牧場、それに住民用の小さな畑で自給して、必要なものは船で搬入させていた。
蛇足かもしれないが、こういった特殊な環境のおかげで、他島では死語となっているハワイ語が現在でも日常的に使用されている。
現在は、オファーがあれば条件付でヘリコプターを使って入島、観光することも可能だが、前日にカウアイ島に一泊しなければならないなど煩雑で、来訪者は多くはないようだ。
このような特殊な島に日系二世の原田義男(39)が夫人と2歳の娘を連れて支配人格として赴任、半年を経ていた。
1941年11月26日、大日本帝国海軍艦隊は遥か択捉島からハワイ真珠湾に向かい進撃を開始した。遮るものとてない茫々たる海原を,無線封鎖をした大艦隊が文字とおり静々粛々と、巨人との一大決戦に向けて航海を続けた。
米船と邂逅することなく、日本艦隊は奇跡的な13日を経てオワフ島北方にたどり着いた。
運命の‘41年12月8日の夜明け(現地時間)、日本海軍空母甲板上の飛行隊は、真珠湾に停泊する米空母・戦艦を殲滅すべく、乾坤一擲の気概を持って飛び立った。
そこにゼロ戦を駆る西開地重徳一等飛行兵曹(21)も参加していた。
彼が真珠湾上でどのように活躍したのかは定かではないが、自軍猛撃の最中、敵の機銃弾1発が西開地の操縦するゼロ戦のガソリンタンクを貫いた。
母艦に帰ろうと試みたがコントロールを失った原田機は、ニイハウ島に車輪も出せずに不時着した。
戦後、原田の妻梅乃が地元紙のインタビューに答えた記録が残っている。
「急報によって主人が駆けつけると、着陸の激突で、搭乗者は軽症を負い気絶していた。土民たちはまだ日本軍の真珠湾攻撃を夢にも思わなかったが、戦雲急を告げている日米の昨今、日本機が偵察に来たのだろうと察し、殺そうか捕虜にするかと騒いでいました。主人は大勢をなだめて手当てを加え、蘇生させた上家に連れ帰ろうとしましたが、群集は強硬に反対して妨害しました。」
その間群衆の一人ハウイラというハワイ人は原田のポケットから航空地図と戦術略語、それに航法諸元を奪っていた。元より機密というほどの書類ではなかったが・・。
ワイキキのあるオワフ島の西北に位置する隣島カウアイ島は、「ジェラシックパーク」で有名な観光地であるが、そのすぐ西隣にニイハウ(Niihau)島という小島が浮かんでいる。ハワイ8島の中で最も西北に位置する島でもある。
面積はカウアイの五分の一ほど、しかしこの島は当時も現在も個人所有となっている。
賭け事が好きだったカメハメハ4世が英国籍の婦人に1万ドルで売り渡したのだ。
その後、ロビンソンという人に所有が移ったが島内は完全な治外法権、銃を担いだ漢が目を光らせ、ごくごく限定された人しか入島できなかった。
住民300人ほどのほとんどは現地ハワイ人の使用人で、全島が牧場、それに住民用の小さな畑で自給して、必要なものは船で搬入させていた。
蛇足かもしれないが、こういった特殊な環境のおかげで、他島では死語となっているハワイ語が現在でも日常的に使用されている。
現在は、オファーがあれば条件付でヘリコプターを使って入島、観光することも可能だが、前日にカウアイ島に一泊しなければならないなど煩雑で、来訪者は多くはないようだ。
このような特殊な島に日系二世の原田義男(39)が夫人と2歳の娘を連れて支配人格として赴任、半年を経ていた。
1941年11月26日、大日本帝国海軍艦隊は遥か択捉島からハワイ真珠湾に向かい進撃を開始した。遮るものとてない茫々たる海原を,無線封鎖をした大艦隊が文字とおり静々粛々と、巨人との一大決戦に向けて航海を続けた。
米船と邂逅することなく、日本艦隊は奇跡的な13日を経てオワフ島北方にたどり着いた。
運命の‘41年12月8日の夜明け(現地時間)、日本海軍空母甲板上の飛行隊は、真珠湾に停泊する米空母・戦艦を殲滅すべく、乾坤一擲の気概を持って飛び立った。
そこにゼロ戦を駆る西開地重徳一等飛行兵曹(21)も参加していた。
彼が真珠湾上でどのように活躍したのかは定かではないが、自軍猛撃の最中、敵の機銃弾1発が西開地の操縦するゼロ戦のガソリンタンクを貫いた。
母艦に帰ろうと試みたがコントロールを失った原田機は、ニイハウ島に車輪も出せずに不時着した。
戦後、原田の妻梅乃が地元紙のインタビューに答えた記録が残っている。
「急報によって主人が駆けつけると、着陸の激突で、搭乗者は軽症を負い気絶していた。土民たちはまだ日本軍の真珠湾攻撃を夢にも思わなかったが、戦雲急を告げている日米の昨今、日本機が偵察に来たのだろうと察し、殺そうか捕虜にするかと騒いでいました。主人は大勢をなだめて手当てを加え、蘇生させた上家に連れ帰ろうとしましたが、群集は強硬に反対して妨害しました。」
その間群衆の一人ハウイラというハワイ人は原田のポケットから航空地図と戦術略語、それに航法諸元を奪っていた。元より機密というほどの書類ではなかったが・・。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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