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朝鮮通信使 7

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/01/18 13:29 投稿番号: [253 / 402]
韓国に最初に観光客として訪れ名所?回りをすると、韓国人ガイドは必ず秀吉の侵略を非難する。
しかも、それはつい最近起きたかのごとく語るのである。経験した人は多いだろうが、だんだん語り部の目は吊り上り薄い唇の端に泡がたまり始めたころ、やっと日本人は、『ほんとに怒ってんだ』と気付く。時間、というより時空の概念や歴史観がひどくちがうことに途惑ってしまうのである。
およそ現代の日本人で、元寇で残虐の限りを尽くした蒙古人を恨んでいるものなんかいない。それどころか成吉思汗も成吉思汗鍋も非常に人気が高い。朝青龍や白鳳に文句を言った日本人がいたとも聞かない。危ないしな。(うん?   ・・もしかしたらジンギスカンも朝鮮起源か?)

それに対する反論など用意している日本人はいないので、本気で責め立てる韓国人につい「ごめんなさい」の言葉が出てしまったりするのではないか。
しかし、これはひどく身勝手な言い草である。
元寇の役の先兵たる高麗兵による対馬・壱岐島の住民に対する想像もつかないような残虐さは、白村江の戦以来、6世紀にわたって外国との戦闘がなかった日本の武士団を驚愕させた。しかしこの残虐さは、600年のあいだに大陸での戦闘形態が変わったということではない。
それは弘安の役の後、万を数える捕虜が出たが、南宋人は釈放され、望みに応じて帰化も、機会をとらえて帰還もできたが、蒙古・高麗兵はすべて首を切られたことで現れる。対馬、壱岐での残虐行為は偏に朝鮮人である高麗兵によっておこなわれたのだ。無抵抗の者には恩讐もへったくれもなく冷酷無残になれる朝鮮人の特性は、清に降伏して明を討ったとき、先の大戦中日本兵の先兵となって中国人に当たったとき、また終戦後に手のひら返しに日本に噛み付いてきたように、いままで服従、依拠してきた恩人に対するしがらみを無視する、なんとも人間性に欠けるものである。

とまれ、秀吉に対する恨みつらみは慶長の役からおよそ150年後の第9回の通信使に、秀吉ゆかりの大仏殿での饗応はネバハップンと言わせることで顕われた。ある意味格好がいい。
実は、徳川幕府に対する1−3回の通信使の名称は『回答兼刷還使』となっており、意は、家康の招聘に対する回答と文禄・慶長の役の際発生した朝鮮人捕虜・拉致者の返還である。
自国の民の返還を第一に思うのは国家としての矜持であろうから、この辺も格好がいい。
しかし、なにか腑に落ちない。

大仏殿での饗応は既に前3回行われていて、今回は4回目になる慣例行事なのだ。なぜこの期に及んで?   さらに、韓国人は、「日本人が朝鮮の優秀な陶工を還さなかったので、韓国の陶器文明は衰退した、どうしてくれる!」と簡単に目を吊上げる。この辺も異論があるので後で一めくりしてみよう。

幕府は、この大仏殿は徳川家の建立でありその証拠に史書「日本年代記」を見せて説明した。種本では、
「先例がありながら饗応拒否に出た真の理由は史料にはない。大仏殿の近くに耳塚がある。(略)信使が立ち寄る際には高い竹垣で遮断して、一行の目に触れぬようにした。仲尾宏著『朝鮮通信使と江戸時代の三都』に、第八回の信使が、新井白石の強硬・唐突な聘礼改革にことごとく妥協を余儀なくされたあげく、犯諱問題で前代未聞の国書改作を強いられ、ようやく使命を果たして帰国したものの「辱国之罪」に問われ、三使は『削奪官爵、門外ちゅっ送』の処分を受けた記憶が第九回目の使節には生々しく、これに逸し報いたのでないか、と書いている。」(ちゅっ=黒出の一文字   更迭の意)

どうもこれは本国に対する格好づけのようだ。その証拠に三使は説得されて饗応の席についている。彼らの『怒り』は、その形相どおりには受け取れない。『怒り』の演技が上手いのである。

一方『朝鮮陶器の壊滅』についてはどうだろう、
エッセイの金字塔といわれる(オレはたいしたことないと思うが)司馬遼太郎の『故郷忘れじ難き候』を読み直してみた。
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