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故郷忘れじがたく候 5

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/02/05 05:50 投稿番号: [264 / 402]
最初の居住地では、
p32『・・まるで本能であるように窯をきずき、老人は山を歩いて陶土をさがし、ほそぼそながら茶碗の類をやきはじめた』
かれらの生活は、それらの焼き物をもって村々を回り、物々交換で必要品を手に入れていたものと思われる。日本の「山窩」の生活形態と同じだ。
山窩の住まいを訪れる里人はいない。降ってわいたようなかれらが3年間も勝手に居住していてとがめられなかったのは、山窩のほかに、日本には炭焼きや木地師、あるいは製鉄などといった職業集団が山中に仮住まいすることは常態であったからだろう。かれらは一種の治外法権をもって自らの集団を律する。里人とは交わりが薄いのである。
しかし3年は長い。ようよう近くの村の鼻っぱしの強い青年が集落を訪れ、見たことのない轆轤に興味を示す。
回る轆轤に自分の指を添えたり、形作った茶碗に触れて変形させたりした。いかにも好奇心豊かな日本人的所作である。しかし朝鮮人にとっては迷惑だ。言葉が通じないので意思が行き違い、朝鮮人は村の青年を『打擲』する。(打擲 ちょうちゃく=こぶしや棒でうちたたくこと。広辞苑)
ただ殴りつけたという以上のものがあったろう。リンチ的なものだったかもしれない。
しかし、かれらは断りもなく3年間も地元民のテリトリーでくらすよそ者、それも言葉の違う朝鮮人だ。
例えば同時期でも、いやもっと近代に近づいても、仮に先進ヨーロッパ各国の、行政府から離れた寒村に難破船が漂着したら、その船は地元民に襲われ皆殺しの上積載物はすべて奪われ、船は解体されて燃やされる可能性はかなり高い。これは異国船とは限らないところがすごい。中国や朝鮮でも同じだろう。
難破船の異国人が地元民を「打擲」し、その報復で1人の死人も怪我人も出ていないのだ。日本農民の民度の高さを示すエピソードと捉えるのか正確だろう。

それなのに司馬先生は報復に走った農民を非難のまなざしで語る。
本書p33−34『この事件が慶長八(1603)年十二月のことであるらしい。韓人たちは、この所のものの圧迫で、かれらが最初に居を定めた地から再び流亡せざるを得なくなった。
・・極月の寒風の中で全員が荷を背負ってその住居を捨てたのはよほどのことであったであろう。」

最後の1行は、読むものに詩的で哀切な情景を浮かべさせる至極の一行といえようか。
十二月の冷たい月に照らされ、寒風の中を言葉もなく、行くあてもなく、とぼとぼと山中をさまよう白衣の集団、見ようによっては不気味だが、先生のたった一行がまるでチェロキー族の「涙の旅路」のように描かれる。さすがである。

ただこの場合、流亡と言うにはかなり大げさで、最初の土地からわずか2里(約8キロ)ばかりの苗代川(ノシロコ)にかれらは落ち着いてしまう。(ちなみに『涙の旅路』は1000キロ。)
土地名とは裏腹に水脈の乏しい荒地である。
『木の下などを頼り、哀れがましき体にまかりおり候』(留帳)
畑は持って来るわけにはいかないのだから、生活は困難を極めたろう。近隣の農民が「−追々、食べ物を食わせ申し候由」(留帳)とある。
短慮を起こし『打擲』などしなければ日本の地元民はこのような人柄なのだ。
だから、p35「−海浜の住民とちがって心優しかったに違いない。」の解釈は、いささか不穏当であろう。
「その後小屋を結び、あるいは百姓の家などを頼り、両3年も相過ごし候」(留帳)
彼らは近隣農家の助けを借りながらさらに3年を過ごす。そして漂着してから6年後、p35「この苗代川の現状がようやく島津の当主の耳に達した。とにかく当初は、韓人が哀れである、ということで、『−者どもすべて鹿児島城下に居住せよ。屋敷もあたえ、保護も加える。』という仕儀になった。」

藩主島津義弘は稀代の猛将である。慶長の役では現在の朝鮮の英雄李瞬臣の首を挙げ、関が原ではわずか1000名の手勢で敵陣を中央突破し鹿児島に奔った。
かれは数々の戦で自ら戦陣に分け入り、何度も重傷を負っている。臣と生死をともにし、臣を叱咤し、また助けられ、現在あるのはその積み重ねの人生であった。忠・孝の儒教的精神はことさら強いものがあったろう。
かれが死んだとき18人もの追い腹があったという事実もそれを裏付ける。

しかし、せっかくの義弘の申し出を朝鮮人漂流者は辞退する。その理由が猛将であった義弘を感激させた。漂流者の展望は一気に開ける。

つづく
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